火星より ー愛情のかたちー

秋の色

第1話 序章


 二〇四五年、冬至。

 太陽の膨張は予測していたよりも、数百倍はやかった。 

 「一体、これは……? なんということだ……」


 固唾を呑むしかなかった。地球上で最も権威ある天文観測研究所所長、御年八十歳を超えたガーリディは瞬きも忘れて、データを凝視した。

 

「ええ。ただ、このデータも、観測も、どれ一つとっても誤りのないことが確認されました。しかも、すべてのデータや結果が、整合性がとれています。これが、間違いだとすると、もう、それは我々が有史以来すべての数字が間違っていた、そういうことになるのです」

 四十歳の半ばにさしかかった若造が弁じた。この観測研究所において四十代などまだまだ青い若造なのだ。その青い四十代のヨウヘイが太陽膨張を最初に確認したことは、つまり、彼が並々ならぬエースである証だった。


「数値の正確さは私も知るところだ。しかし、万が一ということがある。それに、この急激な膨張を予測し切れていないということは、つまり、それはやはり、今までの我々の数値化の不足であるということではないのか」


 百歳まで現役を掲げているガーリディ所長は、うっすらと狼狽していた。


「いえ。それが、過去の結果は、ほぼすべてにおいて、この事態を想定していました」


「なんだと? では、なぜ……。そんな……」


 狼狽は隠しきれずに、老人を消沈させ、現役の若々しさに影が差した。 


「はい。数値に誤りはありませんでした。結果に不足があったという痕跡もありません」


「……つまり」


「はい。つまり、我々の数値の読みに誤りがあったのです。我々に、不足があったのです」


「今の今まで。ずっと、なのか」


 物言いは投げやりだった。


「ええ。今に至るまで。誤解、誤読のまま進んできたのです」


「何百年もの時間、見誤り続けていたとは……。いや、そんなことは到底あり得ない。ここに、この目の前に、絶えず、正確な数値が用意されていたというのに……」


「残念です。しかし、これが結果です。我々、人類の結果だといわざるをえません」


 ヨウヘイの口調は一貫して落胆もなく興奮もなかった。ただ数値を解読する媒体であった。人間味の欠いた、そんなところを見込まれてこの観測研究所に招致されたのだった。


「ああ。なんたることか……」


 ガーリディは未来を憂えた。


「もはや、取り得る術はありません。我々の地球に取りうる術は皆無でしょう」


 ヨウヘイはただ結論を述べ、感想はさしはさまなかった。


「そうだろうとも。ははは。我々は、目の前にきっちりとこれほどの未来を警告され続けていたというのに、何食わぬ顔で、阿呆のように生きてきた。いや、もしかすると、生理的な反応として、それはもう反射的に、この結果を受け入れられずに、自らの最期をおそれて、目を覆い、耳を塞ぎ、拒絶したのかも知れない。こんな結論を、予測を、一体どうして易々と受け入れられようか」


「だとしても、これはあまりに酷すぎますよ」


 はじめてヨウヘイが感想めいた発言をした。


「君たちのような若者には、酷だろう。私は、この結果を全世界に受け入れろとは言わないでおく。いや、言えるはずがない。どの口で言えばいいのか。しかし、着実に、ここに示された未来はすぐそこだ。どれほどのぼせ上った老害だろうとも、それだけは言い続けたい。いや、そうしなければならない。それがせめてもの責務だろう」


「はい。確かに、おっしゃる通りです」


 ヨウヘイの語気は平坦だった。


 その後の五〇年という時間は、地球上の人間を混乱に陥れ、混乱させるには十分すぎるほどだった。各国は秘密裡に地球脱出に向けた準備をしていたことがリークされ、ますます民衆の混乱は過激に、それはもう混沌となった。国境をないがしろにする者、またどこそこの国の生まれだという特権を固持せんがために国境線の意義を強く主張する者。人種も民族も一方ではまぜこぜになり、他方では厳格に仕切りがされた。

 そして、誰しもが想定したよりも早く、戦争ははじまった。

 

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