後段

 貧乏神、その態度は気負いなく堂々。人間たちはあっけにとられる。



雪女 「この人は……人ではないのでややこしやあ……うちが惚れた相手どす」


貧乏神 「雪女よ、某と其方ではうまくいかぬと断ったのに追ってきたのか」


雪女 「人であっても人でなしでも衆生は惚れた張ったどす。うちのように雪の身でも芯があつうなるのが生きてる甲斐を示しとるのに変わりなし。釣り合わぬと云われても会いとうてあいとうて……あんさんの行先に大雪が降らぬではそれも叶わぬ身でも諦めなんてつきません」



 ご隠居、得心した顔で頷く。



ご隠居 「なるほど、そういうことか。合点がいったわい」


与吉 「どういうことで」


ご隠居 「福の神、貧乏神はな、年ごとに封ぜられる所が決められてそこに出向くならわしと聞いたことがある。そしてどこに出向くかは天の差配といわれ、否も応もないという」


与吉 「それじゃあっしがここんとこぼろぼろなのはこの男の仕業で」


ご隠居 「と思うが、じゃがお前さんは年が明ける前からぼろぼろじゃったな」


貧乏神 「まことに申し訳ありません。某、刻限に遅れるのは耐えられぬ性分ゆえ年を越える前から与吉さん方で働かせてもらっておりまして」


与吉 「奉公人みたいにいいなさんなよ。とんだ真面目さだなおい、この野郎。そうとわかれば許せないのが人情は松の廊下だ覚悟しろ」



 与吉、ここのところの窮乏が貧乏神によるものとわかっていきりたつ。ご隠居、まあまあとなだめる。



雪女 「与吉さんにはいろいろすまない話で。とにかく惚れた男が動けないのじゃこちらから行くしかありませぬ。会いたいなら追っていくしかありませぬ」


与吉 「そりゃあ相手が遠いところで動けねえならそうなるわな。それも人情だ」


雪女 「はい。うちは山城国にきたこの人に惚れてしもうて。ところがこの人はその後は江戸まわりばかり、そのうえ江戸に雪は降らぬで……何年も身を失いそうになるほど焦がれておりました」



 法念、ハッとして雪女にたずねる。



法念 「もしかして私が都の山奥で見たあなたは……」


雪女 「そうでっせ、法念さん。えろう機嫌が悪い時でしたのよ」



 天蓋坊、謎が氷解し雪女にたずねる。



天蓋坊 「ぬ、とすればわしが村人からきいた、山の吹雪がひどくなったというのも」



雪女 「そうでっせえ天蓋坊さん。できるだけ皆さん困らせんように山も奥の、生きものがおらんところで八つ当たりしておったんです。それでも怖がらせてしもうて、わるう思ってます」



 与吉、怒りを忘れて屈託ない笑顔を浮かべる。



与吉 「じゃあここんところの江戸の大雪は渡りに船だったな」


雪女 「ああ、ほんに、ほんにそのとおりで! うれしゅうてうれしゅうて、トントントンと山のてっぺんを飛び跳ねてここまできまして」


与吉 「おい貧乏神さんよ、あんたはしあわせもんだよ。男冥利に尽きるってもんですねえ、ご隠居」


ご隠居 「これ与吉、枯れ木のわしに振るでないよ。しかしじゃ雪女さん、これからどうするつもりじゃ」


雪女 「うちは惚れた男のこの人のそばにずっといとうございます……かなわぬのは先刻承知、それでも今日だけでも二人で過ごしとうございます」



 与吉、雪女の言葉に感じ入り、貧乏神による不幸のことはてんから忘れて、



与吉 「けなげだねえ。よっ、色男さん、うちを貧乏にしてる暇があるんだからよ、二人で正月の江戸でも見てくりゃいいじゃねえか」


貧乏神 「与吉さん、お心遣いは大変ありがたく思います。しかし某の仕事はここで所帯を貧乏にすることゆえ……いえ、この言い方は与吉さんの真心にこたえておりませぬな。言い直します。某がここにいるのが皆さんでいうところの仕事ならば与吉さんの計らいに感謝し放りだしていたでしょう。しかし、某も神の端くれ、それを望んでいてもできぬのです。たいへん心苦しく」


与吉 「なんでえ、頑固者だなあ」


天蓋坊 「いや、与吉殿、この男はここから離れたくても無理なのだ。とりつくところが天に決められ、己の心でそこから離れることができぬ。そういう生き方しかできぬのだ」



 貧乏神、悲しそうに微笑んで頷く。



与吉 「なんでえ、一日だって動けねえのか。ひどい話だ」



 一同しんみりする中、法念、閃いたという顔を浮かべる。



ご隠居「どうしたね法念さん」


法念 「もしかしたらですが、聞いてみる意味はあることが思い浮かびまして。あの、貧乏神さん、ひとつおたずねしてもよろしいでしょうか」


貧乏神 「はい」


法念 「あなたが一年間とりつく仕儀となったのは、与吉さんの所帯でしょうか」


貧乏神 「さようで」


法念 「ところでわたしがきいたことのある貧乏神の役割というのは、悪事を働いて金をため込んだ不逞の輩を没落させるという仕事です。あなたもそういう事をされるのですか」


