7人目:望まぬ孤児
そこは常に暖かく、人型の生物が暮らすのに適した世界。
そこは常に忙しい、帝都アルキテラコッタの役所の一角。
ゴーストのハスミは、手に取った書類を見ながら苦い表情を浮かべた。
「これは…」
彼女はそう言って肩を竦める。
そこに書かれていた内容、滅多に見ることも無く…出来る事なら見ない方が幸せな内容を再度読み返す。
読み返して、視線を犬耳を付けた男…コロンの方に向けた。
「僕の仕事だね。間違いなく…でも、これをどうして君が?」
「研修の一環だって言われまして…」
ハスミの問いを受けて、コロンは曖昧な表情を浮かべながら答える。
ハスミが手にした書類には、作業者としてハスミの名が記されている他に、コロンの名前が記されていた。
「研修の一環ね…今後やらない仕事だと思うんだけど」
ハスミは書類とコロンを見比べながら、少しの間考えを巡らせる。
「ちょっと待ってね…」
本来であれば、この仕事はハスミのような"ゴースト"達が行うもので、"獣人"の出る幕は一切無い。
にもかかわらず、この仕事を持ってきたのが、何時も通り"課長"ではなく、新人であるコロンであるという点が彼女の思考を難しいものにしていた。
「君はこの指示を受けてどう思った?」
暫く考えても、少しもそれらしい考えが纏まらなかった彼女は、ふーっと溜息をついた後でコロンに尋ねる。
「どう…と言うと…そうですね。最近作っている術式で行き詰ってて…気分転換させてもらえてるのかなと」
彼の答えを聞いたハスミは、ほんの少し首を傾げると、改めて書類の中身に目を通す。
どうやら、彼はこの指示書に書かれている内容を完全には理解できていないらしい。
「なるほど…研修の必要アリ…か」
ハスミはそう言って、着物の帯から煙草を取り出し、咥えて火を付ける。
ほんの少しだけ煙がかっている執務室に、新たな紫色の煙が加わった。
「外に出る準備を」
・
・
執務室を後にして、役場の外に出た2人。
アルキテラコッタ特有の硬い土の道も、人混みも、ハスミは意に介さずに進んでいく。
地面の少し上を浮遊し、実体を持たぬ体は人をすり抜ける。
それに付いて行くコロンは、悠々と進んでいくハスミの横を忙しなく付いて行った。
「便利だよ。幽体って」
交差点で止まった時。
ハスミは少し遅れてやってきたコロンの方を見て冗談を飛ばす。
死者の体…魂だけになった存在…一般的に有り得ないとされる超常的な存在が彼女なのだ。
コロンは苦笑いに似た表情を浮かべて、何も答えられなかった。
「その反応を見せるってことは、君もここに居る"一般人"と同じ認識ってことだ。僕に対してね」
コロンの反応を見たハスミは、そう言って合点が行ったように頷いて見せる。
コロンは首を少し傾げた。
「え…?ハスミさんは死んでそうなったんじゃ……」
コロンの言葉を受けたハスミは、薄っすらと口元に笑みを浮かべると、手を"実体化"させてコロンの頬に手を当てる。
「え?……え?…」
「暖かいでしょ?でも、ゴーストは冷たいはずだよね?」
人が行き交う交差点の角。
気取られぬように潜めた声。
コロンは、彼が知る"ゴースト"に対する常識から随分と離れた現象に目を丸くするしかなかった。
ゴーストは死者の魂がこの世に残った存在。
実体は持たず、物を触る事は出来れど、何かを取り込むことはできない。
ゴーストの魂は…存在はとても冷たく、触れられると冷気を感じられる。
そんな"当たり前"の常識の1つが、いとも簡単に崩される。
コロンはハスミの目をじっと見つめて、彼女の次の言葉を待っていた。
「君はあの職場に慣れてしまったようだけど、ホラ。ちゃんと煙草を吸えるんだ」
ハスミはそう言って、コロンと行動し始めてから2本目となる煙草を手にして口に咥える。
マッチでそれに火を付けると、フーっと、明後日の方向に煙を吐き出した。
「"帰還省"に居るなら、僕達"ゴースト"の存在もしっかりと理解しないとね」
ハスミはコロンにそう言うと、再び歩き始める。
コロンは困惑した表情を浮かべたまま、ハスミの横に付いてくる。
「どういうことなんですか?」
「それを今から学びに行くのさ」
コロンからの問いを、サラリと交わすハスミ。
彼女の横顔は、ほんの少し小さな笑みを浮かべている以外に変わりは無かった。
「整理しよう」
ハスミはそう言って、咥えていた煙草を取って火を消し、ゴミ箱に捨てた。
「目的地は、そこの角にある公共孤児院…今回の"帰還対象"はそこに居る赤ん坊」
「それとゴーストとが関係あると?」
「そう。今回の仕事が思った通りに進むかは運だけどね」
ハスミはそう言って、コロンの方に目を向ける。
「ヒントをあげる」
コロンに目を向けて、そう言った彼女は彼の頬に指を当ててツンと突く。
その指を…人差し指を、顔の前に掲げた彼女は、コロンを試すかのような態度を見せて、小さく口を動かした。
「"この世界では"僕も"孤児"だった」
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