バイト中
「何がしたいんだか」
中学に入る前と言い、今回の件と言い夏蝶の噂を流している人物が同一人物だと仮定するのが妥当なのだが、いくら考えても理由が分からなかった。単純に夏蝶のことが嫌いだからと糸づけることもできるが、もし嫌いなだけであれば直接的な嫌がらせをする方が効果的で現実的だ。それをするのではなく、いつも突然現れる噂を味方につけて夏蝶を陥れている。周りに見られれば自分の好感度が下がるから、もしくは誰かをそうやって陥れるのが悪趣味なただの狂人なのか。
「いらっしゃいませ」
そう業務的に店の扉をくぐったお客さんに告げた。
「では、ご案内いたします」
受付を済ませたら席へと誘導する。
柊真は料理は得意な方ではあるが、さすがにこういった公共の仕事で自分の料理を提供するには実績と肩書が足りないため、主にフロアの仕事を担当している。
それから同じような仕事を何度もこなして気がつくと残り一時間ほどになっていた。そろそろ終盤だと思っていたところにおそらく今日接客する最後のお客さんがやって来た。
「いらっしゃいま……」
その言葉を最後まで言えなかったのにはちょっとした理由があった。その人に言いたくなかったわけではなく、単純に驚いたからだ。
「一名様ですね」
「含みのある言い方ね」
「いえ、見えたのがお一人様だったので」
「そう」
「ではご案内いたします」
それからそのお客さんを席まで誘導した後で、注文内容ではないことを口にしてきた。
「なんだか知り合いがウェイターなんて、使用人みたいで妙な背徳感があるわね」
そんなことを言っているのは夏蝶だ。柊真が夏蝶に対して下手に出ているのがたまらないのだろう。
「変なこと言ってないで、注文は?」
「今決めてるとこ」
「お決まりでしたらお呼びください」
「ちょっと待ちなさい」
夏蝶はカウンターに帰ろうとする柊真を止めた。
「営業妨害」
「少しだけよ……」
夏蝶は、迷惑そうな顔をしている柊真に頬を膨らませながら続けた。
「私が外に出れば行動を起こす機会も増えるでしょ」
「あー」
夏蝶は仕事の邪魔になることを承知の上でここに来たらしい。どうやら、柊真が珍しく気にしていることで夏蝶自身も興味が湧いてきたらしく、探偵ごっこをする子供のような目をしていた。
そして、ここへ来たのはその一環で自分が行動を起こせばまた新たな写真が投稿されるのではと考え、その投稿時期と最近行った場所を絞りその時にいた人物を探るためだったという。
「ここに顔見知りはいる?」
「今のところ」
柊真の狭い顔をフル稼働させても知り合いはここにいる夏蝶だけだった。
「そう」
「今更分からないんじゃないのか?」
「どうして?」
「その噂を見た人が面白がってよく知りもしない情報を楽しんで投稿するって場合もあるだろ」
ありえない話ではない。事実、夏蝶の噂がどんどん尾ひれが増しているという事は誰かがさらに噂を拡大させているという事。一人の力がそれほどまでに影響するとは考えにくい、つまり、火に油を注いでいる第三者がいるという事だ。
「最初の投稿者を見ていればわかるでしょ」
「誰かから送られてきたという可能性もある」
「あなたはどっちなのよ。犯人捜しをしたいの? したくないの?」
「俺はただどうしてこんなことをしたのか知りたいだけ」
「それは結局どっちなのよ」
「出来れば知りたいし、分からないままでも別に構わない」
「優柔不断ね」
「何がどうなろうと、春日さんに対する俺の見方は変わらないからな」
「───何よそれ」
そこで、奥の方で柊真の方を見ている偉そうな人物がいた。
「ご注文をどうぞ」
その視線に気が付いた柊真は即座に仕事モードになった。
「おすすめは?」
「春日さんが好きそうなのは……これかな」
「じゃあそれにするわ」
「見なくていいの?」
「別にいいわよ。私、食べれないものは少ないから」
「そう……では、しばしおくつろぎください」
「なんなのもう」
柊真が自分の好みそうなのものを把握していることで、夏蝶は少し顔を赤くしながら柊真が運んできたお冷を口にしていた。
それから十分としないうちに夏蝶の机に料理が運ばれてきた。
「なによ、ドンピシャじゃない」
どうやら大好物だったらしい。柊真の後日談によると夏蝶が作る料理は洋風が多く、その中でもよく加える味をふまえた上で算出したところこの料理が当てはまったとのこと。
「それはよかった」
料理を運んできたのも柊真だったので夏蝶は気になることを柊真に話した。
「いつあがり?」
「もうすぐ」
「そう。なら待ってるわ」
「別にいいよ。一人で夕飯作るのもなんだし、ここで食べて帰るから」
「それを待っててあげるって言ってるのよ」
「何の意味があるんだよ、それ」
「特に意味はないわ」
「……?」
ときおり、夏蝶はこういった意図の汲み取れない発言をする。それに毎回首をかしげている柊真だが、夏蝶の表情がやわらかいのに気が付くとどうでもよくなる。
その後夏蝶は宣言通り、店内で運ばれてきた食事をゆっくりと食べ、それが終わるころにはすでに柊真もバイトの時間が終わり、背中を向けるように反対側の席に座って、注文した。
「なにか言いたいことでもあったんじゃないの?」
周りのお客さんに迷惑を掛けない程度の音量で夏蝶に話しかけた。本当に何もなければ夏蝶が家から出ることは稀なこと。先ほど夏蝶が言っていたことも理由なのだろうが、自分のことでわざわざ外に出てくるようなら夏蝶はアウトドア派になっているだろうと思い、そこで柊真は何か別に用件があったのではないかと心配したのだが本人は特に何もない様子で答えた。
「ただの気分転換よ。いつも手料理だと、自分への愛情が薄れるのよ」
「飽きるとかじゃないのが春日さんらしいというか」
「とにかく、それだけ。あとはそうね、一人分を作るのが面倒になったくらいね」
「二人ならともかくってやつか」
「そう」
「あとは、ほんのちょっとだけ───ほんの少しだけ……」
さっきよりも小さい声で夏蝶が柊真に何かを言ったが、この店の店長が柊真にまかないを届けに来てくれたようで、その言葉は遮られた。
「あ、すいません。ありがとうございます」
「…………」
「ごめん何か言った?」
「なんでもない!」
「えぇ……」
夏蝶はそれだけ言い残し、先に帰ってしまった。
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