三十四話目 コリン=ハンという少女

 彼女が初めて恋心を抱いた相手は一人の冒険者だった。その男は物心ついた時からずっとそばにいて、行商する父を守ってくれていた。快活で、力強く、そして優しい、第2の父のような存在だった。

 魔素をよく体に通すものは、体内のなにかが活性化しているためか、老化が遅い。その冒険者は父と同じ年齢のはずだったが、見た目は若々しく、憧れを抱くのも無理はない様な容姿をしていた。

 彼は眠る前にいつも冒険の話をしてくれていた。それはワクワクするような、ドキドキするようなものばかりだった。成長した今となっては、冒険者の良いところばかりを誇張して話してくれていたのもわかっているが、それでも憧れを抱いてしまうくらいには素敵な物語だった。

 その話の中には美しい魔法使いの女性が幾度も出てきて、その人の話になると少し照れ臭そうに話す彼に、コリンはいつしか嫉妬するようになっていた。

 やがてある時、それが彼の妻であったこと、それからすでに他界していることを知る。それなら自分にも、と意気込んでいた時期もあった。しかし彼がその魔法使いの話をするときの表情は、いつだって恋をする少年のようだった。

 コリンは、もういない相手を思ってそんな表情ができる彼を素敵だと思ったが、同時に、自分が入り込む隙間なんてないんだと悟ってしまった。コリンの初恋はその時に終わった。


 ただ、だからと言ってコリンが抱いていた憧れまでが消えてしまうわけではなかった。彼の息子であり、幼馴染であるアルベルトと一緒に、いつか自分も冒険者になるんだと意気込んでいた。




 ところでコリンはハン家の4人目の子供だ。上には兄が二人と姉が一人いる。両親は決してコリンのことを蔑ろにしていたわけではなかったが、生意気盛りの上の兄弟に、軌道に乗ってきた商売と他に気にすることが多く、たくさん構ってやることはできなかった。子育てもこなれてきたのか、構いすぎなくても子供は育つことも知っていたので、親友である冒険者にすっかり懐いているコリンは比較的放置されて育った。

 両親はまさか娘が冒険者になるなんて言い出すとは思っていなかったが、あまり構ってやれなかったという負い目もあり、渋々それを許可した。ただし、せめて武術をと思い、武の達人を雇い、旅立つ前の数年間をかけて、コリンにそれを習わせたりはしたのだが。


 そうしてコリンは冒険者になった。年々初恋の人に似てきたアルベルトに複雑な思いを抱きながら、大きな希望を持って冒険者となったのだ。


 ただコリンには秘密があった。これはアルベルトと自分しか知らないことであったが、コリンは絶望的に方向音痴だった。

 地図と何度睨めっこしても、どんなにひっくり返しても、目印を頼りにしても目的地に辿り着かない。地図の向きを変えるのも、動くものを目印にするのも典型的な方向音痴のそれだったが、秘密にしていたせいで誰もそれを教えてくれる人はいなかった。


 コリンが新人研修で一緒になった二人をパーティに誘ったのは、有名な特級冒険者がそうして成り上がったという話を聞いたことがあったからだ。

 二人とも口数が少ないし、とっつきにくいタイプのように思えたが、ようやく訪れた冒険者としての旅立ちに興奮していたので、そんなことは気にならなかった。

 珍しい種族である獣人族に、もっと珍しいダークエルフという組み合わせも、まるで物語のようで、ワクワクが止まらなかった。




 冒険者としての活動が始まると、現実を直視することになる。最初のうちはろくな仕事がないのは初めから知っていたが、思った以上に地味でおもしろくなかった。毎日アルベルトがぐちぐちと言ってくるのもつまらなかった。アルベルトは年齢より子供っぽくてそう言うところが嫌だった。

 モンタナは石を削ってばかりで何をしているかよくわからないし、ハルカもあまり喋らない。つまらなかった。


 ある日、仕事が早く終わり、モンタナとコリンだけが食堂で二人を待つことがあった。いつもより集中して作業をしているモンタナに口も挟めず、頬杖をついてそれをじーっと見つめる。よく見てみると、どうやら指輪にはめる石をずっと加工していたようだった。

 最後の工程を終えたのか、満足そうな顔で息を吐いてモンタナが顔を上げる。彼は表情はあまり変わらないが、耳や尻尾や姿勢で、どんな感情を抱いているかがわかる。そのことに最近気づいて、それからは少し面白いなと思っていた。


「あげるです」

「え?くれるの?」


 そのまま差し出された指輪をそのまま手に乗せられて、困惑する。


「できたからあげるです」

「あ、ありがとう?」


 彼が何を思ってくれたのかはやっぱり理解できなかったが、嬉しそうに胸を張っていたのでそのまま受け取ることにした。コリンは商人の子供であったから、ある程度の審美眼をもっていたが、その指輪はなんだか、とても精巧で、はめられた石は不思議な光を放っていて、とても悪くないもののように見えた。

 ちらりとモンタナの方を窺うと、モンタナがダボついた袖の中からいくつかの石を取り出して、見比べ始めていた。また何か作り始めようとしてるらしい。

 モンタナが一体どんな人物か、やはりまだよくわからない。しかしどうやら彼なりに自分を仲間と思ってくれているらしいことは理解できる。コリンはすこしほっこりとした気分になった。

 それから前より少し、皆と一緒に食堂に集まるのが楽しくなった。





 ハルカというダークエルフもなかなか曲者だった。冷たそうな、凛々しい美人であるのに、話し方は丁寧で、実は他人にすごく優しい。気づけば目にハートを浮かべてハルカのことを目で追っている男がたくさんいるのだ。彼女は無自覚でそれらしく、視線にも気づかない。

 そして付き合いが長くなるほどわかるのだが、彼女は少し抜けていた。お金の管理だったり、自身のことだったり、それは多岐にわたる。ただそのことに多くの人は気づいていなかった。彼女の見た目と、感情の現れない表情がそれを隠していた。

 ハルカのそばにいるとちょっとしたトラブルが絶えない。あまりに世間知らずなので、聞いてみたことがあった。


「ハルカ……、あなた一体今までどうやって生きてきたのよ……」


 彼女は他人にはわからないくらいに、ほんの少しだけ困った顔を浮かべてコリンに答える。


「私、冒険者登録する前日より前の記憶がないんです」


 いつも迷惑をかけてすいません。と謝るハルカに、コリンは慌てた。


「謝んないでよ、何それ、しらなかった。そっか、なんかごめんね」

「気にしないでください、コリン達がいつも助けてくれて助かっています」


 ほんの僅かに微笑んだ顔に、思わず見惚れてしまう。そんなんだから彼女からは目が離せないのだ。コリンはハルカの様子を見て、まるで物語の主人公みたいだなと思っていた。


 もしかして、新人研修で二人を誘ったのは、ものすごい英断だったんじゃないかと思う。日がたつにつれ、このメンバーと冒険者として過ごす毎日は、コリンにとってとても楽しいものに変わり始めていた。

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