第一章〜⑭〜
始業まで三十分も余裕のある時間のためか、教室内には、金曜日の放課後と同じように、小嶋夏海が一人でたたずんでいた。
しかし、あの時と違うのは、すでにオレが入ってくることを意識していたのだろう、教室のドアを開けると、彼女は、自分の机に腰を置くような体勢で、こちらに視線を送っていたことだ。
オレと目が合うなり、
「おはよう、坂井」
と、小嶋夏海は挑発的な笑みを投げかけてくる。
「小嶋、なんつ~事をしてくれるんだ!? あやうく、変態扱いされるところだったゾ!」
教室前方の入り口から彼女の方へと歩を進めつつ、抗議の声をあげるオレに、彼女は余裕の表情で、
「あれ? 坂井は、『変態扱い』じゃなくて、『変態』そのモノなんじゃないの? 時間を止めて、二人きりの教室内でクラスメートの女子に近づこうとするなんて、真っ当な人間の考えることとは思えないケド?」
そう言って、クスクスと笑う。
「そ、それは……申し訳ない、と思って……」
金曜の放課後に自分がしでかした行為の後ろめたから言いよどむオレに対して、
「まぁ、さっきので借りは半分くらい返せたし、今は、そのことはイイから……ところで、坂井。今日はどうして、こんなに早く登校して来てるの?」
彼女は、そんな疑問を投げかけてきた。
「あぁ、それは、小嶋に金曜日のことを謝ろうと思って……できれば、朝の早いうちが良いかな、と思ったから……」
たどたどしく答えるオレに、「ふ~ん」と、つぶやいたあと、彼女は、
「殊勝な心掛けは立派だけど、じっくり話しをするのなら、放課後の方がイイんじゃない? お互いに、思うところもあるだろうし……それに……私の方は、坂井に聞きたいことが、たくさんあるんだよね」
と、話し合いの先送りを提案してきた。
朝イチの時間帯に彼女に謝意を示し、何とか、木製細工を取り戻したい、と考えていたオレの思惑は、いきなり外れることになったが、その目的とするモノが、小嶋夏海の手の中にある以上、その提案を無下にすることも出来ない。何より、もっと多くの生徒が集まる時間帯に、あの時間停止の機能を使って、さっきの様な騒ぎを起こされてしまうと——————。
そう考えたオレは、
「わかった……放課後に話し合う時間をもらえないか?」
と、彼女の提案を受け入れた。
※
金曜日と同じく、この日も授業終了まで、小嶋夏海と木製細工のことばかり考えていたオレの耳に、教師の声は、ほとんど入ってこなかった。
ただ、夏休みまで十日を切ったことに加えて、曇り空の蒸し暑さが不快指数を上げるこの時期に真面目に授業を受けようとしない生徒はオレだけではなかった模様で、一番前の席の哲夫は、期末試験終了後の雑談の多くなった各教科担当の教師にさらなる脱線をうながし、康之は授業中のほとんどを机に突っ伏して過ごしている。
さらに、小嶋夏海と親しくしている印象のある大嶋裕美子と中嶋由香は、二人とも欠席しているようだ。
全体的にけだる気な教室内の雰囲気と反するように、オレの目の前、五十センチほどの距離に座っている女子生徒は、何やら熱心にノートに書き込んでいる様子である。
自分を中心としたクラスメートが、早くもプレ夏休みモードに入っているこんな時期に、小嶋は勉強熱心なんだな――――――と感心する。
そうして、目の前の彼女のことを想うと、
「お互いに、思うところもあるだろうし……私の方は、坂井に聞きたいことが、たくさんあるんだよね」
朝の教室で、そう言った彼女のセリフが、鮮明に思い出された。
当然、自分の側には、小嶋夏海に謝罪しておきたい、そして、彼女が持ったままの木製細工を取り戻したい、という考えはあるものの……。
(小嶋の方が、オレに聞きたいことって、一体なんなんだ?)
梅雨明け前のどんよりとした曇り空のもと、気温も湿度も高い環境下の気だるい授業が続く中、オレは、そのことばかりを考えていた。
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