盆恋詩《ぼんれんか》

香鳥

第1話 おかえり

乾いたそれは俺の指先で何の抵抗もなく、ふたつに折れた。


白いほうろく皿にそれを折っては重ね、

また折っては重ねる。

何度繰り返したのか、

手の中には一本だけが残された。


「白くて軽いな。まるで・・・」


呟いて左の掌の上にのせたそれを右指で優しく撫でた。

儚いそれは、愛しいあの人が最期に残した灰白色の欠片にも似ていて。


目の奥がツンと慣れた痛みを知らせてくるから、俺は慌てて瞼を閉じた。



「今年も帰ってきてくれるのか、お前は」


呟きながら彼の笑顔を瞼の裏に映す。

お気に入りの空色のシャツを着た穏やかな笑顔。

白衣の下で秘かに息づいている情熱。


風に揺れる亜麻色の髪は陽を受けて

甘い蜂蜜色に光り、振り返りざまに遅れて歩く俺に手を伸ばす。

照れくさくて、人目を気にしてなかなか素直じゃない俺を見て悪戯っぽく笑う。

俺の大好きな笑顔で。

あの手は温かくて・・・。



夕暮れの空は青とオレンジの海。

とろりとだるく熱気をはらんだ空に筆で掃いたような白い雲が何本も何本も横たわる。


神田祐希かなたゆうきはすうっと息を吸い込み、

そしてゆっくりと吐きながら瞼を開いた。



8月13日の夕暮れ。

迎え火。

昼と夜が混じりあう僅かな時間。

星がちらちら見えだしても、夏の残滓ざんしは足元からむせ返ってくるようだ。


「─── 暑い」


それはまるで、

誰よりも熱く自分を包んでくれたあの人の腕のように身体にまとわりついてくる。

護るように、励ますように、

そして甘やかすように身体の内側に火を点けてあたためる。



はっ、として庭の桜の木の根元にしゃがみこんだ。

夜が近づいていることに気づいたから。


最後の麻木を小さく折ると、用心深く皿の上に重ねてからマッチを擦る。


〈 シュッ 〉


火薬を擦る独特の匂いが鼻をつき、思わず片眉を上げて顔を顰めながら、

先端に灯った小さな灯火ともしびを大切そうに麻木の山の中央にさし入れた。



「見えるか?今年は一回で点きそうだ、ほら・・・」


火は麻片を包み込みあたたかなほむらにかわり、芳しい匂いは俺を過去に連れてゆく。


時間を忘れるほどの長い口付け。

息を弾ませながら夢中であいつの髪にさしいれた時。指の間から漏れてきた匂いの記憶。


熱をはらんだ時の彼の髪の香りを思い出して、俺の頬が火照る。


「・・・点いたぞ。 見えるか? 颯真そうま


小さな篝火は目印のように、呼ぶように揺らめいた。



───── と。

それまで遠くで鳴いていた蝉は誘われたかのようにゆっくりと近づいて ────。


その澄んだ声に俺は目を伏せシンと耳を澄ます。

彼の気配を何ひとつ見落としたくはない。


目の前の燃え尽きる寸前の炎は、パチッと最後に小さくはぜて。

一筋の白煙が細く、すうっと ────

静かに夕暮れ空へ昇り散ってゆくのを見送った。



蝉の声が ────── やんだ。

空はいつの間にかマーマレード色に溶けて、桜の枝を覆うように甘く抱く。


俺の耳朶を撫でるように風が吹く、

小さく囁く。

胸元に掛けた、細い鎖の先。あいつの指輪に触れて確かめる。

あいつの声を聞き漏らすまいと耳を澄ます。


あぁ、そうだ。

耳の中に直接語りかけてくる懐かしい声。

映像の中に残ってるあいつの声とは違う、“生きている” 声だ。


「── ぃま ──── ただ ─ いま 祐希」


指輪から離れた俺の手はあいつの方へ。

両の手を伸ばして俺は微笑む。


「お帰り、颯真」


交差した指先が震える。

一番星が二人の瞳に灯る。

あいつの瞳の中に映っている俺が微笑んでいる。


頬をよせて瞼を閉じた。

唇に花びらが触れる ──── ような

儚く甘い匂い。

あれは桜か?


寂しかった。心底寂しくて、会いたくて堪らなかった。


でも、そうだ・・・お前の言う通りだ。


ひとりじゃなかったよ。

そう、ずっと一緒だ。

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