椿祭と糸繰り
第83話 約定の酒杯を交わす
その日も太陽は不休で燃えていたが、不思議と普段より暑さを感じなかった。
直近の遠征で、勇者一行が南東の荒丘地域に巣食う【
熱源の消滅が多少は王都の気温の安定にもつながったかもしれない。
そしてもう一つは、二日前に届いたとある珍品のためである。
それは、蝋燭だった。火種を移すと水色の幻想的な
送り主も意外な人物だった。材木商のレクシーミル・ウラヌスだ。北方の【ベルシウム大陸】から渡ってきた珍品で、雪の精霊が宿ると言われる【寒絽櫨】から作られるとのこと。カルテも見るのは初めてのようで、興味深そうにしていた。
篤哉は、プロミノバトとか雪の精霊とかが存在する突飛な世界でも、蝋燭の原料は
フウラは試しに羊の干し肉の欠片を水色の炎であぶってみた。決してプロミノバトではない。やや火の通りが遅いもののじゅっと音を立てて肉液が湧いたので、無暗に触らないほうがいいと判明した。
そんな打って変わって呑気な日常を過ごすこと三日目。
篤哉の姿は町中のと酒場にあった。
祭は十日後、二日間かけて行われる。二週間近く休暇を貰った篤哉だが、いざ暇をつぶそうとするとやることがない。時々キリカの庭いじりに付き合ったりしたが、一日中やる気力もない。草木を相手に一日を終えるには、篤哉は少し若すぎる。
セルビアの仕事を手伝おうかと声をかけもしたが、当然固辞された。まあ他人の仕事を奪うのはよくない。二時間後の昼食がかなり豪勢だったのはそのせいだろうか。
とにかく庭いじりと稽古以外の日課が無くて退屈に辟易していたのだ。そこへ、バニリスから声がかかった。
「かなり遅れたが。無事な帰還を祝し、乾杯」
「乾杯」
からん。
ごきゅり。喉の道を酒精が駆け下りていく。今の時期にふさわしい、スカッとするキレのいい酒だ。僅かに香る柑橘系の香りは、柚子か。いや、酢橘も混じっている気がする。とにかく爽やかだ。
要は、出立前に交わした男同士の約定が果たされたわけだ。この後、篤哉は町を少し案内してもらう予定だ。
「この店は客を絶対に酔わせないことを信条にしていてな。こうして陽が出ているうちから安心して酒が飲める。三杯以上飲もうとすると、店主に怒鳴られる」
「ま、アルコールだけが酒にあらず、だな」
大事なのは度数じゃなくて、季節に合っているか、肴との相性、その後への影響、まあつまり美味いかどうかだ。楽しく飲めて体を壊さなければ、それが一番じゃないか。もちろん未成年飲酒は褒められない、そこはご愛敬。
煎り豆と蕨の漬物でゆっくり一杯飲み干し、体が少し赤みを帯びたところで立ち上がる。例の蝋燭のお陰で、ほんのり暖かい喉の奥がむしろ気持ちいい。
「行くか」
「さて、今日はどこを案内すればいいか」
王都と言っても広い。王宮と神殿が中心部にあり、篤哉が今まで活動していたのは主に南部である。一回西門を潜ったことがあるが、フウラとものすごいスピードで走っていたため周囲の観察をする余裕もなかった。
「とりあえず、東側の【ツバキ町】周辺でいいか」
「ツバキ?そういえば、来週の祭りの名前もツバキ祭だったな。町中が総出で罪人の首を刎ねまくるのか?」
「どうしてそうなる」
当然そんな猟奇的なお祭りであるはずがない。所かまわず
「初代召喚勇者の中に、
「……三十郎じゃないのか」
「ん?」
「悪い。それで?」
「最初の勇者召喚は三代目魔王との決戦前に行われた……」
魔王は現在五代目、初代から順に
【錬陽の魔賢者】ピロテルミア・グローテ
【邪術の権化】スフィア・フィリウナイル