貧乏神 「さようで。みなさん人間に合わせて言ってみればそれが生業の中心でございます」


法念 「ということはですよ、与吉さんは悪事を働いて」


与吉 「ちょちょちょっと待った法念さん、なんてことを言いだしやがる」



 与吉、ふたたびいきりたつ。



法念 「まあまあまあ、私は与吉さんがそんなことのできる頭とは思ってませんよ」


与吉 「この野郎、どっちにしたって許さねえぞ」


ご隠居 「まあ待たんか与吉」



 天蓋坊、与吉の両肩をグッとおさえてどうどうとなだめる。



法念 「天蓋坊さん、与吉さんをおさえてて下さいね。つまりですよ、貧乏神さんがここにとりついたのは悪人を懲らしめるのとは別、いってみれば加役ということでしょう」


貧乏神 「はい、某が与吉さんを貧乏にしようと励んでおりますのは、天の差配のうちでも賽の目の決め事なのです」


法念 「別に与吉さんである必要はなかったと」


貧乏神 「まったくおっしゃるとおりです。この世の富を調える枝葉の部分と申しますか」


法念 「ではもう少し詳しくおたずねしますと、あなたがとりついてるのは与吉さんかお留さんなのでしょうか」


貧乏神 「此度は天の差配の帳簿の某のところには、江戸、深川のこの裏長屋のこの二間にとりつくようにとありました。書き添えに今は与吉さん、お留さんが暮らしており持ち物は云々、と。あっ……」



 与吉以外の一同、得心した顔になる。



ご隠居 「でかしたぞ法念さん」


天蓋坊 「むぅ、なるほどのう」


雪女 「なんとまあ」


貧乏神 「失念しておりました」


法念 「よかった。ならわしがあるならそれを逆手にとれぬものかとおもって。これなら一石二鳥でしょう」



 与吉、一人取り残されたように感じてあせってたずねる。



与吉 「おいおい、どういうことだい。さっぱりわからねえ」


ご隠居 「与吉、おぬし今すぐ引っ越しじゃ、ここから出ていけ。帰ってきてはならん」


与吉 「ご隠居、そりゃあ情けないですよ。人の情けがないし、大家としても情けない。貧乏の白波にさらわれそうなあっしとかかあをこの寒空の下に追い出すんですかい」


ご隠居 「すまんすまん、わしも言い方が悪かった。あのなあ、お前さんとかかあはな、ちょうどわしの家にいま空き部屋があるからひとまずそこにうつれ。そうして別の住まいを探してやるから。さすれば万事解決じゃ」


与吉 「うん? 追いだすが追いださねえってことで? さっぱりわからねえや」


ご隠居 「法念さん、うまいこと伝えてくれんかの」


法念 「あ、はい。与吉さん、あなたはこちらの貧乏神さんのおかげで去年の暮れからひどい目にあってたのがわかったでしょう。わたしもよく知ってますよ。本当にひどかった」


与吉 「おう、元々なかった金がすっからかんどころか持ち物は壊れるし身体もガタがドドドーときてらあ。この色男の仕事のせいだと思ったらまた腹が立ってきたぞ」


天蓋坊 「どうどうどう」


法念 「まあまあ。それですよ、それ、貧乏神さんの仕事。気になったのでよくたずねてみれば、与吉さんを貧乏にすることではなく、与吉さんが借りてる長屋のこの二間に住む人を貧乏にすることがこの方の今年の仕事なんですよ」



 与吉、しばらく首を傾げて考えるが、パッと顔が明るくなる。



与吉 「そ、そういうことかい。するってえと俺とかかあがここを引っ越して出てけば俺と色男さんの深い縁が切れるってことかい」


法念 「言い方が茶屋じみてますが、そういうことです。でしょう、貧乏神さん」


貧乏神 「はい、おっしゃるとおりです」


与吉 「ありがてえ。ご隠居参りましょう」



 与吉、トトトッと戸外に飛び出し、はやくはやくと戸内のみんなをせっつく。

 雪女、戸外にいたので与吉から少し離れるように動いてから口元を袖で隠してクスクスと笑う。


ご隠居 「あいつ腰が治ってまたせっかちにもどったのう。しかしまあこれでよし。ここは一年空けておこう……いや、貧乏神さん、あんたさまに貸しておきましょう。わしがうまいことしておきます」


貧乏神 「よいのですか」


ご隠居 「なになに、あんたさまの人柄、というのも妙じゃがそういうものは十分うかがったつもり。今のお互いの心持を言ってみれば、そうすれば」


ご隠居と貧乏神 「心苦しくなく」



 一同大笑い。雪女、貧乏神、深々と頭を下げる。



ご隠居 「雪女さんがおられる内はお二人で過ごしなさい。一人になってからはわしらがたまにたずねようじゃないか。今年の暮れだってもしかしたら雪が降るかもしれない。それじゃあ、馬に蹴られて死ぬ前に出ていこうよ」



