第12話 緑の原
「ここは、ロイの故郷なんだ。いい加減お父上と和解してもらおうと思って、連れてきた」
驚いたように真ん丸な目で俺を見上げるミアの横で、俺は馬車の窓に額をつけて目を閉じていた。もはやため息すら出ない。
「……もういいわお前……疲れる、お前といると本当に疲れる」
「そう言うなよ、ロイ。こうでもしないとロイはここへ来ないだろう?」
ジェラルドの言葉に、ミアがちょいちょいと俺の服を引っ張ってくる。
「ロイ兄、ここ、故郷?」
「……あぁ、そうだよ。このなーんもないド田舎が、俺の故郷だ」
ぱあ、と表情を明るくしたミアが、ゴソゴソと鞄を漁り始めた。そして、ピンと伸びてシワひとつない新聞を3部、誇らしそうに俺に見せる。
「ん! これ、お父さんに見せたらいい! 目、落っこちちゃうから!」
「……あんがとよ」
それを受け取って、改めて自分の写真を見て苦笑する。どれも酷いな、これは。疲れた顔でのダブルピースに、白目。最後に至っては後頭部のみだ。そりゃこんな息子見たら目玉落っこちるわ。
それでも、この小さな少女が、俺のことを思ってくれたのだと言うことは痛いほど分かって、あまりに純粋で柔らかな気遣いがくすぐったいようだった。
「くくく、なんだ、持ってたのか。私も一応、持ってきたんだが」
ジェラルドがバサりと広げた新聞に拳を突き刺す。真ん中で綺麗に真っ二つにしてやった。俺のしんみり感返せ。
「酷いな、ロイ。まあこれはお父上用に買ったもので、家に帰れば個人で保存用、観賞用、実用用と3部ずつあるから問題ないけどね」
「今すぐ燃やせ腹黒貴族」
「ところでロイ、ファーストドロップの件だけど」
危険人物達は皆都合の悪いことは聞こえない耳の構造なのだろうか。
「今回のは剣聖に譲ったから、前回の分の1個しか無いぞ」
破いたシーツにくるんでおいた、赤い宝石のついた剣をジェラルドへ渡す。
「わあ、剣のドロップなんて久しぶりだな! 細かく振動してどんなものでもバターのように切れる剣だったらいいな、あぁ、早く鑑定に出したいよ!」
「で?」
「なんだい?」
ほくほく、と音がしそうな笑顔で剣を眺めるジェラルドが、声だけで答えた。
「いくら出すの、お前」
「うーん、20かな」
「だあっ!! やっぱりかっ!!」
あと、少し。ほんの1.5人分の報酬が足りない。冷静に考えれば全然足りていないのだが、俺はこの腹黒貴族のせいで金銭感覚が狂いっぱなしなのだ。
「……やっぱりもう一個潜るっきゃねえか、未踏破ダンジョン」
「君の尻でも揉ませれば、そんなはした金すぐ稼げるのに。酒場でも人気だったんだろう?」
「お前貴族の癖にとんでもなく下品だな」
咄嗟にミアの耳は塞いだが、目の前のド変態貴族のことは軽蔑の目で見ておいた。俺のケツはもう誰にも触らせねえ。そんなに安い子じゃないんだよ俺のケツは。
「それは勘違いだよ、ロイ。貴族だから下品なのさ」
「セクハラで訴えてやるからな腹黒貴族」
「まあ、私からすれば君がダンジョンへ行ってくれるよりいいことなどない訳だけど。さすがにこんなに連続で潜って死んでは欲しくないからね、また前払いでもいいよ」
「ほ、本当か!?」
お前が神か。
「あぁ。ここ1年の、君のパーティメンバーの生活費を抜いて、さらに踏破報酬の補填分をひいても……まあ、田舎に家ぐらいは買えるだろうね」
「あぁ、やっとこの苦しみから解放される……金の苦しみってのは厄介だったぜ……」
ほっと胸を撫で下ろす。持つべきものはやっぱり未踏破ダンジョンオタクで前払いを許してくれる腹黒貴族だな。
「じゃあ、その残った田舎の家分の金、ミアとスイに振り込んどいてくれ。この間のダンジョン攻略に付き合わせちまったからな」
「! ロイ兄、私お金要らない!」
