あの美しい、桜の花に

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あの美しい、桜の花に

 「死んだのかな?」と思ったら、やっぱり死んでいた。おそらくは、当たり所が悪かったのだろう。それをハッキリと覚えているわけではないが、通りの桜に「綺麗だな」と思った時にはもう、自分の身体が跳ねあがっていた。花びらのように舞う、自分の身体。それから訪れる、凄まじい衝撃。それがあまりに痛すぎて、痛みよりも先に意識を失ってしまった。遠くから聞こえた救急車の音や、通行人達のざわめきを聞いて。その生命をすっかり、失ってしまったのである。

 

 俺は、その事実に涙した。「ああもっと、生きたかったな」と。あまりパッとしない、それこそ平凡な人生だったが、こうして死んでみると、自分が今まで味わってきた体験、楽しかった事や辛かった事も含めて、それらがとても輝かしく見えた。「あんなにつまらない事でも、本当はとても素晴らしかったのだ」と。誰もいない真っ暗な世界の中で一人、そう感じていたのである。

 

 俺は今の自分が置かれている立場、ついでに「魂」と言う物も感じて、この世への未練をしばらく感じつづけた。だが、それを壊す奴が一人。こう言う創作物によく現われるらしい存在が、その感覚をすべて打ちけしてしまった。俺は「それ」に「まさか、俺が?」と思ったり、「俺は、異世界系の主人公じゃないぞ?」と思ったりして、目の前の男をじっと見はじめた。

 

 目の前の男は、どう見てもだった。いかにも「神様」と言う感じだったし、優しそうでいながらどこか小狡そうな顔は、主人公の行動に色々と振りまわされるそれである。まあ、流石に「自分の手違いで、俺の命を奪った」なんて事はなかったけど。神様もとえ、おっさんは、俺の死因(やっぱり交通事故だったようだ)も含めて、自分がどう言う存在であるのか、そして、ここに俺(正確には、その魂か?)を呼びだした理由も教えてくれた。


「君には、をやってもらいたい」


「は?」


 俺が? どうして、処刑人?


「相手の命を奪う、そんな」


「戸惑う気持ちは、分かる。だがお前は、そのために造られたのだ」


「造られた? って」


 いやいや! そんな事は、ないでしょう? 俺がこの世に生まれた理由は、俺の親父とお袋がニャホニャホした結果で。アンタが「それすれも決められる」とかなら別だが、それでも「暗殺者にするために」とかいくら何でもヤバすぎるでしょう? 森羅万象の頂点に立つ、アンタのような奴がさ。たった一人の、しかも男子高校生なんかに暗殺者を任せちゃだめでしょう? アンタは、全知全能の神なんだぜ? その神様がさ?


「ふざけてんの?」


「ふざけてはいない」


「なら、暇なの? 『自分は、何でもできます』ってさ? 暇潰しに」


「造るわけがない。私も、そんなに暇ではないからな。生物個々の一生に一々関わる暇はない。私が今回、お前の魂を呼んだのは」


「なに?」


「その必要が出たからだ、お前の魂を使う。お前の魂には、これから」


「なにさ? 『異世界系の主人公みたいにしろ』って言うの? 『その力で世界を救え』ってさ?」


 おっさんは、その言葉に押しだまった。その言葉にどうやら、色々と苛ついているらしい。俺への苛つきではないようだが、その射殺すような目、地面の上を何度も踏みつける動き、自分の頭を「う、ううん」と掻きつづける手つきは、それを否応にも表していた。おっさんはたぶん、いや絶対に怒っている。それこそ、俺が震えてしまうくらいに。


「そうではない。そうではないが、それと似たような事はしてもらう」



「似たような事」


「そうだ。お前には、余所者の始末を行って欲しい」


 余所者の始末。それだけ聞けば、本当に危ない仕事だった。このおっさんにとって何か不都合な、不必要な存在を葬り去る。ある種の人間には面白そうな仕事だが、俺にはそんな趣味はないし、それを「やろう」とも思わなかった。おっさんの尻拭いなんて、真っ平御免である。俺は不機嫌な顔、それも思いきり不機嫌な顔で、目の前のおっさんを睨みつけた。


「嫌だね。どうして、俺が? 俺は……未練は色々とあるけど、このまま天国に行きたい。天国に行って、そのままのんびり暮らしたい。本当はもっと、俺としては生きたかったんだからな。それをそんな、わけの分からない理由で」


