七話目 街の様子

 外はよく晴れており、麦わら帽子でも欲しくなるような陽気だった。

 長袖のジャージでうろつくには少々暑くなりそうだが、脱ぐと痴女になってしまうので仕方がない。おじさんの体のままであれば、ランニングシャツ一枚でも許されるのに。元に戻らないだろうか。


 街を歩く人達は、いわゆるファンタジー世界にはおなじみの、中世っぽい格好をしている人が多い。比べて私は赤ジャージのおじさん、もといダークエルフなので、もう目立ちまくりの浮きまくりだ。

 そんなだから当然目立つし、注目を集めている。

 普段人の視線を浴びずに生きてきたので、居心地がひどく悪かった。


 街を歩いていると、人々の生活水準が一定でないことがなんとなくわかる。

 身なりが整った幸せそうな家族もいれば、うつろな目をして歩いている人もいる。

 果たして自分はまともな生活を送ることができるのだろうか。実力だけで生きていくとして、いったい何ができるというのか。

 路地裏でぼんやりと地面に座っているだけの人に、明日の我が身を重ねて不安になる。


 そんな私の心模様など知るよしもなく、子供達はこの世界でも元気に走り回っている。

 思春期前は、仲間達とただその辺を走り回っているだけで楽しいのかもしれない。今はおぼろげな記憶しかない、自分にもあったはずの若かりし頃に思いをはせる。私もあんなふうに遊んでいたのだろうか。

 いや、ああいうタイプではなかったような気がする。


 そのころに戻って無邪気に駆け回りたいと思うには精神がおじさんになりすぎたが、しかし彼らの現状を微笑ましく見送るくらいにはまだ若い。いや、ほほえましく見送れるくらいに年を取ったのか。


 少年達が私の方に向かって走ってくる。

 友達の方ばかり見ているので、このままではぶつかってしまうだろう。

 半歩ばかり横にずれて、道を空けてやると、子供達がダボついたジャージをこするようにして通り過ぎていく。

 何かに夢中になると、周りのことがあまり見えなくなるものだ。誰かにぶつかったりして怒られないといいのだけれど。


 そんなことを考えていると、そのうち一人の腕をラルフ青年が乱暴に捕まえた。

 何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。彼の私に対する態度を鑑みるに、それほど暴力的な人ではないと思っていたのだけれど。


 彼の失態と同じカテゴリとして封印していた記憶を引っ張り出してみたところ、彼は初対面で私に対して刃物を向けていた。そして結構興奮していたようにも思う。


 もしかしてもしかすると、突然ぶちぎれて、子供に襲い掛かってもおかしくはない人なのだろうか?

 冒険者って、この世界におけるヤンキーとか、その筋の人ポジションなのだろうか?

 だとしたらもしかして、やばい人に借りを作っているのではないだろうか?


 いや、そんなことよりも今は子供を助けてあげなければならない。

 私が、『これこれ青年よ、許してやりなさい』と声をかける勇気を奮い立たせようとしていると、彼は意外と落ち着いた口調で少年に語り掛けた。


「それを彼女に返すんだ」

「くそ! いらねぇよ、こんなもん!」


 そうしてバシッと、私に向けて何かが投げられる。

 思わず受け取ってしまったのは、手の平よりも一回り大きな、黒い革で装丁された手帳だった。ぱらっとめくってみると、昨日の夜に私が書いた文字が確認できる。


 少年は乱暴にラルフの拘束を解いて、そのまま雑踏へとまぎれ消えていく。


「捕まえておいた方がよかったですか?」

「……いいえ、取り返していただき、ありがとうございました」


 申し訳ない気持ちと、精一杯の感謝の気持ちを込めてラルフ青年に頭を下げる。

 表情を出すのが得意ではない私の、できうる限りの申し訳ないフェイスなのだが、伝わっているだろうか。

 若い新入社員に優しく教えているつもりが、怒っていると勘違いされてしまうくらいには、私は表情筋が固いのだ。


 何が無邪気に走り回る少年だ。何が私の心模様を知らずにか。誰がヤンキーで、筋者で、ヤバいやつだというのだ。

 ヤバい間抜けはここにいる私のことである。


「その手帳が革張りされているので、財布に見えたのでしょう。ポケットは便利でしょうけれど、スられやすいので気を付けた方がいいですよ」


 今後そうさせていただきます。いただいたものを早々にすられるような世間知らずのおじさんですみません。

 恥ずかしさと情けなさを感じながら、子供の去っていったほうを見ながら質問をする。


「あれくらいの……、子供でも、スリをするのは普通のことなのですか?」

「そうですね、子供は女性を狙います。何かあっても見逃してくれる可能性が高いので。スリは……、スラムに暮らす子達の貴重な収入源です」


 意外なほど細かな事情まで教えてくれた。

 今はこんな優男のような見た目で身なりも整っているが、彼も恵まれた境遇で生きてきたわけではないのかもしれない。


「少し懲らしめてやったほうがよかったかもしれません。あの実力でスリを続けていたら、そのうち腕を落とされるか……、下手すれば殺されてしまうかもしれない」


 物騒な世界だ。

 話だけ聞いていると、普通のファンタジーな世界なのに、いざ事情を知ってしまうと厳しい社会が垣間見える。現実感のない状況のせいで、私はこの世界をどこか画面越しに見ているような気分だった。


