樋浦少年の無関心で(ほぼ)平等な青春

ヘイ

第1話 他人に好きと嫌いがあるのは当然か、否か

 特別、誰かを好きな訳じゃない。

 特別、誰かが嫌いな訳じゃない。

 ただ、誰にでも平等に居たのなら、人間性を疑われてしまうから。

 俺は彼女を嫌いだと言うのだ。

 

「…………」

 

 彼女は多くの人間に嫌われている。

 素質があったのかもしれない。

 我儘で、自分勝手で、利己的で、独占欲の強い少女なのだ、彼女は。

 どこにでもいるようなそんな少女なのだ、彼女は。誰だってこんな物のはずだと言うのに。

 思い通りにならないと彼女は物に当たるでもなく、誰にも見られない様に涙を流す様なそんな日陰の女なのだ、真実は。

 

「…………」

 

 ザリ。

 

 そんな音が足元で響けば、目尻を真っ赤に染めた彼女が俺の元に歩み寄ってきた。だからといって、俺は別に焦りもなかったのだ。好きでも嫌いでもないのなら、彼女の怒りを買ったとしても何の感慨も湧かないから。

 

樋浦ひうら……」

「大丈夫か、奏音かのんさん」

「……見てたの?」

 

 先程の誰にも見られたくない彼女の中では最大限の恥ずべき一部始終のことだろう、それは。

 まあ、見ていたのかと言うよりも、好きでも嫌いでもない奏音さんの泣き顔の一つ、俺の穏やかな日常のただ一つの何かにもなりはしない。

 

「退いて……」

「……ん、ごめん」

 

 別にこんな校舎裏で彼女が泣こうが泣くまいが、俺が避けようが避けまいがさしたる問題ではなく。

 俺は見なかったことにして、いつも通りに好きでも何でもないやつに仲の良いふりをして、嫌いでも何でもないやつを嫌いなふりをして愚痴を吐く、そんなつまらないバチの当たる様な日常を過ごすのだ。

 

「おーい、奏音さーん……って、居ないし」

 

 全く。

 学生証を落とすなど不注意が過ぎるぞ、奏音さん。教室にも居ないだろう彼女はきっと、俺がここにいると言う事実からまた一人になれる場所を探すはずなのだ。

 自分の弱さを誰にも見せたくないのだ、彼女は。そう言う人間なのだ。

 そして、俺はそれを追う必要もなく。

 授業が始まる直前に手渡せば良いだけなんだ。

 

「……俺で良かったな、奏音さん」

 

 真実、アンタを嫌ってる奴らなら、この学生証を正直に手渡す筈もないだろう。俺は別に嫌いでも好きでもないから、ただ自分を普通の人間らしい人間にするために嫌いなふりをするんだ。

 一般的に。

 常識的に。

 当然のように。

 誰かを悪く言うのが人間らしい。

 俺はそれの楽しさを知らない。だが、愚痴を言わねば理解できないやつ扱いを受けるのが世の中だ。

 爪弾きにされても傷は付かないけど、爪弾きにされない方が生きやすい。

 

「…………」

 

 まき奏音。

 当然、俺と同じ学年。留年はしていない。とは言え、個人情報に関わるから学生証もあまり見るべきじゃないかもしれない。

 

「ひーうらっ!」

 

 パシッ。

 

 なんて感じで奏音さんの学生証が俺の右手から奪われる。失念していたな、こいつは。俺の責任だ。責めてくれてもいい、奏音さんは。

 友達、と言う関係性に該当するように関わってるが、人の手元からそうやって物を勝手に取るのはどうかと思う。

 

坂本さかもと……それ返せ」

「うっわ、牧のヤツじゃん! そうだ、女子に渡せば……」

「いいから、こっちに渡せ」

 

 そう言うのは面倒だ。

 

「え、何? 樋浦ってそう言うやつだっけ」

「……そう言うやつってなんだよ」

「いや、ノリ悪いなーって思ってな」

「…………」

 

