第二章〜⑰〜

 言い伝えによると、稲野神社は、千年以上も前にこの地に遷座されたという長い歴史を持つ由緒ある《お社》らしい。その境内には、本殿の他に、名のある神社の分祠がいくつも存在している。

 強烈な陽射しを遮る、鬱蒼とした木々の木陰に入ると、うだるような暑さもいく分かは、マシに感じられる。

 ジ〜ジ〜、ジリジリと合唱をしているアブラゼミの声も、今回の実験には、うってつけだ。

 本殿からさらに奥まったところにある、直射日光を防ぎ、人気の少ない場所を見つけたオレは、


「この辺りで、良いか?」


と、この実験の発案者にたずねる。


「いいんじゃない? 少しは暑さもしのげそうだし」


 了承を得たオレは、コカリナを取り出し、


「じゃあ、始めるか」


と、声を掛け、


「あと、時間を計るなら、これも必要じゃないか?」


ストップウォッチを手に取り、さり気なく『出来るオトコ』であることをアピールしながら、彼女に見せた。

 すると、小嶋夏海は大して関心も無さそうに返答する。


「時間を計るだけなら、スマートフォンの機能で十分じゃない? 時間停止中は、ネットには接続できなくなるみたいだけど、タイマーやストップウォッチの機能は、作動していたから」


 思いがけない返答に、


「そ、そうか……まぁ、そうだな」


トーンダウンした声で応じてしまった。


「?」


 怪訝な表情で、こちらの顔色をうかがう実験の発案者は、


「まぁ、コンマ単位で、より正確に時間を計測するなら、使ってみても良いか……」


と、フォローを入れてくれた。


(や、やめてくれ……こういう時の心遣いは、余計に惨めになる)


 そう思いつつも、声には出さず、なるべく表情を崩さないように努力しながら、


「あぁ、良ければ使わせてくれ」


と、返答しておいた。

 すると、彼女は、特にこちらのようすを気に風もなく、


「わかった。じゃあ、早速始める、その前に……私の仮説を聞いてもらってイイ?」


無言でうなずくオレに、スマホを取り出して、持説を展開し始めた。

 彼女のスマホの画面には、ソプラノ管コカリナの運指表の図が表示されている。


「この運指表を見て! ソプラノ管コカリナは、♯や♭の半音を合わせて、全部で十五の音階があるの。前にも話したかも知れないけれど、坂井が体験したことをそのまま信用するなら、音階によって、停止する時間の長さが変わるんじゃないかと、私は推測してる」


 彼女は、自身の見解をスラスラと語る。


「高音のレの音階が鳴らされた時の停止時間は一分間。そして、低音のドの音が鳴らされた時の停止時間は、かなり長く感じた。それなら、低音のドの音と、音階の真ん中にあたるソの音の停止時間を正確に計測できれば、すべての音階の停止時間も、おおよそ判断できるんじゃないか、と思うの。《長時間停止》には、回数制限があると考えるなら、実験する回数もなるべく少ない方が良いと思うし……」


 そこまで一気に語ると、「どうかな?私の仮説は……」と言いたげな表情で、こちらをうかがっている。

 どうもこうも、仮説や実験方法について、深く考えているとは言えない自分にとっては、感心するより他はない。

 それと同時に、


(コカリナの持つ《時間停止機能》の、ナニが、ここまで小嶋夏海を没頭させるのか?)


とも感じる。

 もちろん、(意図したことではないとは言え)この事態に彼女を巻き込んでしまった自分が、そんなことを言える立場でないことは理解しているが……。

 そんなことを考えながら、


「小嶋の考えだと、二〜三回の《長時間停止》を実行するってことか?」


と、自分の理解が正しいのか、確認を取る。


「そうね、念のため、高音の方も停止時間を確認しておきたいから、三回は機能を発動させることになりそう。どう? 回数的に問題ない?」


 彼女は、こちらの問い掛けに質問で返してきたが、内容的に問題になることはなさそうだ。


「あぁ、問題ない! それより、効率の良い実験の方法を考えてくれていたんだな、ありがとう」


 素直に感謝の言葉を口にすると、


「別に……時間があっただけだし……」


と、予想通りの反応が返ってきた。

 ともあれ、確認する方法や手順を共有できたことで、いよいよ実験の準備は整った。

 ちなみに、昨日の一件で、暗黙のうちに、コカリナの音を奏でて時間を停止させるのは、オレの役目になっている。


「それじゃあ、始めるか!? 最初は、高音から鳴らすぞ?」


 そう、宣言すると、彼女も応じる。


「ストップウォッチは、私が預かる。時間計測は、任せて」


 その言葉にうなずいて、頼りになる相棒にストップウォッチを手渡し、コカリナのストラップを首に掛け、吹き口に唇をあてる。そして、両手の親指も背面の指穴から外し、息を整える。

 少し緊張しているためか、周囲のアブラゼミの大合唱が、より反響して聞こえるような気がした。

 彼女はコカリナの先端に触れ、ストップウォッチを構え、「いつでも良い」といった感じで、首を縦に振った。その仕草を合図に、大きく息を吹き込んだ。

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