117話 戻ってきた平穏な日々
ジルが逮捕され、ソフィアが迎賓館の仕事とアーサーの補佐業務を再開して数日。
復帰早々めまぐるしい日々が続いていた。
「ソフィア、ちょっと聞いてもいいかな?この帝国語の文書なんだけど……ここ、どう解釈すればいいと思う?」
隣に座るアーサーの手元をのぞき込み、素早く文書を読み解いて伝えてゆく。
「これは頷くという意味の単語なので、文脈的には『互いに頷く』です。しかし、これは昔の和平条約締結の際に交された公文書のため、『双方合意のもと』といった解釈が一番適切ですね」
「ありがとう、すごく助かったよ。はぁ、言葉は難しいね。少しの違いでも意味が変わってしまう。帝国語を読むたびに君の偉大さを実感するよ。どちらの言語も完璧に理解して美しい言葉を紡ぎ出せる。ソフィアはやっぱりすごいな」
「……お褒めにあずかり光栄です」
まっすぐな瞳で見つめられ、ストレートな褒め言葉を贈られる。
ソフィアは少し照れくさくなって、元令嬢らしく澄まし顔でツンと答えた。
オルランド邸で過ごす中でお互いに距離がぐっと近くなったのは良いものの、少々困ったこともある。
それは、ストレートに褒められるのが苦手という弱点をうっかりアーサーに知られてしまったことだ。
帝国社交界では伝統的に、男性が女性を表立って賞賛することは少ない。
貴族令嬢だったソフィアも例外ではなく、家族以外に褒められた経験が少ないため、ストレートな言葉をかけられると照れくさくて居ても立ってもいられなくなるのだ。
今も書類の束を机にトントンと軽く叩き付けながら平静を装っているが、心の中では『そんなに褒めないで下さい、恥ずかしいです!』と叫んでいる。
だが、顔には出さない。出した瞬間、もっと沢山褒められていじられるのが分かっているから。
アーサーはクスッと笑みをこぼすと、机に頬杖をついて悪戯っ子のような無邪気な笑顔でこちらを見つめる。
「また照れているの? そんな君もすごく魅力的だ」
「……光栄ですわ」
「ふふ。その澄まし顔も素敵だね」
「……~~っ!! もう、からかうのはお止め下さいませっ!」
「からかってない、僕は真剣だよ。気になる子をつい構ってしまう男心って今まで全く分からなかったんだけど、最近知ってしまったんだ」
「まったく、殿方の心とは困ったものですね。とにかく、最近のアーサー様はいじわるです。反省して下さいませ」
怒った振りをしてそっぽを向くと、彼は両手を挙げて「もうやめます」と降参と謝罪のポーズを取った。
彼の姿を見て、少し考えた振りをして……ソフィアは「よろしい、許します」と頷く。
そして顔を見合わせ、互いに何をやっているんだろうと馬鹿馬鹿しくなって笑うのだ。
もはやこの一連の流れはお約束となっており、ミスティが見たら『また楽しそうにじゃれ合っているんですか?まったく、困ったお子様二人ですね』と苦笑されるに違いない。
「さてと、早く仕事を終わらせるためにも、口より手を動かすとするさ」
アーサーは先ほどまでのお茶目で悪戯っ子な表情から一転、集中した様子で書類に向き直った。
仕事中の彼は、プライベート時の緩い雰囲気とは打って変わり真剣そのもの。
研ぎ澄まされた思考と手際の良さで難しい帝国語での書類作成も素早くこなしていく。
ソフィアも彼について行くため、一層気を引き締めて業務に取り組んだ。
途中休憩を挟みつつ黙々と作業をすること数時間――終業の合図とほぼ同時に、本日の仕事が全て終了した。
連れだって執務室を出て、馬車に乗り込む。
向かう先はオルランド伯爵邸だ。
例のねつ造記事による市民からの非難は既に収まっているが、念のため引っ越し先が見つかるまでソフィアは屋敷に滞在していた。
窓の外を眺めると、街角の冬木立には雪化粧がほどこされ、歩道の脇には白い小さな山が出来ていた。
温暖なリベルタ王国には珍しく、今年の冬は見事な雪景色が広がっている。
商業地区の近くにある広場のそばを通ると、飾り付けが完成した大きなツリーが真ん中に立っており、周囲は多くの人で賑わっている。
道も混雑しているのか、渋滞にはまってしまったようだ。
少し前進しては停車を繰り返す馬車の中で、ツリーを無言で見つめる。
どうしても頭の中に浮かんでしまうのは、この美しい光景を一番見せてあげたかった彼の姿。
胸が締め付けられる。ソフィアは切ない気持ちを吐き出すように音もなくため息をつくと、「とても綺麗ですね」と目の前に座るアーサーに声をかけた。
すぐさま、応えが返ってくる。
「あぁ、本当に。……あいつにも、見せてやりたかったね」