 これだから嫌なんだ。

 ノリの良し悪しの問題じゃない。俺は善人ではないし、そもそもの問題で俺だって表面では奏音さんを嫌ってる素振りを見せている。とは言え、だ。女子も見ていないならイジメに発展する可能性はないのだ。

 なら、興味のないその他大勢の女子に態々関わりに行く必要はない。その学生証を渡すためだけに、嫌がらせをしたいがためだけに。回りくどいにも程がある。

 

「いいから、寄越せ」

「……お前、牧と付き合ってんの?」

「何でそうなるんだよ」

「じゃあ、いーじゃん」

 

 何が良いんだかは分からないし。

 そもそもコイツに俺の決定権はないと言うこと。それが確かなのだから。

 俺は学生証を取り上げた。

 

「好き嫌いどうこうの話じゃないんだよ」

 

 話す理由がないなら態々作る必要もない。何なら坂本とだって。俺が今、必要なのはこの学生証を奏音さんに届けるだけ。

 それ以外のこの学生証が関わる用事は不要だ。

 

「嫌いな奴でも落とし物見つけたら届けるのが人の情けって奴なんだよ」

 

 俺は人情なんて物が自らに人並み備わってるとは思えないけど。それでも理由としては充分なもの。

 

 俺は奏音さんを慰めることもできた筈だというのにそれをしなかった。追い討ちをかけることもできた筈なのにそれをしなかった。坂本に学生証を渡したまま放置しても良かった筈なのにそれをしなかった。

 俺はどうでも良いんだ。

 ただ、偶々。

 今回は俺が奏音さんの学生証を拾っただけ。彼女が傷付くことに興味があるわけでもない、俺が拾ったから。

 

「……っている訳ないよな」

 

 教室に戻っても姿は見当たらない。

 念のための確認だ。

 まあ、保健室とかか。

 俺も名前を出すことは憚られた。クラスのみんなの嫌われ者、牧奏音。俺も嫌いな牧奏音。そんな俺が拾った学生証を本人に届けようとする。

 さっきは坂本だけだったから。

 

「──おーい、みんな! コイツ、牧の学生証持ってるぜ!」

「っと」

 

 俺が仕舞い込もうとした奏音さんの学生証が後ろから伸びた手によって奪われた。

 持ってるからなんだ。

 だからどうした。

 ああ、やれやれ騒がしい。

 こうなったらもうどうしようもないだろ。

 悪いな、奏音さん。

 

「ねえ、これゴミ捨て場に持ってったら?」

 

 くすくすと少女が笑う。

 金髪のツインテール。名前は有栖川ありすがわアイラ。身長はクラスの中で一番低い。女子のグループのリーダー格。

 

「てかさぁ〜、樋浦が何でアイツの学生証持ってる訳?」

「拾ったんだよ」

 

 嗜虐的なパープルアイ。

 コイツはサディストだ。分かってる。ただ、このサディスティックな心に愛はない。ただ誰でも良いのだ。

 それでも俺よりは他人に興味を持てるらしい。随分と歪んだ人間だと思う。付き合いたくない女ランキング堂々の一位だろうに。

 

「へぇ〜、拾った? どこで?」

「拾っただけだよ。どこでって言われてもな」

「じゃあ、私が届けとくね。坂本」

 

 手渡すなよ。

 俺は坂本が渡そうとしたところを止めて奪い取る。

 

「や、良いよ。俺もう昼飯食い終わってるし。アイラさんまだだろ? 俺が探して届けるよ」

 

 広げられた弁当箱にはまだまだ残ってるものが見える。コイツがどうであれ、食い下がってくると自分が自分がって話になりかねない。

 まあ、なら教室を出るってのが早い。

 

「……あれ」

 

