月花の求婚者
緋糸 椎
呂律
「月花さん、これは何と書いてありますか?」
京都・大原のバス停を降りて三千院へ向かう途中、道端の立札に目を止めたティム・シュトレーザーがきいた。早足の彼にやっとの思いでついて来た
『大原の魚山は、仏教音楽である天台
「呂律が回らない、まるで僕の日本語みたいですね」
「そんなことはありませんよ。あなたの日本語は完璧に近いです」
月花はお世辞でなく、心からそう思ってこたえた。
「ありがとう。でもそれはきっと、月花さんのおかげです」
ティムもまたお世辞抜きに、屈託のない笑顔でさらりという。その表情に月花はドキリとする。と次の瞬間、ティムがまた早足で歩き出したので、月花はあわててついていった。
月花とティムは、互いに日本語とドイツ語を教え合う関係、いわゆるタンデムパートナーであった。大学の掲示板でティムの書いたタンデム募集の貼紙を見た月花は興味を覚え、即刻応募した。ところが始めてみるとティムの日本語レベルは既にかなりのレベルで、ほとんど月花ばかりが教わることが多かった。
二人は三千院を見学した後、門前の茶店で休憩した。ティムの希望で店先の赤い
一方ティムは寒がることもなく、木々の新芽を愛おしそうに眺めている。
「この季節が移りゆく感じがいいですね。日本のこういうところが好きです」
ティムは数年前にドイツから渡って来て以来、すっかり日本が気にいっているようで、度々このような発言がある。
「そんなにお好きなら……このままずっと日本に住まわれたらどうですか?」
月花は冗談めかしていった。ティムは真顔でこたえた。
「ええ、日本でお嫁さんをもらって、ここに骨を埋めたいと思っています」
お嫁さん……具体的な候補がいるのだろうか。月花は気になって顔を曇らせた。
「それは素敵ですね」
動揺を隠すように相槌を打つと、ティムは姿勢を正して月花に体を向けた。
「はい、素敵だと思います。だから月花さん、僕と結婚してください」
ティムの真剣な顔を前にして、月花の頭の中は一瞬で真っ白になった。そして何か話そうとするが、……まさに呂律が回らなかった。
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