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あとがきへの応援コメント
「どんな親でも、お腹を痛めて産んでくれた恩がある」の言葉には、
昨今のニュースの事もあり、どうなんだろと自分も思いました。
自身も何事も画一化すべきではないと思いました。
そもそもそんな言葉を発している人も、特に深くは考えていない気がします。
周りの人に、自身はちゃんと親を敬う、
模範的、一般的な人間だよのアピール以上のものでしかないのだろうと考えています。
うーん、やっぱり差別って大事。
常識や一般的、当たり前、みんな、なんてものはすべて幻想だと思います。
人種差別、男女差別、年齢や身体的、障害等の差別は当然にするべき。
上っ面で平等とかみんな同じだよと言う人は多数いるけれど、
そう言う人は多分頭がおかしいのだと思います。
そもそも「差別」=「見下し」と考えている所がアホかなと。
差異のある事を受け入れる、すべての人には差異があるのが当然と思う事。
その違いを認識し、自身と他者の違いを考えた上での共生していく考えに至らず、
上っ面の言葉につきまとっている、世情の感覚のようなものに踊らされ、
本質を理解せず、画一的な思考の押しつけと、
同情と裏に隠された蔑みの心の押しつけが発生しているのかも知れません。
ちょっと、一時期、この手のニュースが大々的にされてた頃、
とある小説を書く為、いくつか調べていたのですが、
その際、あるインタビュー記事を読んだのですが、
こう、精神が、「その対象」から離れたとしても、
蝕み続ける、ちりちり焦げ続ける焼け跡みたいな後遺症が大きいのかなと。
責められ続けた人は、自身を責める「癖」がついているようでした。
「精神の囚われ」「何かに摑まれてる」「植え付けられた強迫観念」のようなモノが継続しているのではないかと。
インタビュアーはそんなんだから、何時までも苦しい生活から抜け出せないんだよ、
と呆れているような感情が出ている嫌な感じの記事でしたがw
「おかしい」はある人に取って「日常」かも知れないのに、
多くの人はそれを受け入れられない。
自身の「日常」を守る為、「おかしい」にある人を殺すのでしょう。
インタビューされた人とした人の心の差は、きっと埋まる事はないのだろうなと思いました。
違いを認める心が、人類には長らくないのだなと思います。
それが「生んでくれたんだから感謝しなきゃ」等の言葉にも出るのかなと。
まあ、差異を完全に認めるとなったら、「差異を認めない考え」も認める事になり、
「人殺し大好き」なんて考えも認めるの? となる訳で。
なので、この世で「合わない」モノとは最終的には殺し合わなければならないのかな、とも。
国だって、合わないモノは、独房に居れたり、首に縄をかけて吊ったり、ミサイル飛ばしたりする訳で、
最終的には人同士が分かり合うのは不可能で、そんな世界に産み落とされたのでせう。
あとがきへの応援コメント
ありがとう。素敵な作品でした。