 校舎裏で慌てたようにしてる奏音さんが目に入った。落とし物に気がついたのか。はあ、だからといって行き違いは嫌だな。面倒だ。かと言ってここは校舎の二階。声をかけるには大声じゃなきゃダメだ。

 まあ、あとはルートを考えるか。

 校舎裏だから玄関は通る訳だ。

 玄関まで行けば確実で。あとはそこで渡せばいいか。

 

 

 

 

「お、いたいた。奏音さん」

「何……?」

「ほら、学生証。落ちてたから……」

 

 礼を言うでもなく彼女は俺の手から奪い取る。

 

「…………」

 

 別に言いたいこともない。

 自業自得。

 仕方がない。彼女に感謝されるようなことはしていない。寧ろ、憎まれ恨まれ、地獄に堕ちろと言われるほどのことをしている。

 とんだ悪人だ、俺たちのクラスは。

 

「樋浦、さ……私のこと嫌いでしょ」

 

 うん、それだ。

 俺に向けられるのはそう言う目であるべきだ。と言うか、彼女はこの学校全体にそういう目を持って当たるべきだ。

 そう言う処遇を受けているのだ、奏音さんは。

 

「……そんなことないよ」

 

 さて。

 俺は事実を言った筈なのだ。対外的にこれは嘘であり、俺の中では真実なのだ。俺は牧奏音を嫌いではない。かと言って好意の対象とした訳でもない。

 けれど、きっと。

 彼女は。

 

「嫌いでしょ」

 

 ……分かりきってる。

 別に俺は君の味方だとか言うつもりもないし。ああ、確定させたのは彼女だ。俺が否定する必要もない。

 

「…………」

「図星?」

「本人からの『嫌い』って質問を肯定する奴なんている筈もないんだけどな。まあ、俺は奏音さんの事が好きじゃない」

「……でしょうね」

「でもさ、学生証届けるくらいの事に好き嫌いとかは必要ない話だろ?」

 

 少なくともそうするのが当たり前の人間だとは思う。

 俺はそう思う。

 

「アイラはそうじゃないでしょ」

「……そう思う?」

 

 存外人間をよく見ているのか。

 

「そう思うならそれで良いよ」

 

 それが正しい。

 あのまま放置していても構わなかった。誰かが誰かを傷つけて、そして嗤う。

 そんな光景を俺は見慣れているのだ。

 今回のは良くある高校生のちょっとした事件であって注目を浴びるような物ではない。

 そうなっていなければならない。

 

 まあ、こんな希望的観測は何の意味もないことは理解している。

 

 例えば、俺と言う無関心人間が今回のような行動を起こしたとして、正義の味方を気取った気障ったらしい男という認識になる他ない。

 だから、今回の事で俺には当然のように刃が向けられると予想できた筈なのだ。

 いや、正直こうなるとは思わなかった。

 俺は人の関心を軽く見ていた。

 

『樋浦♡牧』

 

 ……これが誰の心を砕くのか。

 俺への攻撃か、それとも奏音さんへの攻撃か。にやにやと嗤う彼女達に奏音さんは無表情で黒板に書かれたこの文字を消し始めた。

 俺は見ていただけだ。

 

「…………」

 

 クラスの動きを見ていた。

 アイラさんは目を細め、坂本は怪訝な目を向けてくる。他の奴らも視線は黒板のチョークの文字を消す奏音さんではなく、巻き込まれた俺に目を向けていた。

 

「──大体さぁ! 学生証持ってて、拾って直接渡しに行くってのが怪しいよなぁ!」

 

 坂本の一声が皆んなの心に火をつけた。

 まあ、つまりは俺と奏音さんが付き合ってるという根も葉もない事実をねじ曲がった理由で証明し始めた。

 

「おい、坂本」

 

 めよう。

 俺が坂本の肩を掴めば、迷惑そうな顔をして振り払った。

 ああ、なるほど。

 こうしたら友達ではなくなるらしい、このクラスでは。

 落とし物を届けたら。

 皆んなが嫌いな奴だから。

 

