政略結婚お断り、逆境に負けず私は隣国で幸せになります

葵井瑞貴┊書き下ろし新刊10/5発売

1章:鳥かごから羽ばたく令嬢ソフィア・クレーベル

第1話 運命の出会い、待ち受ける波乱

 

 舞踏館の天井に、大空へ羽ばたく鳥たちが描かれている。



 もしあの鳥になれたら。



――私もこの息苦しい場所を抜け出して……まだ見ぬ世界へ行けるかしら。



「ソフィア。ちょっと聞いてる? ソフィア!」


 名を呼ばれ振り向くと、そこには怪訝けげんな顔でこちらを見つめる女学院の級友エリィがいた。


 ソフィアの思考は一気に現実へ引き戻される。


 無音だった世界に人々の話し声や優雅なワルツの音色が戻る。


 視界に映るのは、きらびやかなダンスホールと踊りを楽しむ男女の姿。

 


――私は自由に羽ばたく鳥には、なれないよね


 

 ソフィア・クレーベル伯爵令嬢は心の中でため息をついた。



 ソフィアという名前の後ろには『セヴィル帝国クレーベル伯爵令嬢』という肩書きがつきまとい、行動には貴族の責任が伴う。


 そして、身にまとうのは身軽さとは程遠い、コルセットで固められた窮屈きゅうくつなドレス。



 ソフィアは落胆を隠すように微笑むと、級友のエリィに「何のご用かしら?」と問いかけた。


「『何のご用かしら?』……って、ソフィア。あなたさっきから、ぼーっと天井ばかり見つめて一体何をしているわけ?」


 呆れ顔でエリィは喋り続ける。


「あなた今日、一度も男性と踊っていないじゃない。相手が見つからないの?」


 哀れみの目を向けてくる彼女にソフィアは首を横に振ると、はっきりとした口調で言った。


「私、今日は宮殿の建築様式と天井画を見に来ただけだから踊らないの。ねぇエリィ、知ってる? 隣の部屋にある『平和の間』の天井絵は、芸術の国出身の画家が描いたもので、普段は一般公開されていないから凄く貴重――」


「ふーん。全く興味ないわ」


 ソフィアの言葉を一蹴すると、エリィは再び憐れみの目でこちらを眺めながら、早口でまくしたてた。


「いつも思うけど……あなたってほんと普通じゃないわね。いい? 私達セヴィル帝国令嬢に建築や芸術の知識はいらないの。結婚の役に立たないものは無価値で無意味! おっとりボケっとしてたら行き遅れるわよ。少しはこの私を見習ったら?」



 いつもの長話が始まる予感がして、ソフィアは内心げんなりしながら「ええ、そうね」と適当に相づちを打った。


 案の定、長すぎる自慢話が始まったため、会話を聞き流しながらエリィの背後にある白亜の彫像を眺める。


 芸術品に見入っているソフィアの耳には、彼女の声は音が聞こえるだけで意味を拾わない。


 言葉は全て、ピーチクパーチク、ピヨピヨピヨ~という鳥のさえずりに変換される。


「私、今日はもう四人の殿方からお誘いを受けちゃった。最初の二人はそこまで良い家柄じゃないからお断りしたけど、あとの二人は及第点。顔も良くて踊りも上手。二軍入りって感じかしら」


「ええ」


「私、もう足が痛くて痛くて……。壁際で天井見つめてる貴方と違って、ずっと踊っていたから赤くなってしまったの。いいわねぇ、あなたは痛くならなくて。天井見上げてるだけですものね!」


「ええ」


「それより聞いて聞いて! 私これからテオ・ブラスト様と踊るお約束をしたのよ!王家とも繋がりのあるブラスト侯爵家の長男!しかも一人息子!すごいでしょ!」


「ええ」


「素敵よねぇ、テオ様! 背が高くて、がっしりとした細マッチョ。おまけにイケメン! 強さを前面にアピールしている所が『まさに帝国男児!』って感じで凛々しいわぁ。いま社交界で一番人気なのよ。ちょっと俺様系な人みたいだけど、この際、玉の輿に乗れれば性格に難があっても構わないわ! 男は金と権力が全てよ。顔はかっこいい方が良いけど、他はどうでもいいの」


「ええ」


「さっきから『ええ』『ええ』って。……ねぇ、あなた私の話聞いてないでしょ?」


「ええ………………ん?」


「ほらやっぱり聞いていないじゃない!!!あなたに言った私が馬鹿だったわ!!」


 ドレスの裾をつかみ、ヒールのかかとを鳴らしてエリィは鼻息荒く去って行った。



 彼女はいつもソフィアを一方的にライバル視して自慢話を繰り広げ、こちらがまともに取り合わないのを悟ると怒りながら去って行く。


 今まで、この流れを何度繰り返したことか。 



「適当にあしらわれると分かっているのに、どうして毎回私の所に来るのかしら……?」



 呆れを通り越し、全く学習しないエリィが少し可愛く思えてしまう。



――っと、エリィのことは一旦置いておいて、『平和の間』に行かなきゃ。今なら誰もいないから貸し切り状態のはず。宮殿舞踏館に入れる機会なんて中々ないわ。しっかり目に焼き付けなきゃ!



