第60話 夢の落とし物

 会談が始まって約一週間。


 両国の話し合いはまとまらず、依然として平行線が続いている。


 そして、毎日呼び出されているソフィアとテオの会話も、同じ事の繰り返しだった。



【ソフィア、いい加減共に祖国に戻ることを承諾せよ。俺は強い男だが、か弱い女を力尽くで従わせるのは好かん。早く俺の物になれ】


【テオ様、それは昨日も一昨日もお断りしているはずです。何度おっしゃっても、お受け出来ません】


【ぐっ……なぜだ……昔はあんなに微笑んで俺の話を聞いていたじゃないか! 俺に気があったんじゃないのか? どうして今は、そんなにつれない態度を取るんだ。また恋の駆け引きか? そうなのか! まだ足りないのか。お前も駆け引きが好きな女だな】


【変な誤解をなさらないで下さい。これは駆け引きではございません。昔は、毎日届く手紙と、毎回の突然訪問が怖くて、笑っていたのではなく、苦笑していたのです】


【なっ……!……俺は、こわいのか……そうか。そうなのか。いいやっ! 帝国男児たるもの、強さをアピールするのは当然のこと。『男は女をある程度支配するくらいが丁度良い』と、帝国の恋愛本には書いてあった。俺は勉強したんだ!】



 胸を張ってハラスメント寸前の帝国式恋愛を語る彼に、ソフィアは呆れてしまい、ため息をこぼす。



【テオ様、帝国の恋愛本は色々強引すぎます。あまり参考になさらない方がよろしいかと。帝国令嬢ならまだしも、他国の令嬢相手に実践したら大問題です】



 テオの傲慢な物言いにもすっかり慣れてしまったソフィアは、紅茶を持ち澄まし顔でたしなめた。

 

 そのまま口を付けると、テオも【そうなのか……。俺の苦労と勉強時間は……。ええい、くそっ!】と苛立ちながら乱暴にカップを持ち、中身を飲み干す。


【あっ!淹れ立ての熱い紅茶なのに……テオ様、大丈夫ですか?】



 心配する自分の目の前で、彼は眉間にしわを寄せると、【うっ……問題ない……】と呟いた。


 だが、目元には熱さと痛みでうっすら涙がにじんでいる。絶対に口の中を大やけどしているはず……大変だ。



【今、冷たい飲み物とおしぼりをお持ちします。口の中を冷やさなきゃ】


【いらん。帝国男児は強き生き物。熱い茶などに負けるようなヤワな訓練はしていない。口の中も鍛えているゆえ、心配ない】



 慌てるソフィアと一人我慢大会をするテオ。


 二人から少し離れた所で、声を潜めてクスクスと笑う声が聞こえてきた。


 

 テオが腹立たしげな表情で笑い声の主を睨み付ける。


【おい、オルランド。貴様、何を笑っている? というか、毎度毎度ソフィアの後ろをくっついて来おって。貴様は腰巾着か】


【腰巾着じゃなくて、僕は彼女の上司。着いてくるのは当たり前だろう? いやぁ、それにしても、帝国では口の中も鍛錬するなんて……ずいぶんと……ユニークな……訓練をしているんだなぁ、と】


 アーサーはいつも通り爽やかな微笑を浮かべ言葉を紡ぐが、笑いを堪え切れず声が震えている。


【貴様っ!この俺を馬鹿にするなど、あってはならないことだ! 俺はテオ・ブラスト侯爵家の嫡男であり、今回の使節団の最高責任者だぞ。もっと敬い、恐れ、こうべをたれよ。おい、言ったそばから笑うな】