「それでもしてもらう」


「なっ!」


「お前に拒否権はない。お前は、そのために造られたのだから。もしもの時の備えとして、その存在を造った疑似人間。人間のそれに似せた、偽物。お前は言わば、緊急用の武器なのだ。どんな強敵も滅ぼす、最強の武器。唯一無比の矛」


「唯一無二の矛?」


 それに溜め息が出たのは、どう言う理由からだろう? とにかく「やりたくない」と言う気持ちは分からなかったが、それを断れない雰囲気や、おっさんが俺に「この運命からは、逃れられない」といった言葉からも、これが既に決定事項であり、それに抗う手もまた無い事が分かった。俺はどうやら、何が何でも「それ」をやらなければならないらしい。誰を殺すかも分からない、その処刑人って奴を。


 俺は諦めも含めて、おっさんの目を見かえした。おっさんの目はやはり無表情、その表情をまったく変えていない。


「それで?」


「うん?」


「俺は、誰を殺ればいいの?」


 おっさんは、その言葉に「ニヤリ」とした。その言葉をまるで、おっさんも待っていたかのように。


「誰、ではない。彼らだ」


「彼ら?」


「異世界の慰安所で暴れまわっている奴ら、その業を振りまいている奴らだ」


 そこまで聞いた瞬間に「ピンッ」と来たのは、生前にそう言う話をいくつか読んでいたからだろう。「チートには、チート」と言う発想、「最強には、最強」と言う逆張り。それはつまり、「異世界転生もしくは転移者を狩れ」と言う事だった。


 そんなネタはもう、出つくされているのに。このおっさんは、俺にそれをやらせようとしていたのである。俺はおっさんの出遅れ感にガッカリしつつも、表面上では真面目な態度を貫いた。


「俺は、パシリか。それも、神様の」


「不服か?」


「そりゃあ、もちろん。こんなのは、アンタが自分でやればいいのに」


「私は、概念だ。概念は、世界に入れない。だから、お前を造った。お前なら、世界の制約を受けない」


「車には、轢き殺されたけどね?」


「それは、お前の運命を弄くったからだ。どんな強者も、運命には逆らえない」


「そっか。それなら本当にムカつくよ、アンタ」


 俺は自分の頭を掻いて、相手の顔を睨んだ。相手の顔はやはり、どこまでも無表情である。


「それで、最初の相手は? そもそも、『異世界の慰安所』ってなに?」


「最初の相手は、聖騎士の力を授けた青年だ。異世界の慰安所とは、浮かばれない魂を癒す場所。輪廻転生の妨げになるモノ、つまりは未練を落とす場所だ。彼または彼女が生きている間に溜めつづけた怒りや悲しみ、それを洗いおとす休息地。最初は善良な人間が多かったが、最近は悪質な人間が多くなった。救いの中にエゴを見いだし、自己の快楽を貪る奴らが。そのお陰で、慰安所の中も乱れきっている。彼また彼女の都合がいいように」


「ふうん」


 でも、それはさ? アンタが招いた事じゃねぇ? 生物個々と向きあわず、「慰安所」なんて場所を造るから。俺が生まれなきゃならなかった理由も、「アンタが横着者だった所為だ」と思うけど……まあいい。このおっさんには腹が立つが、今は「これ」をやるべき時ではない。おっさんに「お願い」と頼まれた、今の俺には。


 俺はおっさんから自分の力を聞き、それの使い方もすぐに聞いて、例の異世界へもすぐに飛ばしてもらった。処刑人たる自分の役目を果たすために。俺は神と同等の力を得て、慰安所の問題児達を倒しはじめた。


 最初の問題児は、例の青年。おっさんの言っていた、聖騎士の青年である。青年は最初こそ落ちついていたが、俺との実力差を知った後は、俺に何度も「止めてくれ!」と頼んで、見苦しい命乞いをしはじめた。「俺はただ、調子に乗っていただけなんだ! 自分の力に酔いしれて、だから!」


 許そう。そんな事になるわけがない。この場面はたぶん、あのおっさんも見ているだろうからね? 下手に助ければ、大変な事になる(と思う)。おっさんは慰安所に手こそ出さないだろうが、それに等しいペナティーか何かを課してくる筈だ。それこそ、ブラック企業も真っ青になる程に。俺が苦しむような事、不都合な事を押しつけ……いかん、いかん、こんな事を考えてはいけない。これでは、おっさんに気取られる。俺が内心で、思っている事を。おっさんに今、それを知られるわけにはいかなかった。