「ほら! コイツ止めさせようとしたってことは……!」

 

「五月蝿いっ!」

 

 少女の叫びが教室に響いた。

 涙を堪えて、彼女は叫んだ。

 

「おーい、そろそろ授業始まるから、さ」

 

 俺が終わらせるための一言を放った。

 面倒なことになった。

 

 

 

 

 俺は今まで上手くやってきたと思う。

 高校での2年間、それとない付き合いをしてきたと思ってる。

 まあ、それもこれもここで全てが台無しになったが、責任は全て俺にある。とは言え、俺の他人への無関心は露呈していない。

 純粋に表面的な他者への嫌悪が好意に差し代わっただけだ。

 

「大変そうだな」

「坂本か」

 

 大変そうだなも何も。

 ただ、俺はコイツに責任を求めていないのだ。好きでもなく、嫌いでもないコイツに慰謝料じみた物を請求する気もない。

 

「……楽しいか?」

「こうしなきゃ……」

「俺とお前以外知らなかったんだ。なら、楽しい以外の理由なんてないだろ」

 

 あの時、俺が学生証を持っていたのを知っていたのは坂本と俺だけだ。コイツが言わなければ何もなかったはずだ。

 強迫観念か。

 同情はしない。

 そこまであの女が恐ろしいか。

 理解もできない。

 

「なあ、楽しいか?」

「……俺も聞きたいんだけどよぉ。何で牧に肩入れしてんの?」

 

 肩入れ、ね。

 あれが。

 あの程度で。

 

「わり、シャーペン落ちた」

「ほらよ」

 

 落としたのは態とだ。

 そして、“親切”にも坂本は俺が落としたシャーペンを拾ってくれた。

 

「ふーん……」

「な、なんだよ」

「や、俺の落としたシャーペンを拾ってくれるんだな」

 

 成る程……肩入れ、ね。

 おかしな話もあるもんだ。

 

「落とした物を拾って、渡す。お前はそれを今した訳だ」

 

 当たり前の行為だと思うんだけどな、俺も。

 

「なあ、学生証を拾って渡すんだぞ? 何が肩入れなんだよ」

 

 俺の質問に答えてくれよ、坂本。

 

 

 

 結局、坂本は俺の問いかけに応えてはくれなかった。

 

 

 

「……奏音さんか」

 

 校舎裏に呼び出されて向かってみれば待っていたのは奏音さんだ。

 

「ねえ……何で、私に」

「別に。人として当然のことをしただけ」

 

 それだけ。

 誰だってこんなことをするのだ。気にするだけおかしい話。

 

「なあ、俺帰ってもいい?」

「……ありがとう」

 

 俺の背後からそんな声が聞こえて振り返れば、彼女の目に涙はなかった。

 

「…………ありがとう、か」

 

 ストンと落ちるような。

 ああ、どうにも感謝されるようなことだったらしい。

 実感はない。

 

 

 

 

「ただいまー……母さん?」

 

 ああ、今日もいないらしい。

 食費の500円を置いて、またあの男の場所に向かったのか。

 俺は母さんにとってはない物だ。

 必要のない存在。

 俺にとっても母さんは俺を生かしてくれるだけの存在でしかない。

 こんなのだから、希望なんてものは抱かないに越したことはない。

 

「ま、とりあえず外出るか」

 

 必要か否か。

 そこに好意があるか否かを付け足したのが母さんだとするのなら、俺は好きも嫌いもない、必要かどうかと『当たり前の人間』であることを求めている存在だ。

 

 

 俺はどこにでもいるような存在になれたらいい。当たり前の在り方を模索する、そんな人生を俺はこれからも送っていくのだ。

 

 

 

「……真白ましろさん?」

 

 サラリーマンの男と一緒に裏路地に入っていくセーラー服の少女に見覚えがあった。

 俺は何も見なかったことにしてその場を後にした。

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