二百五十九話目 悪魔の存在証明

 目が覚めた時、俺たちは相変わらず鉄格子の中にいた。先ほど無理やり歪めて脱出しようとしたせいなのか、形作っている鉄の棒一本一本が、前よりも二回りは太くなっている。

 叩いてなんとかしようという気力を奪うような太さだった。


 この檻を作り出した褐色の肌を持つエルフが一人、椅子に腰を下ろすような体勢で、こちらをじっと見ていた。

 ような、と言ったのは、そのエルフが何もない場所に座っているようにしか見えなかったからだ。しかしよく目を凝らしてみれば、透明なガラスのような椅子に座っていることがわかる。

 つい最近まで似たようなものを叩き続けていた俺は、それが障壁の魔法によって作られた椅子であることを理解した。


 周りに他の者の姿はない。


 相手が一人になったことに気を大きくしたものが、エルフに向かって乱暴な言葉を吐いていたが、彼女は眉をピクリと動かしただけで、じっとそこに座っていた。


 やがて全員が目を覚ましたところで、エルフは立ち上がり、無言のまま俺たちに指先を向けた。


 何をしているのかわからないが、嫌な感じがして、後退ると、仲間にぶつかってしまう。さほど広くない牢屋の中では、みじろぎもろくにできやしない。


 檻の四方に小さな、拳大くらいの炎の球が浮かんだ。

 エルフが手のひらを閉じる。するとそれがぷくりと膨らみ、直後轟音が耳を殴りつけた。

 目の前が真っ赤に染まり、何かが吹き飛んだのが見えた。全員が自然とうずくまり、その場で耳を塞いだ。


 ほんの一瞬で音がおさまる。

 恐る恐る目を開けると、周囲にあったはずの檻がなくなって、足元に赤熱した鉄の棒が、ぐにゃりと曲がっていた。


 異常な爆発が恐ろしかった。檻がなくなったなら逃げるのは当然だった。

 腰を抜かしてしまった俺以外のほとんど全員が、一斉にエルフとは反対の方向へ逃げ出そうとして、何もない空間に退路を阻まれた。


 当たり前だ。あのエルフだって障壁を使うんだ。簡単に逃してくれるはずがない。終わりだ、もう終わりなんだ。こんなところに来るべきじゃなかったんだ。

 そう思った顔を歪めていると、仲間達が俺の頭の上を指差して、俺から必死の形相で離れていく。とはいえ逃げられる空間は限られているから、全員が見えない壁に張り付いているだけだ。


 俺は恐る恐る頭の上を見る。


 先ほど四方に浮かんでいた火の玉が一つ、膨らんだり縮んだりを繰り返していた。


「た、た、たすけて、許してください……」


 掠れた声が出た。おそらく少し離れた場所から歩いてきているエルフにその声は届いていない。


 エルフが近づいてくるにつれて、仲間達はその反対側へずりずりと移動していく。俺はというと、あまりに恐ろしくて、自分が一歩移動した瞬間この火球が爆発してしまうような気がして、ほんの少しも動くことができなかった。


 全員が命乞いを始めたのを見て、エルフの整った眉がまたピクリと動く。


「少し、静かにしてもらえますか?」


 命乞いに必死な連中はそれに気づかない。彼女を怒らせた結果どうなるかがわからないのだろうか。彼女と一番距離の近かった俺は、生涯一番になるであろう大きな声をあげた。


「こ、この人が!静かにしろって言ってるだろぉぉぉおおっ!!」


 ピタリと静まったのを見て、エルフはうっすらと微笑み口を開く。


「ご協力ありがとうございます」


 俺はその笑顔に、僅かな期待を寄せて、掠れた声でお願いをした。


「あ、あの、こ、殺さないで……」


 スッとエルフの表情がまた冷たいものに戻る。


「それは、あなた方次第です。まずは黙って話を聞いてください」


 俺は慌てて口を両手で押さえた。息の漏れ出しですら咎められて殺されるんではないかと思えたからだ。

 エルフは低くとおる声で、俺たちに告げる。彼女の話し方には感情が乗っていない。何かを読み上げているような淡々とした口調は、余計に俺の恐怖心を煽った。


「その火の玉は、爆発するとあなた達を一瞬で絶命させます。大丈夫、苦しみません。命令をうけて私の仲間を攫おうとしたんです。命令のために死ねますね?」

「し、死にたくない!」


 金切り声を上げた男が、周囲の仲間に殴られて組み伏せられた。だれもが彼女の機嫌を損ねたくなかった。


「……死にたくないんですか?」


 俺は懸命に何度もうなづいた。当たり前だ、死にたい奴なんているわけがない。


「……でも、何度も狙われても困るんです。あなた方を今ここで全員殺してしまえば、しばらくの間襲撃を避けられると思うんです。それともあなたたちを今ここで殺さなかったら、私に何かいいことがあるんですか? …………ああ、話してもいいですよ、手前の人から一人ずつ」


 俺は震える手を口から外して、必死に考える。頭の上にある火の玉がさっきより少し膨らんでいるように見えた。


「おお、お、俺たち、帰ったら、次に派遣される奴らの邪魔をします! 絶対に次のやつを来させません」

「できるんですか? そんなこと」

「やります、命に代えてもやります!」

「死にたくないのに、そこでは命をかけられるんですか?」


 エルフに言葉を返されて、緊張で吐きそうになった。冷たい瞳が俺のことを射抜くように見つめている。死ぬんだ、やっぱりここで死ぬんだ。くるんじゃなかった。首になってもいいから、こんな訳のわからない任務断るべきだったんだ。


 エルフが笑って、手のひらをコチラに向けて、ぎゅっと握った。


 死んだ。


 目を閉じるが、熱波も轟音も襲ってこない。


 ゆっくりと目を開けると、彼女が相変わらず俺のことをじっと見つめていた。


「一度だけ信じましょう。上を見てください」


 俺の真上に浮かんでいた火の玉が、上空に浮かび上がり、そして突如巨大化した。

 人を数十人飲み込んでもまだ足りないくらいの、太陽のような巨大な火の玉だった。



「あれが爆発した時にどれくらいの被害が出るのか、私には想定できません。しかし、もし約束が破られたとしたら、あれをあなたたちの街で爆発させます。どれだけの犠牲が出るかわかりませんが、約束を破らなければ問題ありませんからね。約束を守れる人は、全員その場に武器を捨ててください」


 まるで熱いものでも触った時のように、全員が慌てて武器を投げ捨てた。


「では、帰っていいですよ。くれぐれも約束はお忘れなく」


 壁に張り付いていた仲間達が、急に支えを失ってその場に転がった。腰が抜けていた俺も、命が助かると聞いて、這いずるようにしてエルフから距離をとり、震える脚を殴りつけて立ち上がり、一度も振り返ることなくその場から逃げ出した。


 この世にはいるのだ。

 理解できないほどの実力を持った恐ろしい悪魔が。あの絵本の話は嘘じゃなかったんだ。


 足が動かなくなるまで走りつづけて、日が完全に落ちたところで、俺はその場に倒れ込んだ。


 息が苦しい。

 生きてる、俺は生きてる。

 夜空を見上げながら呼吸を整える。


 ああ、そうだ。早く帰って、鉢植えに水をやらなくては。そんな日常を思い出しながら、俺は地面と一体化するように、そのまま眠りに落ちた。

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