 だから、躊躇わない。コイツの魂を壊す事も、そして、コイツ以外の魂を壊す事も。本来なら「ダメだ」と思う事も、自分に「これが、自分の役目だ」と言いきかせて、ある時は相手の首を、またある時は心臓を、躊躇わずに潰していった。俺は何千もの転移者、何万もの転生者を殺しつづけた。その結果……。


「ふう」


 処刑が、ただの仕事になった。


「疲れた」


 殺人が、俺の日常になった。


「寝よう」


 俺は自分の野望を胸に秘めて、今日もベッドの上に寝そべった。ベッドの上はそんなによくなかったが、身体の疲れを癒す分には充分だったし、そこで眠るのがもう日課になっていたので、異世界派遣(俺が勝手に名づけた)からしばらく経った頃にはもう、その感触に慣れきってしまった。


 俺は「目覚め、食事、戦闘、入浴、睡眠」の流れを繰りかえし、時々怠ける事はあっても、それ以外は頑張りに頑張って、挙げ句は自分の彼女らしきモノすら作ってしまった。


「ただいま」


 それに応える、「お帰り」の声。彼女の声は柔らかく、ここの住人とは思えないくらい慈悲と愛情に溢れていた。だがそれは、あくまで表面上の事。俺が彼女の前で見せている、一種の誤魔化しでしかない。彼女が得意としている、「NTR」の獲物として。


 彼女は「ざまぁ系」ではお馴染みの、所謂性悪女だった。恋人である主人公の少年または青年を容赦なく、平気で「ごめんなさい」と振れる女性。物語の後で「もう遅い」と言われる、可哀想な悪役だった。それが今、俺の恋人らしきモノになっている。おそらくは、自分の性悪さを楽しむ意味で。彼女は「俺が気づいていない」と思って、自分の自尊心を満たしていた。


「疲れたでしょう? ほら? ご飯、できているから」


「うん、頂きます」

 

 そう言って食べた夕ご飯は、本当に美味しかった。それから味わった、彼女の身体も。彼女の身体は男を知りすぎている所為か、男が思う以上に生々しかった。相手が喜びそうなところを「これでもか!」と突いてくる。それがまるで、「自分の役目」と言わんばかりに。彼女は男の理想をなぞって、その素晴らしい幻を見せつづけた。

 

 だが、それも終わり。この波が去れば、消えてしまう。それこそ、潮が引いていくように。彼女は自分の蒔いた種が原因で、文字通りの男性依存症になってしまった。それは本当に悲しかったが、彼女がこれまでに重ねてきた罪を考えれば、それも「仕方ない事だ」と思った。


 相手の思いを弄べば、特に純粋な想いを弄べば、それ相応の報いが訪れるのである。彼女は次なる依存相手を見つけたが、それがかなりのクソ男だった所為で、暴力の制裁を受けてしまった。自身の命すらも奪う、正真正銘の暴力を。


「彼女は」


 まあいいか。こんな事は、日常茶飯事だし。それにイチイチ応えていられない。ここは、俺が思っている以上にどぎつい世界なのだ。俺はそんな世界に胸を痛めたが、それも一瞬に消えてしまったので、またいつもの仕事、「転生もしくは転移者狩り」の仕事に勤しんだ。


 仕事の成果は、凄かった。俺自身の評価はほとんど上がらなかったものの、世界の治安は着実に良くなってきたし、理不尽なチート野郎も確実に少なくなってきた。社会の人間も、それに振りまわされなくなったし。敵対勢力の方もまた、人間との融和を考えるようになった。彼らは共通の脅威が無くなった事で、その平和をより考えるようになったのである。


 俺は、それが嬉しかった。嬉しかったが、それ以上に悲しかった。こんなに平和な世の中も、いつかは終わってしまう。彼らが俺の事を、世界の真実を知れば、また新しい戦いを始める筈だ。「こうしたい」と思うから始める戦いを、「こうなりたい」と思うから起す戦争を。彼らはただ、束の間の平和を味わっているだけなのだ。


「そう考えると」


 これはやはり、やらなければならない。何よりも俺の手で、俺自身の手で。俺がやらなければ、また俺のような存在が生まれるだけだ。


「そうならないためにも」


 俺は両手の拳を握って、最後の仕上げに取りかかった。最後の仕上げは、思った以上に簡単だった。残りの人数が少なかった事もあるが、神と同等の俺に敵うわけがなかったので、その残党もあっさり倒してしまったからである。俺は最後の一人を倒すと、真面目な顔で自分の頭上を見あげた。