「……はい。私、テオ様と約束していたんです。三人で、冬祭りに行こうねって。はぐれないように手を繋いで」
「テオのことだ、きっと『帝国男児たるもの、男などと手は繋がん』って僕の手を払いのけて喧嘩になりそうだ」
しんみりした雰囲気を振り払うように明るい声音で言って肩をすくめるアーサーに、ソフィアも微笑んで「テオ様なら言いそうですね」と頷いた。
「そういえば、今夜ミスティたちが冬祭りに行くそうですよ」
「そうなんだ。どうりで、廊下ですれ違った時ベネディクトがそわそわしていた訳だ。ソフィアは冬祭りに行ったことはあるの?」
「冬祭りは恋人たちの日ですから、私は縁遠くて。それに毎年年末は仕事が忙しくて行ったことがなかったんです」
「確かに、この時期は公式の年末業務も多いから、迎賓館は大忙しだろうね」
「アーサー様もこの時期は忙しいのではないですか?リベルタ貴族の中には、年末年始の夜会や舞踏会があまりに大変すぎて体を壊す人もいるとかいないとか……」
「あぁ、この時期は憂鬱だ。僕、あんまり貴族らしい行事が得意な方じゃないから余計に。まぁ、今年は『帝国との交渉業務で忙しいので遠慮します』って言い訳して出来る限り欠席する予定だけどね。去年までは僕だけで乗り切っていたんだ、今年は父様に頑張ってもらうさ」
貴族にとって一年で最も大事な時期といわれている年末行事を、彼は軽い口ぶりでズル休み宣言してしまった。
だが、口では欠席すると言いつつも、真面目で家族思いな彼のことだ。きっと父親一人に任せるのが申し訳なくなって、ほとんど自分が出席することになるのだろう。
年末のアーサーの様子が簡単に想像出来てしまい、ソフィアは「体を壊さないように気を付けてください」といたわりの言葉を伝えた。
彼は誰よりも貴族らしい見た目をしていながら、その実、中身は誰よりも貴族らしくない。
過度な遊びや派手さは好まず、家族と過ごすひとときが何よりの宝物。
社交界での煌びやかな交友関係より、地位身分関係なく気心の知れた仲間と過ごす時間を重んじる。
いつの間にか、アーサーという人をよく知るようになっていた自分に、ソフィアは内心こっそり驚いた。
他愛ない話をしながら馬車に揺られること約十分
渋滞で進みが遅いため、二人は途中で下車して歩いて屋敷まで向かうことにした。
先に馬車を降りたアーサーが差し出した手を掴み、ソフィアは地面に足を付ける。
少し緊張しながら貴族街を進む。
隣を並んで歩いていたアーサーが、こちらを安心させるように「大丈夫だよ」と優しく言った。
「街は元通りの雰囲気に戻っているし、君やセヴィル人に対する疑いや恐怖心はとっくに晴れている。そんなに怯えなくても大丈夫。といっても、あれは君には怖くて辛い体験だったよね」
「頭ではもう大丈夫だと理解しているつもりなのですが……まだ少し慣れなくて。私が非難されるのは良いんです。でも庶民の私と並んで歩くことで、アーサー様に迷惑がかかったらと思うと……」
「君は本当に気遣い屋だな。僕のことは気にしなくて良いんだ。例え誰に何と言われても気にしないし、むしろ返り討ちにしてやる。貴族は貴族以外と仲良くしてはいけないだなんて、そんなの余りに古すぎる。堂々と言ってやるさ――『大切な人と歩いて、何が悪いんだ!』ってね」
口元に笑みをたたえ、灰の瞳でまっすぐ前を見すえ、彼は確かな口調で言い切った。
声は穏やかだったが、その言葉に込められているのは強い信念。
身分も立場も、性別も、出身国の違いすら超えて、彼はソフィアを常に対等に扱い、向き合ってくれる。どこまでも誠実な人。
そんな彼だからこそきっと、自分は強く惹かれたのだろう。
ふと前を向くと、オルランド伯爵家の門の前に一人の人物が立っていた。
良く顔を見れば、クレーベル家との仲介役を担ってくれている貿易商の男性だ。
彼はこちらに気付くと、パッと顔を明るくして「丁度良かった!お二人に『特別な』お届けものですよ!」と告げる。
『特別』――クレーベル家からの荷物だ。
貿易商の男性はソフィアとアーサーにそれぞれ一通ずつ手紙を差し出すと、「では今日はこれで失礼します!」と言ってにこやかに去って行った。
ソフィア達は屋敷に入ると、リビングの暖炉の前にあるソファに腰掛け、それぞれ封を切って手紙に目を落とした。
「これは――」
帝国語で書かれた文字に、ソフィアは思わず驚きに目を見開いた。
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