法念「はい」


天蓋坊「うむ」



 ご隠居、法念、天蓋坊、戸外へ出る。

 雪女、いれかわりで戸内へ入り、貧乏神と二人、土間上がりの一間で戸外へ向かって正座し、皆に頭を下げる。



雪女と貧乏神 「ありがとうございます、ありがとうございます」



 与吉、戸口から二人へ向かって手を振ってこたえる。


 人々、戸口から離れる。

 雪女と貧乏神、そのまま寄り添って何するでもなく幸せそうである。

 戸外の空からちらほらと、雪がやさしく降りしきる。


与吉 「また降ってきたな。しかしなんだかあったけえ。ご隠居、早くご隠居の家で祝い酒とまいりましょうや」


ご隠居 「しかし腰のよく治ったもんじゃ。不思議なもんじゃのう」



 与吉、すっとぼけてこたえる。法念と天蓋坊もそれに合わせてこたえて微笑むが、二人の方はあきらかに気落ちしている。



与吉 「まったく平気の平左で」


法念 「病は気から、ですかね」


天蓋坊 「不思議なものよな」



与吉 「なんでえ、法念さんも天蓋坊さんもしょげかえって。祝え祝え。門松が冥途の旅の一里塚だろうが坊さんだろうが弔いばかりが人生じゃないだろうよ。どうしたんでえ法念さんよ」


法念 「はあ……いや、わたし自分でもどうかと思うのです。雪女に惚れられたというのがなんのことはない、わたしの勘違いでうぬぼれだったんだなあと思いますと、ホッとするはずががっかりした気持ちがきまして」


ご隠居 「おそらく京の山で雪女さんをみた坊さんはこの江戸にかぎっても法念さん以外にもいるんじゃろうなあ。まだ怯えとるのかのう」


与吉 「煩悩だ煩悩。三が日が過ぎたら修行だな」


ご隠居 「ははは、与吉にやりこめられたな」


法念 「返す言葉もありません。天蓋坊さんの方はなぜそんな気落ちされておられるので」


与吉 「おい泣いてるじゃねえか。大丈夫かい」


天蓋坊 「ぬ、こ、これは顔についた雪がとけただけじゃ、気になさるな」


与吉 「それならいいけどよ、せっかくこうした縁だし言いたいことは我慢せず言ってもいいんじゃねえんかい」


ご隠居 「いまの与吉はえらくまともじゃの」



 天蓋坊、すこし躊躇したのち訥々と語り始める。



天蓋坊 「わしは、わしは……今の今まで物の怪の雪女を調伏するためにここまできた、というのはまことなのじゃが……いつからか、あるいは始めからか、わしはあやつに惚れておったのじゃ。それを今ようやく気づいた次第。どうにもならぬことよな。だがこれでよい。惚れた相手が幸せになったのだからこれ以上のことはない。目出度い、こと、じゃ」



 天蓋坊、男泣き。皆、しばし沈黙。

 法念、声をかける。



法念 「天蓋坊さん、わたしたちと一緒にご隠居の家に参りましょう。与吉さんの腰は天蓋坊さんが治して下さったし、わたしのおかげでどうやら貧乏も終わりのようですしめでたいことです」


天蓋坊 「そ、そうじゃな。何もかも目出度いことじゃて」


与吉 「スッキリとみんなで酒を飲もうじゃないか。ね、ご隠居」


ご隠居 「そうじゃな」



 一同、歩き出そうとする。と、上手からお留が与助とお玉を連れて出てくる。



お留 「お前さん、どうしたんだい。もう腰は良いのかい」


与吉 「おう、もうでえじょぶだ。今から引っ越しだよ」


お留 「はあ?」


ご隠居「お留さん、与吉のいうことは本当じゃ。ま、わしの家でおいおいな。おうおう、与助にお玉、明けましておめでとう。二人とも藪入りには早いがどうしたね」


お留 「木戸のところで出会いましてね。どちらも奉公先に恵まれたんですねえ。年の暮れから父親がどうにもならなくなってるというのが伝わって、元日に帰って見舞ってやれって言われたそうで」


与助 「明けましておめでとうございます、ご隠居さん」


お玉 「おじいさんお久しぶり。明けましておめでとうございます」


お留 「あら法念さんこんにちは。今年もよろしく。こちらさんははじめましてだね」


天蓋坊 「や、これは与吉殿の。おはつにおめにかかる。拙僧は天蓋坊と申す者。明けましておめでとうございます」


与吉 「俺の恩人よ」


お留「それはどうもどうも、お留と申します。あけましておめでとうございます。で、あんた、ほんとうに腰は大丈夫なのかい」



 与吉、心配そうな女房の問いかけに胸を張って腰を伸ばして意気揚々、雪が降りしきる下で答える。



与吉 「おうとも、もうすっかり雪解けさあ」



 一同、ガヤガヤ楽しそうに話しながら上手にハケる。姿が消えても声は聞こえている。


 雪女と貧乏神、長屋の中で上手に向かってあらためて正座し、彼らを見送るように頭を下げる。頭を上げ今度は正面のこちらに向きをかえ、また頭を下げる。



雪女と貧乏神 「皆様にもよき年でありますように」

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いくよ一月あなたの許へ 古地行生 @Yukio_Fulci

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