閑話

二つの打ち合い

「昨夜はお楽しみだったみたいね」


 リリーの声が廊下に響いた。

 それを聞いて早足だったエルは歩くのを止める。だが、その表情は酷く顰めており、小さな威圧すらも感じられるものだ。リリーはそれを理解しながらもエルに笑みを見せた。


「……盗み聞きとは良い趣味を持っているわ」

「あら、貴方の声がうるさかっただけよ。廊下を通っているだけなのに聞こえてくるくらい大きかったから」


 それが嘘である事はエルにも分かっていた。

 声が漏れないように風魔法で音を遮断し、細心の注意を払って大好きな主であるシオンの口を自身の唇で塞いでいる。それでも聞こえると言うのならばそれは単純に扉に耳を寄せ、音を盗み聞いていたからに他ならない。


「なに、喧嘩でも売りに来たの?」

「別に、少し話があったからよ」

「へぇ、行き遅れの貴方が何を言うか、すごく興味があるわね」

「それはお互い様だったでしょ。なに、先に手を出したからって勝ち誇った気でいるの?」


 リリーの言葉にエルはフンと鼻を鳴らした。

 ルール家の屋敷の廊下とはいえ、二人の間には常に緊張が走っている。だが、リリーは面倒に思ったのか、ハァと大きく溜め息を吐いて戦闘の構えを解いた。


「久しぶりに打ち合わない? 少しくらいなら時間があるでしょう」

「……そのムカつく顔を叩きのめせるのならいくらでもやってあげるわ」

「本当に素直じゃないんだから」


 リリーはクスリと笑い先を歩くエルの後を着いていった。いつもの訓練所、かなりの広さがあるものの二人が本気を出すには狭過ぎる場所だ。だからこそ、エルは立てかけられていた木剣を一本投げ付け構えを取った。


「いつでもどうぞ」

「じゃあ、遠慮無く」


 そこから始まったのは常人では観測する事すらできない剣の打ち合いだった。風を切るような音が聞こえたかと思うとリリーの姿が消え、エルの目の前へと迫る。だが、それに即座に対応して軽く流したかと思うと勢いのままにリリーの首元へと木剣を突き出した。


 そこを流された剣で横へ切りに行く事でエルに回避の行動を取らせ、そのまま距離を詰める。数回、いや数十回は詰めの中で得物を振るったがどれもがエルの体には届かない。


 対してエルも何かをするわけでもなくリリーからの攻撃をなすがままに受け、その全てを流すだけに専念していた。それがリリーにとっては気に食わないのか、不意に左手で本物の剣を抜き振るう。


「剣にも嘘を吐くようになったのね」

「貴方が向き合っていないからそう感じているだけでしょう」


 その会話の瞬間、カランと小さな音が鳴った。

 数秒間の沈黙、それはリリーの木剣を地面に置く音によって掻き消される。それを見て興が冷めたのか、エルがリリーの置いた木剣を手に取って元あった位置へと戻す。リリーは態とらしく大きな音で溜め息を吐いて剣を鞘へと戻した。


「ねぇ、エル」


 エルの返答は無い。

 その反応を予測していたのか、リリーは気にした様子も無く喉元に溜まった言葉を吐き出す。


「どうして魔人となったトーマスを殺しきらなかったの。別に貴方ならスキルを封じられたとしても存在を抹消させる事くらいならできたでしょ」


 エルは即座に返答ができなかった。

 少し思案した様子を見せて何かを思いついては首を横に振る。リリーはそれを見つめ続けて遂にエルは覚悟を決めたように口を開いた。


「……シオン様なら倒せるようになると分かっていたからよ。最初から光魔法が弱点なのは見て分かっていたから任せただけ。もしも私の目に狂いがあって倒せなかったら私が戦えば良かっただけだから」


 苦々しげにそう言いながら目を伏せる。

 その返答がリリーには気に食わなかったのか、はぁと大きく溜め息を吐いて少しだけ近付いた。エルは顔を上げ、露骨に嫌な顔を見せたが気にした様子も無く睨むような目をしたままで口を開く。