「おい、おっさん?」


 その答えは、無言。だが、そんなのはどうでもよかった。


「聞こえているんだろ?」


 今度は、その返事があった。


「聞こえているぞ? お前の言いたい事は、分かっている」


「そっか。なら、話は早い。俺を早く戻してくれ」


「もちろんだ」


 神様は、例の場所に俺を戻した。あの忌々しい、すべてが始まった場所に。


「ご苦労さん」


「ああ、本当に疲れたよ。あんなにたくさん働かされちゃさ、労基違反にも程がある」


「すまない」


「別に」


 ここで一つ、深呼吸。そうしなければ、このはほぐれない。


「それで?」


「うん?」


「俺はもう、お払い箱か?」


「そう、だな。そうとも言えるし、そうでないとも言える。あそこの治安は、いつ乱れてもおかしくない」


「そうか。それは、本当に……」


 俺は冷静な顔で、空間の中を歩きはじめた。部屋の中にあるかも知れない、一つの希望を探して。


「なあ?」


「うん?」


「あそこの事はどうやって、見ているんだ? アレを確かめる」


「ああ、それは。これだよ」


 彼がそう指さした先には、一つの容器が置かれていた。容器の大きさが洗面器と大体同じ、その中にも水らしき物が入っている……「これで、アレを見ているのだ。あの世界に異常な物が現われたかどうかを」


 おっさんは「ニヤリ」と笑って、俺の顔に視線を戻した。


「これが、どうしたんだ?」


「あ、いや、別に。ただ」


 さあって、ここからが勝負だぞ。一か八かの大勝負。神様もビックリな、一世一代の大勝負だ。


「気になる子がいてさ。消える前にどうしても見てみたくて」


「そうか。まあ、好きにしなさい。その水をもし、零したら。あの世界も、壊れてしまうからな」


 俺は、その言葉に「ニヤリ」とした。それが俺の勝利を告げたからである。


「分かった。それじゃ、すげぇ」


 気をつけるよ。そう言って思いきり、「へっ!」


 零してやった。あの狂った世界を、神の造った休息地を。それが言葉を破って、地面の上に容器を叩きつけてやった。「どうだ?」


 俺は、おっさんの顔に向きなおった。おっさんの顔はやはり、今の光景に固まっている。俺がなぜ、こんな事をしたのか? それがまったく分かっていない様子だった。


「ふんっ」


「な、なにを?」


「って? そんなのは、見れば分かるじゃないか?」


「そんな事を聞いているのではない! なぜ、どうして、こんな?」


「終わらせるため、だよ」


「終わらせるため?」


 俺は、その言葉を無視した。それを聞いてもなお分からないなら、そんな言葉なんて聞く意味がない。俺は射殺すような目で、相手の目を睨みつけた。


「アンタは、屑だ」


「なっ!」


「屑な上に無責任だ。生命の長でありながら、その命と向きあおうとしない。挙げ句は、他人に責任転嫁すらしている。そんな奴は、無責任以外の何者でもない」


 おっさんは、その言葉に怒った。それも、ただ怒ったわけではない。心の底から怒りくるった。おっさんは俺の胸倉を掴もうとしたが、俺の設定をすっかり忘れていた所為で、その身体を投げとばされてしまった。


「くっ、うっ」


 その声は突然、無視。おっさんの声を聞く趣味はない。俺は神様から託された武器を使って、神様の喉元を突きさした。「これは、アンタのやった事だ」


 本当に救うべき魂を、本当の意味で救わなかった。人間の快楽で、それを誤魔化した。アンタは、生命の幸せを……「まあいい」


 そんな事はもう、どうでもいい事だ。神は死んで、異世界も死んだ。それだけが真実、それだけが今の現実である。そして、俺がこれからやる事も。


 俺は自分の喉元に武器をつけて、自分の頭上を見あげた。俺の頭上には薄らと、あの美しい花が咲いている。俺が最期に見た、あの儚い現実が。俺は「ニコッ」と笑って、その現実につぶやいた。


「もしも、叶うなら。今度は、お前になりたい。みんなが喜ぶ花びらに」


 


「なあ?」


 俺は両目の瞼を閉じて、自分の首を引き裂いた。

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