【はいはい。もう笑いません】


【俺達の会話にも口を出すなよ】


【はいはい】


【『はい』は、一回ッ!!!!!!】


【急に大声を出さないでくれるか。暑苦しい上に耳が痛い】


 怒るテオと飄々ひょうひょうかわすアーサー。



 案外仲が良さそうな二人の会話を聞きながら、ソフィアはほほ笑んだ。


 彼らは毎日、会談で顔を合わせているため、最初こそ険悪な雰囲気だった。


 しかし、この部屋でソフィアと三人で過ごす内に、次第に打ち解けてきたように思える。



 テオも怒鳴ったり苛立ったりしつつ、どこか今の状況を楽しんでいるように見えてならない。



 不穏で緊迫した紛争状況の中にある、温かな日常のひととき。


 もし生まれる時代や環境が違ったら、自分達三人はこんな風に友達にも似た関係を築けたのだろうか。



【テオ侯爵使節。さっきから少し、ソフィアと距離が近すぎるんじゃないですか? もっと離れて下さい。出来れば、あそこらへんまで】


 アーサーが部屋の端も端。薄暗い角を指さした。


 途端、テオが声を荒げて怒り出す。


【なんだと!あっ、あんな部屋の隅っこに、俺を追いやるというのかッ! おのれぇ……オルランド。ヘラヘラ笑って俺を馬鹿にするとは、不敬なやつめ! 覚えていろ! 帝国がリベルタ王国を占領した暁には、お前を俺のしもべにしてこき使ってやる。ヘロヘロのぼろ雑巾になるまで使い倒してやるから、覚悟しておけ!】


【しもべ、か。命を取ろうとしないのが、君の優しいところだ。それが君の本来のあり方なんだろうな】



 目を細めて切なげに告げるアーサーに、テオは一瞬言葉を失った。

 

 複雑な表情を顔に浮かべ、少しうつむいて苦しげに声を絞り出す。



【…………別に、優しさなどではない。俺は強い男だ。優しさや弱さは、とうの昔に捨てた。戦乱の後、処刑ではなく、あえて生かすのは……死より、生きる方が、よっぽど苦しいと知っているからだ】


【テオ様……】



――私達は……。セヴィル帝国とリベルタ王国は、傷つけ合うしか道はないのかな。私に争いを止める魔法みたいな力は無いけれど。それでも、何か出来ることがないかしら……。



 ソフィアは、部屋に充満する重い雰囲気を晴らすように、話題を変える。

 

 明るい声音でテオに問いかけた。


【テオ様は、この先の夢ってありますか?】


【夢?そんなもの、お前を国に連れ帰り、侯爵家当主として代々の責務を果たし――】


【ブラスト侯爵家次期当主としてではなく、テオ様ご自身の夢です】


【俺の、夢…………】


【では、やりたいこととか、行ってみたい場所とか。それを考えたら、少しは楽しくなれませんか?】


【俺自身の、夢か。生まれて初めて聞かれた。この俺にそんなことを尋ねるのは、お前くらいのものだ。やはり……お前は普通じゃない。特別な女だな。――そうだな……俺は一体、何がしたいのだろうか】


 テオは椅子の背もたれにゆったりと体を預けると、窓の外に広がる空を見上げた。



 未来に思いをはせる彼の口元には、普段の偉そうな笑みはなく、自然と優しげなほほ笑みが浮かんでいる。



 空には、北から冬を越すためにやってきた渡り鳥が群れをなして飛んでいた。

 

 はるか遠く、自分の知らない世界へ羽ばたき去る彼らの姿を見送って、テオは呟く――。



【夢か。子供の頃は沢山持っていたはずなんだ。なりたい職業、理想の自分、未来への溢れんばかりの希望。だが今となっては、何一つ覚えていない。一体どこに、落としてきてしまったんだろうな……】





 



◇◇◇


 その日の帰り道、ソフィアはまっすぐ寮に帰らず、気分転換に商業地区をあてもなく歩いていた。


 胸の中に繰り返し浮かぶのは、『私に何かできることはないのかな』という思いだった。 



――私は、ちっぽけね。 



 元は帝国貴族令嬢だったとはいえ、今は平民同然。

 強大な権力も巨万の富もない。

 

――それでも、大切な人たちが笑って暮らせる明日のために、少しでも何かしたい……。

 

 子供の時は、大人になったら立派な人になれると思っていた。


 でも、いざなってみると、無力さを実感することの方が多い。


 生きることは本当に。


「むずかしい」


 白いため息を吐き出した時、ふいに後ろから肩を叩かれた。


 ソフィアは振り返り……目の前の意外な人との再会に驚く。



「貴方は――」



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