面
初月・龍尖
前
いつもの席に座り、いつもの物を頼む。
薄暗いそこはまるで俗世とかけ離れた異空間の様だ。
ウイスキーの入ったグラスを傾け、そっと辺りを見渡す。
カウンターには男女が静かにグラスを傾けている。
横目でそれを見ながら再びグラスを傾けた。
テーブル席には男が四人、よく見る顔が並んでいる。
こいつ等は常連だ。
小声で何やら話をしていた。
マスターは静かにグラスを磨き続けていた。
2杯目を飲み終わる頃、目的の男がやって来た。
その男はいつもくたびれたの背広にネクタイ、汚れた革靴を纏ってよろめきながらカウンターの端、誰もが嫌がりそうな薄暗い席に座るのだ。
そして、一杯飲み終わるとマスターに向かって語りかけるのだ。
その話はいつも「これは誰にも話した事が無のだが」と言う具合に始まる。
俺達、そして、もしかしたらマスターも男の話を心待ちにしている。
男は俺の聞いている限り一度も同じ話をしていない。
マスターに聞けば判ると思うが、恐らく一度も同じ話はしていないのだろう。
男が話し始めると店の雰囲気は更に、重く、苦しくなる気配を感じる。
慣れとは恐ろしいものだ……と、あぁ、俺の話などもう聞きたく無いだろう。
今日の男の話はこうだ……。
私は若かったのです。
貧乏旅行と言うのか冒険旅行と言うのか、色々な地域を歩いて旅をした事があるのです。
現実逃避というかただ単に自分の居場所を探していただけかもしれません。
ある日、私はある山を登っていました。
登っている途中、偶然にも村を見つけたのです。X県の山の中にです。
村人を捕まえて村の名前を聞いてみると村人は”S村”とだけ答えました。
知っていますか?マスター。
マスターはグラスを磨いていた手を止め首を横に振った。
それを見てと男は一度頷き続けた。
知らないでしょうな。
この村はもう無い。
……いや、もしかしたら始めから存在していなかったのかも知れません。
村の入り口には地蔵がありまして毎日磨かれているのでしょうか泥は無く綺麗なものでした信仰の深さが見て取れました。
おかしな所と言えば狐の面を被っていた所でしょうか。
私は不思議でなりませんでした、なぜ狐の面を被った地蔵を祀っているのか。
あぁ、若いとは何と素晴しい事だったのでしょう。
道行く村人達にになぜ面を付けているのか聞いてまわったのです。
誰も私の問いかけに答えてくれる人は居ませんでした。
私は諦め切れず、村長の家を突き止め押しかけるように問い迫ったのですが、満足行く回答は得られませんでした。
男はここで言葉を切り、グラスのウィスキーを喉を潤す様に飲むと小さく息を吐いて再び話し始めた。
気が付けば村を一周して地蔵の下に戻っていました。
村をまわっている最中は興奮して気が付かなかったのですが意気消沈した私の耳に小さな音が聞こえてきました。
木の葉がこすれるようなほんのかすかな音でした。
ふと、気が付きました。
この村の人々に洋服を着ているものは居らず、まるでこの村だけ時が止まったかのようでした。
皆、和服でよく思い出してみると家々の造りも今の時代とそぐわない気がします。
陽が傾き始め私は宿屋を探し再び村を徘徊しました
ようやく探し当て一晩泊まりたいと言うと、今日は駄目だ、と追い返されました。
はてな、なにか秘密の祭事でも在るのか。と思ったのですが、宿屋に掛け合って食事だけさせてもらえるよう頼みこみました。
村を出て行くにしても山道を戻ることになるので腹ごしらえはしたかったのです。
宿屋の炉端で待っていると、二人の男が話している声が聞こえてきました。
十分聞き取れませんでしたが、どうやら祭りが在るらしいのです。
これを秘密にしたかったのか、と私は膝を叩きました。
するとどうでしょう、祭が見てみたいと言う気持ちが胸に満ちてきたのです。
宿屋を辞去し一度村を出たように見せかけてやろうと村の入り口にある狐の面を被った地蔵の前まで行ってみるとそこには、眼鏡をかけた男が狐の面をいじくり回しているではありませんか。
その上、その眼鏡の男は洋服なのです。
私は急いで眼鏡の男に声をかけました。
男と私の目が合った刹那、男は私に駆け寄り肩を掴み私を揺さぶりながら言いました。
「危ないですよ。早く此処を出た方が良い」
そう言うと有無を言わせず私を村の外に押し出したのです。
男は新たにグラスに注がれた酒をグイッと飲み干し、少々席を外します、と言って席を立った。
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