「受け取ってくれよ、ミア。そこそこ長いこと冒険者やってる俺の経験上、ここはなあなあにしちゃいけない部分だ。仲間でいたいならな。だから、きっちり支払いはする」
「……お兄ちゃんから、お金なんて貰いたくない」
しゅんとしてしまったミアの背中に手を置いて、目の前の胡散臭い笑顔を指さす。
「大丈夫、全部目の前の腹黒貴族の金だ」
「ロイ、これで君はまた無一文だね」
「見ろ、腹黒い笑顔だろ? 腹黒いんだ」
ぷふ、とミアが堪えきれなかったように笑った。目の前のジェラルドがほんの少し眉を上げて肩を竦める。なんだかんだ言って、コイツも悪い奴じゃないのだ。ただ腹黒いだけで。
馬車が止まる。ジェラルドがなんでもないようにドアを開け、1番に外に降りた。一応貴族なのだからもっと警戒しろ。ド田舎だからって舐めんなよ。
なかなか起きないスイを見れば、ヨダレを垂らしてぐっすりスヤスヤ眠っていたので、ジェラルドのお付の人に見ていてもらうよう頼み、そのまま寝かせておくことにした。
そして。10年ぶりにやって来た、故郷の空気をめいいっぱい吸って。
外に、出た。
「うん、爽やかな風だね。この草原も、一面緑で綺麗に見えるよ」
「思ってないだろ腹黒貴族」
「ロイだってそうだろう?」
「お兄ちゃん、抱っこ」
「腰にくるからダメだ……って俺はミアの兄じゃないと何度言ったらわか」
「1回だけ。高いとこから、お兄ちゃんの故郷が見たい」
「……今回だけ、ちょっとだけだからな」
「ん!」
ミアを抱き上げ、そのまま肩車した。むふふふ、という笑い声とともにぎゅっと髪の毛を掴まれる。あんまり引っ張るなよ、将来ハゲたらスイが慌てるからな。
「……すごい。緑だね、お兄ちゃん」
「なーんもないだろ」
「ん。でも、いい」
「そーかい」
そのままちょっと辺りを歩いて、ほんの少しの高さしかない丘の上に立った。
そこで、しばらく肩に乗せたミアも後ろにいるジェラルドのことも忘れて、故郷を見ていた。
「……ロイ、そろそろ腰を痛めるんじゃないか?」
「へあ? あ、あぁ、そうかもな。俺ももう25だし、無茶も程々にしないとな」
不満そうなミアを降ろして、また丘の上から故郷を見た。
「……ロイ兄?」
「なんだ?」
「眉間、シワ」
「あー……。まあ、そんないい思い出ばっかり、ってわけでもねえからな」
12の時に家を出て、冒険者になった。
黒髪しかいないド田舎の農村は、あの頃の俺にとっては牢屋に等しかった。
心穏やかな隣人も、家族も。話していると、柔らかな何かで常に首を絞められているような気になった。感情の昂りが激しい自分が異端だと突きつけられるような、どこか酷く静かな疎外感を、常に感じていた。
家を出る時に父とした喧嘩も、俺ばかりが怒鳴っていた気がする。静かに説得しようとする父に、クソ親父、と吐き捨て家をでた俺は、本当にダメ息子なんだろう。
だが。俺は、あの静かな説得が、どうしても深く冷たい、黒い沼に沈め殺されるような感覚がして、怖くて怖くて耐えられなかった。
「ロイ兄、大丈夫。私、一緒に行く。お父さんにこれ見せて、ロイ兄が1番速いってこと、教えてあげる」
大事そうに新聞を抱えるミアと、その後ろで胡散臭い笑顔で黙っているジェラルド。
そうだ、そろそろ決着を付けなければ。いつかの先延ばしは、もう終わりだ。
「行くか、ミア」
「ん!」
原っぱを歩く。青臭い風に揺れる緑。
俺は、この景色が嫌いだ。
「……俺は、春の麦畑が好きだったんだ」
「ロイ兄?」
不思議そうに見上げてくるミアに笑いかけ、すっと、足を止めた。
「よお、クソ親父」
先程丘から見ていた、何も無い草原のど真ん中で。
俺は、10年ぶりに家族と再会した。
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