サードイヤー
阿紋
1 ホテル
「ねえ、あたしは本当にあたしなの」ユリコが突然僕にこんなことを言う。
「えっ」と言ったまま、僕はしばらく沈黙する。
僕はユリコがいったい何を言いたいのかさえわからず戸惑ったまま。
「何言ってんの」結局そんな言葉しか出てこない。
「夢じゃないかって、全部。ほんとうはあたしなんかいないんじゃないかって」
どういうことなの。ぼくはさらに困惑する。
今、僕が触れているユリコの背中も、胸も、ただの幻だっていうこと。僕が感じているユリコの肌のぬくもりも幻だってこと。いまこうして起こっていることがみんなユリコの夢の中の出来事ってことなら、僕だってユリコの夢に出てくる幻ってことになる。
僕は腕を少し動かしてユリコの肌の感触を確かめてみる。そして考える。
「幸せすぎて夢見たい」
そういえばそんなことを耳元でささやかれたこともあったなあ。でもたしかにそんなことも、いつの間にか夢のように消えてしまっている。そう、あの時もこうして女の子を抱いていたような気がする。雨が降っていた。ひどい雨でずぶぬれになって家に帰った。すっかり雨に流されて欠片さえ残っていない。
僕はふと窓の外を見た。小さな窓だから外の様子はよくわからない。
「どうしたの」体を動かした僕に気づいてユリコが僕にきいた。
「雨降ってるかなあ」
「降ってないよ。今日はずっといい天気のはずだよ」
「それならよかった」窓が夕日をうけて赤く染まっていく。たしかに雨じゃない。ユリコがふいに起き上がる。
「ねえ、あたしは本当にあたしなのかな」そしてまた同じ言葉を繰り返す。
「ユリコじゃなかったら何なの」
ユリコが窓のほうに歩いていく。夕日に染まったユリコの体の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。
「ユリコってあたしなの。何であたしはユリコなの」
僕はユリコの言ったことには答えず、じっとユリコの体だけを見ている。そしてユリコは窓に近づいて外の様子を覗いている。
「ねえ、どっか行かない」窓を覗きこんだままユリコが僕にこう言う。
「どっかって」
「どっか遠く」
ケータイの音がした。ユリコはゆっくりと床に置いてある自分のバッグのほうに歩いていく。
「やっぱり行けないのかな」そう言って電話に出た。
僕はベッドに横たわったまま。ユリコはケータイで話をしている。さっきまでのユリコはもうここにはいない。すっかり別の顔になっている。
ケータイを切ったあと、ユリコは服を着はじめた。
僕はベッドに横たわったまま。
「先に行くね」そう言ってユリコは部屋から出ていく。
僕はずっとベッドに横たわったまま。部屋の中はすっかり暗くなっている。
「ユリコは本当にユリコで、僕も本当に僕なんだろうか」
僕は考えている。ベッドに横たわったまま。
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