「申し訳ないけどもう少し考えて動いて欲しいものね。シオン様は貴方の事を気に入っている。だから、助けるためなら命だってかけるわ。それを利用して戦わせるなんて……悪いけど先代王女と何も変わらないわよ」

「悪女だからシオン様は私を愛してくれているのよ。男心を擽れないようではシオン様からの御寵愛なんて頂けないでしょうね」

「私の言いたい事が分かっているくせに。本当……口は達者ね」


 リリーは呆れて頭を軽く押えた。

 そのオーバーなリアクションが気に入らなかったエルは、口角を少し下げて喉元に溜まった鬱憤を晴らすかのように口を開く。


「貴方だって達者じゃない。シオン様より任された二人から目を離しているうちに攫われるなんてね」

「アレは私の落ち度よ。私ですら見抜けない、気配を消せる存在がいるとは思ってもいなかったから。そこに対して嘘を吐く気は無いわ」

「……そ、つまらないのね」


 エルは少しだけ驚いた顔をした。

 そこにいたリリーは前までのリリーとは違っていたからだ。前のリリーであれば食ってかかるように否定の言葉を述べている。だが、今のリリーは否定などせずに自身の落ち度を認めていた。それがエルには不思議で仕方なかった。


 その考えを変えたのは自身が愛した男性である事も分かっている。だが、いや、だからこそ、エルは少しだけ胸の奥が痛くなった。静かに目を合わせるだけのエルを見てリリーも何かを察したのか口を開く。


「まぁ、いいわ。貴方ならシオン様の事を任せられるから幾分か、仕事に戻っても安心していられるからね」

「シオン様の望みこそが私の望みだから」

「そう、それでいいのよ。それでこそ、私の知っているエルそのものよ」


 呼吸すらも入らない程の返答の速さにリリーはどこかホッとした様子を見せて、エルに満面の笑みを見せ付ける。そのまま満足して訓練所を後にするリリーの背中を、エルは見守る事だけしかできなかった。


「何も知らない人は気楽でいいわ。……見て見ぬふりをしているだけなのかもしれないけど」


 一人残された訓練所でエルはポツリと呟いた。







 ◇◇◇






「熱心な事ね」

「あー……まぁ、思うところがあっただけだよ」


 誰もいないと思われた早朝の訓練所。

 そこには一人の剣を振る男性がおり、それが何とも不思議とばかりに一人の女性が声をかける。軽い含みはあるものの嘘の無い言葉に女性は安堵して木剣を一つ取った。


「マリア姉さんも珍しいね。普段ならリール兄さんが来ていたからさ」

「あの馬鹿に頼まれたのよ。シオンから貰った篭手の試しがしたいからルフレの相手は任せたってね」


 シオンが帰還してから早二日。

 その間に渡されたプレゼントである篭手は長兄であるリールを酷く喜ばせた。それは品質や能力が高かったからだけでは無い。根本的な部分で他者を気遣わなかったシオンが家族のために何かをする事がリールには嬉しかったのだ。


