フラれて始まるダンジョン踏破
藍依青糸
プロローグ —フラれて始まるダンジョン踏破—
「私達、別れましょ」
目の前で発せられた艶のある女の声に、フォークに刺していた肉が、口に入る前にべたりと皿の上に落ちた。
肉のために開けていた口をそのままに、真剣な表情をしている女性に目線を向ける。震えるフォークはそっと机に置いた。
「……ワカレマショ?」
「そう。別れましょう」
目の前のブロンド碧眼の美女は、冗談を言うふうでもなく、いつになく真っ直ぐ俺の目を見ていた。
マジか。
「わ、別れるって……なぜ急に。俺達、結構上手くいってたと思うんだが」
震えかける声をなんとか抑え、努めて平然を装って聞いた。
「それ本気?」
はっ、と女はやけに冷たく笑った。一年近く一緒にいて、初めて見る表情だった。
急に周りの喧騒がやけに大きく聞こえる。冒険者御用達の質より量、をモットーとするこの店には、いつものようにダンジョン帰りの興奮した男どもばかりが集まっていた。
その中でも異質に身綺麗で美しい目の前の女は、冷たい表情で。
「そりゃあ、あなたに近づいたのは私の方からよ。あなたとならそこの高レベルダンジョンに入っても死なないと思ったから、ビジネス目的でね。私、自分の人を見る目に絶対の自信があるの。あなたを見た瞬間、異常なスピード特化型、絶対強い冒険者だって思ったわ」
「……」
普段は手をつけない酒を一気に煽った。
初めてダンジョンの入り口であった時は俺に一目惚れしたって言ったじゃないか。これが噂のダンジョン詐欺か。人の心をなんだと思ってるんだ、悪質すぎる。
「でも、あなたったら全然ダンジョンに潜らないじゃない」
呆れたような女の声に、乱れた心でもなんとか反論しようと声を上げた。
「……今はスケジュール調整期間なんだよ。お前も冒険者だろ、それぐらい分かってるはずだ」
「1年も何を調整してるの? 普通なら長くて数ヶ月よ。1年も仕事せずにダラダラダラダラして、そこら辺のスライムの方がまだ社会に貢献してるわ」
「うぐっ」
スライム以下と言われ傷つかない冒険者はいるのか。スライムなんて、祭りの出店で瓶詰めにされて子供にいじくりまわされ捨てられる以外になんら使い道のないモンスターだぞ。
「……まあ、でも? あなた働かないくせにお金持ってるみたいだし、途中からダンジョンはもういいかなって思ったのよ」
「……」
「デートも連れてってくれるし、プレゼントも買ってくれるし。……結構優しいし、本当に、普通の女の子として好きになったのよ」
俺のことが好きになったと話す言葉とは裏腹に、どんどんと女の表情が曇っていく。
「……ならなんで別れるなんて言うんだよ。俺だって、お前のこと好きだぜ。好きじゃなきゃ一緒にいるもんか」
ばんっ、と。いきなり、現在進行形で元カノになりつつある金髪美女が机を拳で殴りつけた。
一気に騒がしかった店内が静まり返る。やめろ、見るな。冒険者同士のいざこざなんて日常茶飯事なんだから、注目しないでくれ。
そんな中目の前の女は、表情の抜け落ちた顔で口を開いた。
「あなた、最近忙しそうね。仕事してないはずなのに」
「うっ」
「ここしばらく全然会えないし、会えたと思っても夜は帰っちゃうし」
「いや、それは……」
「最近やけに身綺麗だし。香水なんて、付けてるの初めて見たわ」
「いや、ちが」
「……私、浮気されたのなんて初めて!」
「いや! それは本当にちが」
俺の言葉が終わる前に彼女は机の上に紙幣を置いて立ち上がり、酷く冷たい目で見下ろしてきた。
「さようなら。どうぞ新しい子とお幸せに。……あとね、私「お前」って呼ばれるの、大っ嫌いなの」
「マリア!」
「さよなら!」
颯爽と、一切こちらを振り返ることなく金髪をなびかせ店を出て行った元カノに伸ばした自分手だけが、虚しく視界に映っていた。
「ひゅー! パーフェクトなフラれ方だな、兄ちゃん」
「あんな美人ほっぽって浮気たぁ、やるじゃねえか」
店にいた酔っ払った冒険者どもにもみくちゃにされる。焦点が定まらない視界の中、飲めと言われるがままに差し出された酒を飲み、見知らぬおっさんの武勇伝を聞かされ、何故かケツを揉まれた。
「……」
よってくる冒険者達の間から手だけを出し、先ほど食べ損ねた冷めきったステーキにもう一度フォークを突き刺した。
そして、ばくんと一気に口に入れる。
「おお、いい食いっぷり……兄ちゃん?」
ぎし、ぎし、と軋む手足を動かして。
店の看板娘に金を払い、静かに店の外に出て。
全力で走った。
「だああああああああっ!!!!」
走って走って走り続け、ぽっかりと口を開けた洞窟の周りにいる明かりを持った冒険者や国の職員を無視してさらに走った。
「は!? なんだ今の!?」
「あ、ちょ、人間か!? 待て! お前、そっちはダンジョンだぞ! 1人じゃ入り口にも入れられない!」
「だあああああああ!!」
俺を止めようと立ちはだかった職員達を躱し、『未踏破』の垂れ幕がかかる真っ暗闇を湛えたダンジョンの入り口に、全力疾走ノーブレーキで飛び込んだ。
「はぁ!? おいお前戻れ! ここは未踏破、高レベルダンジョンだぞ! そんな軽装で入れば死」
「うっせええええ!! お前って呼ぶなああああ!!」
「はああ!?」
あの時、俺の精神状態は異常だった。
1年も付き合った彼女にフラれ、わけも分からぬまま酒を浴びるように飲み、初めてセクハラを受けた。自殺願望が出ても仕方ない。それでもせめて冒険者らしく、この国でも3つしかない高レベル未踏破ダンジョンで死のうと思っていた。
しかし、その三日後。
俺は、前人未踏の『高レベルダンジョンソロクリア』を達成し、げっそりしながらとったダブルピースで、新聞の一面に載った。
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