第一章〜⑨〜
あやうく声を出してしまいそうになるのを必死にこらえ、あわてて、教室に踏み込みかけた身体を廊下の壁際に戻す。
小嶋夏海は、頬杖をついたまま、窓際から教室の外の風景をながめているようだったが、音は立てなかったものの、ドアが開いたので、自分が居る廊下の方を見ているかも知れない。
それでも——————。
教室には、小嶋以外の誰もおらず、一人きりだ。これは、千載一遇のチャンスかも知れない。少なくとも、昨夜のベッドの上での考察から思案した、一つ目の『彼女が一人きりになる機会をうかがう』という問題は、完全にクリアしている。
(どうする? ここであの《機能》を使うか?)
(いや、停止時間の長さが不明のままでは……)
(しかし、こんなチャンスは二度とないかも!)
廊下から教室の窓側までは、約十メートル。
マスクを外して、小嶋夏海の素顔を確認し、再びマスクを装着させて、この場を離れるのに、これまでの実験での最短の停止時間である六十秒は十分な時間ではない。
それでも、時間停止解除直前か、最悪でも時間停止の解除直後に、もう一度、この機能を使えば問題ないだろう。
小嶋の座る席からは死角になるように、教室の間にある柱に背を預けながら、そんな風に逡巡しつつ、
(今日は、金曜だ。モヤモヤした気持ちを抱えたまま週末を迎えるよりも、今日中に『気になること』を解消したい!)
そう、決意して、通学カバンのポケットから木製細工とストップウォッチを取り出し、裏面にある小窓のカウンターの数字と切り替えスイッチがON(仮称)になっていることを確認し、ストラップを首に掛けてから、左手の人差し指と親指だけで持ちながら、吹き口の部分に唇をあてて、思い切り、息を吹き込んだ。
耳の奥で鳴り響く音とともに、世界が動きを止める——————。
==========Time Out==========
音が鳴ると同時に、ストップウォッチの計測スタートのボタンを押し込む。
教室の中を確認すると、予想したとおり、窓から外を眺めていた小嶋夏海が、こちらに顔を向けようとしているところだった。
彼女の様子を観察すると、思ったとおり、周囲の時間は止まっているようだ。
時間に猶予があるわけではないので、すぐに、教室の後部ドアから窓際まで移動し、自分の席に腰掛けている彼女の側に立つ。
音のないはずの世界に、わずかに、キンという小さく甲高い音と、自分の鼓動だろうか、ドク……ドク……という低く唸るような音だけが聞こえる。
着席状態のまま、廊下側を振り向いた彼女の横で、膝立ちになって、息を整える。
ストップウォッチを確認すると、13秒……14秒……15秒……と正確にカウントアップを行っている。
(大丈夫! 十分に時間に余裕はあるハズ、だ……!)
冷静になるように自分に言い聞かせて、ストップウォッチを胸ポケットにしまい、緊張で両手が強ばるのを感じながら、オレは、右側に顔を向けている小嶋夏海のマスクを外す。
そこには、まっすぐに伸びて品の良さを感じさせる鼻筋と、まるで桜の花びらのように薄く整った唇があった。
その整った顔立ちを見つめた瞬間、この世界でただ一人、自由に行動できるはずのオレ自身の時間も止まった気がした——————。
(彼女の素顔を一度で良いから見てみたい!)
と、思い続けた自分の欲求のためかもしれないが、小嶋夏海の顔を見つめたまま、ほんの数秒、オレは硬直してしまっていたようだ。
(その容姿を、もっと目に焼き付けたい——————)
そう思うものの、今は、小嶋夏海に再びマスクを着け直して、ここから立ち去らなければならない。ハッと我に返ったオレが、胸ポケットからストップウォッチを取り出し、彼女の背中側に位置する自分の席の机に置いて確認すると、
43秒……44秒……45秒……。
思った以上に時間の進み方が早いことに、ドキリとした。
素顔をさらしたまま、目の前で静止する彼女に、急いでマスクを装着させようと試みるのだが、外した時と違って、ヒモの部分が耳に上手くかからず、焦って何度もやり直す。
50秒……51秒……52秒……。
刻一刻と迫るタイムリミットに、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを感じながら、ようやく、小嶋夏海にマスクを着け直し、チラリとストップウォッチに目をやると、デジタル表示は、55秒を回ったところだ。
あわててストラップに掛かる木製細工を手に取ろうとするも、焦って手につかず、取り落としてしまった——————。
(マズい……)
そう思った瞬間——————。
=========Time Out End=========
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