「ははは……なんと言うか、兄さんらしいね。素直にシオンに伝えられないところとかがさ」

「そうね。そんなにシオンからのプレゼントが嬉しかったのなら言ってあげればいいのに。変なところで恥ずかしがるから敵を多く作るのよ、あの馬鹿は」


 本来の意図を伝えられないために多くの敵を作ってしまう。それは当初のシオンに対して敵対行動を取っていた一つの理由でもあった。


 生き返ったという信じる事が難しい話に加えて、そのシオン自体がルール家の名を落とした存在であった。だからこそ、喜びはすれど素直にそれを表に出せなかったのだ。


「それで? 最近はリールに剣の手合わせをお願いしているみたいだけど、どうして?」

「面影を感じたんだ。だから、もう一度だけ剣を取ろうと思っただけ」

「ふーん、それならいいんじゃない」


 含みのあるルフレの返答に対して特に興味も無さそうに大きな欠伸をしてから片手で木剣を振った。その様子を見てルフレは小さく溜め息を吐いてから木剣の刃を下ろす。


「詳しくは聞かないんだね」

「ええ、だって……口で表せない事は剣で、お父様ならそう言うでしょう?」

「はは……姉さんの胸を借りるよ」

「私の胸はシオンのものなの。だから、貸す事はできないかしら」


 木剣を胸の前で構えてからウインクをする。

 それを見てルフレも構え直して一気に距離を詰めた。その速度はシオンとの模擬戦の際の比ではなくマリアでさえ、冷や汗をかきながら剣の対応をするものだった。


「剣の腕は落ちていないのね」

「開いたのはステータスの差だけだよ。剣豪をなめないでもらいたいねッ!」


 何度も何度も振り回される剣。

 明らかに剣の速度だけではマリアが勝っている。だというのに、押されているのはマリアなのだ。一手、二手と剣の連撃が行われる度に徐々に背後へと下がって行き、遂には壁へと背を付ける。


 だが、ルフレはそのまま下がった。

 それを見てマリアは驚いたような顔を見せてからフッと息を吐く。そこから数秒と経たずに先程までルフレがいた位置を氷炎が舞う。その一撃は間違いなくルフレを瀕死に追い込む程の攻撃、だからこそ、ルフレも大きく溜め息を吐いた。


「弟相手に手厳しいなぁ……」

「本気で向かってきた癖によく言うわ。それとも手を抜いて負けてあげた方が良かった?」

「……いや、こっちの方が鍛錬になっていい。マリア姉様を越えられない時点でシオンには勝てないからね」


 その言葉を聞いてマリアは怒るわけでもなく首を縦に振って笑った。そして一瞬だけ優しげな笑みを見せた後、静かな訓練所にカタンと音が響く。


「なるほどね……確かに迷いは晴れたみたい」

「ああ……あの時の僕は死んだよ。シオンを見てハッキリと分かったんだ。僕だけが止まっていてはいけないってね」


 もう戦うつもりが無いと分かったのか、ルフレも木剣を置いてマリアの目を見詰める。そこからはシオンの良さを語るだけの機械と化したマリアを見てルフレは苦笑いした。数分経ち不意にルフレはマリアの言葉に口を挟んだ。


「なぁ、姉さん」

「どうしたの」

「貴方はここまで予測して彼の力になろうとしたのかい」


 マリアの真意を測ろうとする感情がルフレの目には宿っていた。それを理解してマリアも少しだけ悩む素振りを見せてから口を開く。


「全然。あの子は本当に私の予想を超えた行動を取ってくるからね。ここまでの事をしてしまうなんて少しも考えていなかったわ」


 その目に嘘は少しも混ざっていない。

 公爵家の息子という事もあり、ルフレの審美眼はシンすらも認めるものだ。だからこそ、マリアの言葉には口を挟もうとはせずに笑って続きを待った。


「だけど……全てが良い方向に進んでいる。予測が立てられなくとも、それだけは分かるわ」

「……だと、良いけどね。僕から言わせてもらえるとしたら一つだけだ」


 マリアの言葉をルフレは許せなかった。

 それだけ二人の間には大きな認識のズレがあったのだ。だが、その目に残っているのは怒りや悲しみでは無い。ただ自身の認識を理解してもらいたいという感情のみ。


「彼の全てを信じるな。彼は間違いなく僕達の許容範囲外にいる存在だ」

「知っているわよ。だから、私はシオンが大好きなの」


 マリアは笑ってそう返した。

 それに対してルフレは何かも返せずに苦笑いを浮かべるしかない。程なくして執事によってマリアは訓練所を後にした。それを見てようやくルフレは口を開いた。


「貴方は……分かっていない。今のシオンは、アイツは」


 その目に映るのは明確な恐怖。

 共に短な旅をしたからこそ、感じる事のできたシオンの異質さ。それを吐き出すようにルフレは口元を歪めて口を開いた。








「人ではない」

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