百五十五話目 生き方の訓練

「そんなに、私は分かりやすかったですか?」


 もしそうだとしたならば、対応が変わってくる。至急仲間たちに相談して、コーディの下へ走り帰ったほうがいいかもしれない。

 ノクトは障壁を浮かべてから、のんびりと返事をした。


「いいえ、少し返事まで間が空いたから、何か考えたのだなぁと。それからわざわざ私にそれについて尋ねてきたので、これは何かあるのだろうと、今かまをかけました」

「それにのせられたわけですか……」

「そういうわけです。訓練しながら話しましょうかぁ」


 ノクトが浮かんだ障壁を指さして、ハルカに訓練の継続を促す。

 障壁を叩くと音もなくそれが割れる。割れるエフェクトが見えると、ぱりんという音が聞こえてくるような気がするが、実際には無音だった。

 魔法はイメージだ。きっとノクトが分厚いガラスをイメージして作っているから、こんな風に割れる様まで見えるのだろう。


 何度か叩いてみてわかったのだが、二枚目の障壁は一枚目の物よりかなり薄く作られている。ノクトは結構意地悪だ。効率的な訓練をしてくれているだけなのだろうけれど、伝える言葉が少ない。


 しかし本来ものごとを教わるというのは、こういうことなのかもしれないとハルカは思う。

 元の世界では新しいことを学ぶとき、丁寧な説明書が用意され、調べれば詳しい解説を見つけることができた。

 しかし時間を空けてもう一度同じことをしようとしたとき、又説明書を開き、解説を探す。つまりその場しのぎで何も身についていなかったということになる。

 薄い知識と経験を何枚重ねても、実践で身に着けてきた技術ほどの応用が利かない。

 自分が今その技術を身に着けようとしているのだと思えば、無駄にも思えるこの反復が有意義なものに思えてきた。


「ハルカさんに不足しているものは、自信と経験、それに勇気でしょうかねぇ。勇気がないから経験を積まない、経験がないから自信が生まれない、自信がないから勇気が湧かない」


 障壁を次々と浮かべながら、ノクトは相変わらず間延びした口調で話を続ける。ハルカがその話を聞こうと動きを止めると、首を振って訓練を継続するように言った。


「あなたの身体強化魔法は、特級冒険者をも凌ぐレベルだと思います。治癒魔法を使っても、特級である僕とそん色ないどころかそれを上回ります。それでも今のままではきっと、この世界で最高峰の武人には勝てません。どんなに能力が上がろうとも、あなた自身のありようを変えない限り、それはそのままでしょうねぇ。あぁ、二枚目の障壁を割ることを恐れるより、一枚目の障壁が割れないことを避けましょうねぇ。失敗してもリスクはないんですから、挑戦する気持ちが大切ですよぅ」


 この体になってからは体力が無限にあると思えるくらいに疲労したことがなかった。それなのに障壁を息つく間もなく割り続けていると、頭に靄がかかったようになってくる。これはハルカが今まで生きてきて、体験したことのない状態だった。


 ただ疲れているのではなくて、精神が摩耗して行っていることにハルカは気づかない。


「ハルカさん、もしあなたが力を自由に制御したいと思うなら、この訓練を一人でもできるようにするといいですよ。いつだって僕が一緒にいるわけではありませんからねぇ。三回続けて成功したら、一枚目の障壁をもっと堅くして再開します。今日は時間の許す限り訓練をしてみましょう」


 時間が刻々と過ぎていく。

 患者が新たにドアを叩くこともなく、窓のない部屋にいると時間の経過もわからない。

 ハルカは途中で何度か嫌になったが、ノクトの出す障壁を只管に割り続けた。


 幾度も幾度も同じ動きを繰り返すうちに、だんだんと思考と動きを分離させることが出来るようになってくる。いつもほどクリアに物事を考えられるわけではなかったが、それでも障壁を割りながらハルカは考える。


 自分はこの世界に来てから、仲間たちと一緒に旅をしたいと思ってきたが、その為に心を削るような努力はしてこなかった。

 何かあれば、身を引いてしまえばいいと思っていた。

 前に一度そうしようと思った時も、アルベルトが声をかけに来てくれなければ、本当にそうなっていた可能性すらある。


 自分が、人に理解してもらう努力や、人と一緒にいるための積極的な努力を、今まで殆どしてこなかったのだと思う。

 受け身で、うまくいかなかったら相手を優先することは、どんどん自分の居場所を窮屈にしていっているのと変わらない。


 いつもそうだった。

 親と話したときも、どうしても聞いてほしいと強く伝えれば聞いてもらえたかもしれない。

 彼女と別れたときも、自分の気持ちを吐露していればまた違った結果が見えたかもしれない。

 今までだって何度かこんなことを思ったことがあるのに、しばらくするとまたそれを忘れて、人との摩擦を生まない選択をしてしまう。


 確かにノクトの言うとおりだ。

 自信がなくて、経験せず逃げて、だからいつまでも勇気を持てずに卑屈だ。


 物語の主人公たちは、挫けることもあったけれど、いつだって体でぶつかって行って、大事な場面で勇気を振り絞れた。


 障壁を叩き続けるのはしんどいけれど、自分に自信を持つために、これからは毎日訓練をしよう。アルベルトが毎日素振りをするように、自分も何かを積み上げよう。


 こんな決意も時間が過ぎれば、いつも忘れてしまっていたけれど、毎日訓練をすればその度思い出すことができるはずだ。


 ハルカは無心で障壁を割り続ける。


 この訓練は夜になって、心配したコリンが迎えに来る時まで続いた。



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