 テレビゲームとも小説とも違う。目に入る人、みんなが生きている。


 冒険者という職業が成り立っている以上、巷には私の想像もつかない様な危険が蔓延っているのだろう。安全に、普通に暮らすということの難易度もきっと高いはずだ。その証拠にさっきの少年達は、あの年齢ですでに厳しい社会の中に放り出されている。


 ボケっとしていると、あっという間にこの世界に食い殺されてしまいそうだ。

 もっとも、気を付けたからってどうにかなるとも限らないのだけど。


 街を歩いていると、ラルフ青年はあちこちから声をかけられる。


 私、つまり女性を連れていることで冒険者らしき人物からからかわれたり、他の女性から桃色の声で語り掛けられたりしている。

 ラルフ青年はどうやら大層おモテになるらしい。

 私のことを「美人なねーちゃん」と呼称する人々がいたが、残念ながら中身はおじさんだ。見た目に騙されてはいけない。


 穏やかな語り口調に、優しそうな顔立ちをしているから、さもありなんといったところだ。嫉妬するつもりはないけれど、私は心の中で呟いてみる。


『彼、昨日お漏らしをしたんですよ』


 虚しくなったし、自分が嫌いになりそうだったのですぐにやめた。親切にしてもらっている相手に対してあまりに失礼だ。その件について触れないというのは、男と男の約束だったはずだ。私が勝手に心の中でした約束ではあるのだが。


 横に大きく伸びる建物の前まできて、ラルフ青年は足を止めた。


「ここが〈オランズ〉の冒険者ギルドです。中に入って手続きをしてしまいましょう」


 私は足を止めて、ラルフ青年の背中を見つめる。手続きが済んでしまう前に、彼に尋ねてみたいことがあった。


「……待ってください。失礼な話ですが確認をさせてください。あなたはどうしてこんなに親切にしてくれるのでしょうか? 金銭的なものはいつか必ず色を付けてお返しするつもりです。しかし、こんなに親切にしてもらえるほど、私に何かがあるとは思えません」

「それは……うーん」


 ラルフ青年は建物に入るのをやめて、すぐそばにあるベンチへ向かった。

 「あー」とか「うーん」とか言っているところを見ると、もしかしたら本当にただ親切にしてくれていただけなのかもしれない。


 ベンチに腰を下ろした彼は隣に座るよう勧めてきたが、私は首を振ってそれを拒否した。自分でもはっきりとわからないが、話はこのまま立って聞いているほうがいい気がした。


「俺ってそんなに戦うのは上手くないんですよ。入念な準備と直感で生き残ってきたタイプ。で、その直感がヤマギシさんとの縁は大事にしろって言ってる気がするんですよね。これでは納得できませんかね?」


 無理やりひねり出したような言葉に聞こえた。

 世話になっている以上、言いたくないことを無理やり話させるのは良くないだろう。しかし、ずるずると世話になっていると、そのうち彼の言うことに逆らえなくなる気がして怖かった。


 それこそ私の直感が、ここでしっかり話をしておけと言っている気がする。黙って次の言葉を待っていると、ラルフ青年がため息をついて、小さな声で話し始めた。


「最初に会った時、ヤマギシさんの魔素にあてられて、俺、やっちゃったじゃないですか」


 やっちゃったというのは、漏らしちゃったということだろうか。言葉を濁すあたり、やってしまった感覚はあるのだろう。よかった、人の前で漏らすことに快楽を感じるタイプの方ではなかったようだ。その疑いを晴らせただけでも、この質疑には十分な収穫があったといえる。彼との間に会った壁を、一枚破ることができた。


「でも、それ以上に、魔法を使ってるヤマギシさんがめっちゃ綺麗に見えたんですよ。ま、一目惚れみたいなもんです」


 ぞわぞわと腕に鳥肌が立ち、背中に怖気がシャトルランする。

 想像してみてほしい。四十も半ばに差し掛かろうというおじさんに、二十代のイケメンがこんなことを言っている光景を。他人事なら、そういうのもあるのかと、流すこともできたのだが、いざ自分の立場になると難しい。こんな見た目になっても、私の心はおじさんなのである。


 とはいえ彼は私に親切にしてくれた。

 好意は好意である。

 それがどんな思いに起因するものであっても、受けた恩は噓ではない。


「だから、点数稼ぎです。いつかヤマギシさんに、かっこいいやつって思ってもらえるように」

「期待はしないでください」


 言葉は選んだ。期待を持たせてはいけないし、傷つけたくもなかった。そもそも私は十代半ばから恋愛とはかけ離れた生活を送ってきたのだ。今更惚れた腫れたの話をするには、歳を取りすぎている。


 ラルフ青年は、随分と女性にモテるようであるから、私なんかのことを気にせずに、健全な恋愛に励むべきである。


「……いやいや、マジで、俺が勝手にやってるだけなんで、ヤマギシさんは気にしないでください」


 幾分かしょんぼりした様子を見せながらも、彼はめげずに答えてくれた。私だったら多分しばらくは立ち直れないだろうに、立派だと思う。

 しかしどうだろう。まさかこの体になったことで、こんな弊害があるとは思わなかった。これまでの人生で世の美形の方々を羨んだこともあったのだが、今後は少し考えが変わってしまいそうだった。

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