【心歪める驕り】アサート・リュテ
【淵底に燻る病毒】バイロゼオ・ギアグルガ
【八象限の外眼】ウォーズベラ・フィルグリア
この中でも三代魔王アサートは非常に人気がない魔王だ。最高位の幻術と水魔法を使える技倆を持ち、優秀な部下に恵まれたにもかかわらず連戦連敗、乾坤一擲で大軍を率い攻め込んだアジェルは二桁に及ぶ勇者が待ち受けていて、ほぼ全壊の有様を呈した。敗因は、不名誉な二つ名にもある驕り、である。先代、先々代の魔王が蓄積した力を過信し、人間の発展を舐めていたのだ。少しでも慎重に調べていればアジェル王国が勇者不足に困って怪しげな儀式に奔走していることはすぐにわかっただろう。現に、オドルカにはスパイが入り込んでいた。
とにかく対魔王軍の戦争の中で、史上最高の大勝を収めた勇者は一躍有名になった。それは他国がやっかみ半分で量産勇者という差別用語を生み出すきっかけであり、清月教がアジェルに急接近し始める不気味な端緒でもあった。
その戦闘の中でも特に獅子奮迅の活躍をした英雄が二人いる。
椿悌蔵と
「ん?ムクナシ……」
「ああ、ゲルディアス商会があったあの通りの由来となった女性だ」
そうだ、そういえばあの通りの名前がムクナシ通りだった。
こうして話している間にも二人は城の東側へ歩いている。
「椿悌蔵自身が大の祭り好きだったそうだ。いや、何度見てもあの神輿の巨大さには驚かされる」
「へえ、巨大な神輿か。かなり本格的みたいだな」
「ああ。それに、世情が不穏な時こそ民衆は踊って歌って無理にでも笑顔になるものだ」
「なかなかいいこと言うじゃんか」
篤哉もそういう、強制的に波に乗せられてしまう祭りの雰囲気が嫌いじゃない。服には誰かの綿あめの欠片がくっついてべっとり
するし、篤哉は一緒に回る友人も彼女もいなかったのだが、それでも祭の時期にはふらりと立ち寄ってタコ焼きに爪楊枝を突き刺したものだ。
周囲を見ると、鑿で何かを削る音やウィーンというワイヤーが巻き取られるような音がして、祭りの準備も佳境なのだとわかる。
それを聞いて、バニリスはどこか物憂げだ。
話の流れから、民衆の笑顔を曇らせるようなを懸念しているのではないかと勘繰ってしまう。
「何か心配事でもあるのか?」
「いや、篤哉の手を煩わせるわけにはいかない。キリカお嬢様やセルビアに怒られるからな」
「はぁ?何であの二人が」
「いくら有能でも篤哉に頼りすぎるのは身勝手だとカルテ様もろとも叱られた。お嬢様もセルビアも、お前の体調が心配なんだと」
「そりゃまあ、ありがたいけどな」
女二人に叱られて憮然としているバニリス。カルテも同じような顔をしていたのかと思うと吹き出しそうになる。
「笑ってくれるな」
「くはっ。いや、悪い。二人には後から礼を言っとかんとな。けど、祭は俺もフウラも行く予定なわけだし、無関係じゃないんだよな」
「まあ、それはそうだが」
「ああ、むしろキリカとセルビアも誘っていけばいいのか。そしたら、これで全員共通の問題になる」
「……篤哉、お前って意外に気の良い人間だな。いい奴とだとは思ってたがもう少し冷めてると思ってたぞ」
「……祭りだからな。羽目を外したくもなる」
「まだ始まってすらいないが」
「後の祭りになるよりは良いだろ」
自分でも少し熱くなり過ぎたと自覚して、眇をあらぬ方向へ向ける。その姿が年相応の少年で、バニリスは安心した。そして、祭に関する懸念を伝え始めた。
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