百三十六話目 師弟?

 オクタイを叩いたときのことを思い出しながら、一度コツりと障壁に拳をくっつけて、距離を測る。

 振りかぶって叩けばいい。

 今回は人を叩くわけではないから、前よりもっと力を込めてみても大丈夫なはずだ。


 ハルカはべた足で立って、腕だけを振りかぶって障壁に向けて拳を突き出す。


 ノクトは格闘技に詳しいわけではないが、何度もこの障壁で強者の攻撃を退けてきた経験がある。その経験から言えば、ハルカのそのパンチは、とても褒められたフォームではなかった。

 本当に腕の力だけで繰り出されたパンチである。


 障壁は柔軟性があるが、ある程度までたわむと破けるようになっている。

 ハルカの身体強化がどれほどのものであるかが分からなかったので、念のため障壁を二重にしてあった。しかし、ハルカの拳が突きだされたあとには、どちらの障壁もなくなっていた。


「あれぇ……?」


 咄嗟に何が起こったかわからなかったが、障壁がないということは、あの不格好なパンチがそれをぶち破ったということになる。

 ノクトは間の抜けた声を出して、目をこすった。


「ど、どうでしょうか?」


 自信なさげなハルカの声が聞こえて、ノクトははっと我を取り戻す。


「驚きました。そんな簡単に破れるようなものを作ったつもりはなかったんですけどねぇ……。多分身体強化だけで言うなら、特級冒険者レベルでしょう」

「そうですか……。やっぱり変ですよね、これ。どうしたらいいんでしょう」


 ノクトの驚いたような顔を見たとき、ハルカは不安になった。

 特級冒険者の得意とする障壁を、素人の見様見真似のパンチで破ってしまった。

 努力もせず、目標もなく、強い意志もない自分がそんな力を持っているのが怖かった。

 この調子だと魔法だってやっぱり異常なんだろうと思う。

 自分がこの世界の異物であると突き付けられてしまったような気がした。


「よぉし、では今度は本気で障壁張りましたからねぇ。もう一回やっていいですよ、もう一回!」


 むむむっとまじめな顔をしていたノクトは、ハルカの質問に返事するために考えていたのではなくて、障壁魔法を一生懸命展開していたようだ。先ほどと同じところに、同じ色をした壁ができていた。


「また、叩いたらいいんですか?」

「はい、さっきと同じ感じでいいですからね」


 これがまた破れてしまったらどうなのだろうと、ハルカは思う。


 さっきとは違い本気で張ったと言っていた。ぽっと出の変な奴に障壁を破られて、ノクトが嫌な気持ちにならないだろうか。

 いや、こんなことを思うこと自体が相手に失礼なんじゃないだろうか。相手の実力を信じていないということだ。

 でも、だけど、しかし。


 障壁の前に立ったまま悩んでいるハルカに、ノクトが首をかしげて尋ねる。


「ハルカさんは悩み事が多いみたいですね。時間を作ってまたお話を聞きますから、今は障壁を叩いてみてください。自信作ですよぉ。ダメだったら改良をします!」

「破られるのが嫌ではないんですか?」

「はい、嫌ではないですよ?障壁魔法は僕の手段の一つであって、破られたからって今すぐ死んでしまうわけではありませんから。ハルカさんの身体強化のテストと、僕の障壁のテストです。さぁやってみましょう」

「本当にいいんですか?」

「あ、破る自信があるんですか?思っていたより強気ですね」

「そ、そうではなくて……」

「いいんですよ、ほら、遠慮なく」


 にこにこと笑いながら急かすノクトに、ハルカは破れかぶれになって拳を振り上げた。インパクトの瞬間ぐにゃんとゴムまりを叩いたときのような感触がして、拳がそれにめり込んでいくのがわかった。

 変な感触だ、と思った直後それが跳ね返るような動きをした。

 ただ足を横に開いて立っていただけのハルカは、拳が戻る勢いに押されて、床に後頭部から高速で叩きつけられた。

 地響きと共に天井から小さな石がぱらりと落ちる。


 目に映るのは天井。

 頭は床に半分埋まり、景色が吹っ飛んだ驚きで、声も出ない。


 障壁、破れなかったんだ。


 そう思った時、間抜けであったろう跳ね返った自分の姿や、今の自分の状態を思って、ふふっと笑いが込み上げる。

 一度笑い出すとそれが止まらず、続けてずっと笑ってしまっていた。


 ノクトが、少し慌てた様子で駆け寄ってくるのが見える。

 彼が声を出す前に、手を挙げて答える。


「痛くないです、大丈夫です。すごいですね、障壁」

「身体強化がしっかりできてるから、大丈夫だろうと思ってたけど、よかったぁ」

「ふふふ、ありがとうございます」

「何か面白かったですか?」

「……いえ、なんだか心配ばかりしていたのがバカらしくて。吹っ飛んだら考えていたことまで頭から飛んでしまったみたいで……」


 頭が床にはまっていて上手く抜けずに、面白くてまた笑ってしまう。


「急に元気になりましたねぇ。悩み事はなくなったんですか?」

「あぁ、いえ、それはやっぱりそのうち聞いてください。それからやっぱり師匠って呼んでもいいでしょうか?」

「えぇ……、戦ったらたぶんあなたの方が強いですよ?」

「ダメですか?」

「うーん、そんなに呼びたいならいいですけどぉ……」

「ありがとうございます」


 手をハルカに差し出しながら、ノクトは呟く。


「自分より強い弟子ですかぁ……」


 ハルカはノクトの手を握り、立ち上がろうと引っ張る。

 結局綺麗に床にはまってしまっているハルカが、うまく抜け出せず、ノクトも床にずべっと転んでしまった。


「痛い……。僕は身体強化できないかよわい獣人なのに……」

「あ、治しますよ、師匠」


 無理やり起き上がったハルカが、ノクトに治癒魔法をかけて笑っているとドアが勢いよく開いて、クダンが飛び込んできた。

 部屋をぐるっと睨みまわしてから、床に座り込む二人をジトっとした目で見る。


「すげぇ音がしたから飛んできてやったのに、何やってんだよお前ら」

「ちょっと師弟の戯れを……」

「は?お前ら師弟だったのか?」

「今なったんですよぉ」

「あっそ。確かにお前ら雰囲気似てるな。どうでも良いけど、馬鹿みたいに騒ぐんじゃねぇよ。いちいち見に来る方の身にもなれ」


 頭をがりがりとかきながら、そう言い捨ててクダンは扉をバタンと閉めて去って行く。


 ノクトはドアをほんの少しだけ開けて、クダンの後姿を見送っている。

 やがて見えなくなったのか、そーっとドアを閉めて部屋の中へ戻り、ニコニコと笑いながら、改めてハルカに提案をしてきた。


「よし、じゃあ今度は魔法のテストしましょうかぁ」

「それ絶対クダンさんに怒られるので、またあとでお願いします」


 クダンはこの調子で懲りずに攫われるノクトをいつも助けに行っているのだろう。

 わが道を進むノクトを見て、ハルカは笑いながらその提案を却下した。





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