 ソフィアは壁際で談笑する人々の隙間を通り抜け、足早に隣の部屋を目指し歩き始めた。


 しかし、数歩進んだところで横から貴族の男性に声を掛けられ立ち止まる。


「やぁ、クレーベル伯爵令嬢。初めまして、良い夜ですね」


「初めまして。ええ、とても素敵な舞踏会ですわ」


「お一人ですか?よければ僕と一緒にダンスはいかがです?」


「お誘いありがとうございます。大変嬉しいのですが……申し訳ございません。あいにくこれから大事な用がありまして、またの機会にご一緒できると嬉しいです」


 申し訳なさそうな表情を浮かべながら丁寧にお断りの定型文を述べると、ソフィアは優雅に一礼して先を急いだ。

 

 だが、また数歩進んだところで貴族男性から声を掛けられ、足止めを食らう。



――あぁもう、放っておいてくれないかしら!私は殿方とのダンスより美術品に興味があるの!



 同じやりとりを繰り返し、じわりじわりと亀の歩みのごとき遅さで前進すること数分。



 ようやく平和の間の入り口が見えてきた時、後ろから「おい」という乱暴な呼び声が響いた。



 まさか自分に向けられたものだと思わず無視していると、もう一度「おい!」と先程より大きな声で呼び止められる。



 どうやら、自分を呼んでいたようだ。



 振り返ると、そこにいたのは黒髪に金色の瞳をした精悍な顔立ちの青年だった。 


 シャツの首元が少し緩められ、男らしく突き出た喉仏がのぞいている。


 普通ならだらし無く感じる着こなしも、ワイルドな見た目の彼には非常によく似合っていた。

 

 濃紅色の豪奢ごうしゃな上着と、財力を誇示するかのように着飾った高価な宝飾品から、一目で上位貴族だと分かる。

 

 以前どこかで顔を見た気がしてソフィアは記憶をたどり……ようやく思い出した。


 エリィとの会話で出てきた貴族――テオ・ブラスト侯爵子息だ。



――こんな身分の高い方が私に何のご用かしら?



 彼は気分を害したように眉間にしわを寄せると、よく通る低音を響かせて言い放った。


「おい、お前。この俺がいるというのに無視して通り過ぎるのか?」

 

 彼の言葉の意味が理解できず、ソフィアは一瞬固まる。



――えっと、この方は何を仰っているの?



 呆れかえるソフィアだったが、顔には一切出さず、瞬時に謎の言葉を脳内翻訳する。


 恐らく彼は、『おいそこのお前! この尊い身分の俺様を無視して通り過ぎるなど、女のくせに何たることか!まったくもって不敬であるぞ』という趣旨のことを言いたいらしい。



――まったく、この国は、なんて面倒なのかしら……。

 


 我がセヴィル帝国では、昔から女性の社会的地位が圧倒的に低く、男性に逆らったり不満を言うことは許されない。


 それでも近年は、性別による差別を問題視する風潮が国際的に強まっているため、我が帝国でも表立って女性を卑下する男性貴族は減って来たが……目の前のテオ侯爵子息は伝統的な価値観の持ち主らしい。



 ソフィアは完璧なお辞儀をすると、目を伏せ、しおらしい態度で「ご挨拶が遅れたこと、大変失礼いたしました」と非礼を詫び、自らの名を述べた。



 しかし、テオは何も言わない。

 返事もせず、腕組みをしてじっとこちらを眺めている。


 ややしばらくの沈黙の後、ソフィアは控えめな声で「それでは、失礼いたします」と言うやいなや、優雅な仕草を保ちつつ風のような早さでその場を後にした。





 ソフィアが颯爽と消えたダンスホールでは、テオが驚きと怒りに肩を震わせていた。


「なっ、なんだあいつ!! この高貴なる俺を褒め称えもせず去ったのか? あんな女、初めてだ……。面白い……。ソフィア・クレーベル。お前は、俺に取り入ろうとする他の女達とは違うのだな。気に入った。気に入ったぞ……」





 厄介な男性に目をつけられたことに気付くはずもなく。

 ソフィアは平和の間にたどり着くと、見事な天井画を眺め感嘆のため息をついた。

 



 この出会いが後に自分の運命を大きく変えることになるなんて、この時のソフィアは知るよしもなかった――――。



 


 一方エリィは、踊る約束をしていたテオ・ブラスト侯爵子息を必死に探していた。

 しかし、ダンスホールをくまなく探したがどこにも姿はなく……。


「うそ……テオ様! 私のテオ様はどこよ!!」


 足が更に真っ赤になるほど捜索するも、やはり見つからず。

 

 結局、一番狙っていた男性と踊れないまま、エリィの夜会は静かに幕を下ろした。





 次話『超絶上から目線の恋文……?』



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