レスでも愛。
ちわみろく
第1話 セックスレスでも愛はある。
「なっちゃん。」
ふと目覚めると、隣りでは白い顔をした夫が目を細めてこちらへ手を伸ばしていた。薄暗闇で、あまり良く見えないけれど。
「・・・?何?どうしたの?みっちゃん。」
名を呼ばれたことで眠りを妨げられた
薄いカーテンの向こうはまだ暗い。どう考えてもまだ夜明け前の時間なのは疑いようもなかった。彼女の隣りでぐっすりと寝入っている愛娘の
「なっちゃん・・・。」
くぐもったような声でもう一度呼ばれて、覚醒した頭を軽く掻いてから那智は夫の方へ身をすり寄せた。
「どうしたの、みっちゃん・・・?」
「寒いよ、なっちゃん。ぎゅっとして。」
「え?」
夫の雅が那智の手を取り、そのまま自身の身体へ寄せていく。
されるがままに彼の身体に手を回してゆったりと抱きしめてやると、雅は嬉しそうに笑った。
「ああ、あったかぁい・・・。なっちゃんって本当にあったかくて気持ちいい・・・一緒に寝よう?」
「う、うん?いいけど。」
無邪気な笑顔を浮かべてそんなことを言う夫の言葉に少しどきどきしながら、那智はさらに抱きしめる手に力を込める。
もしや、これはお誘いだろうか。
明け方前という時間帯ではあるが、男性は朝の方が元気だと聞いたことが有る。
夫婦の営みが無くなってもう一年以上にもなる。近頃は諦めかけていて、もうきっと自分と夫との間にそういう色っぽいことは無いのではないかと思っていた。
それは仕方がないと思っている。結婚してもう14年も経て、子供が二人いるのだ。
お互いが男と女ではなくお父さんとお母さんになってしまってから14年。
それでも、二年前くらいまでは、一月に一度・・・、いや、半年に一度くらいはあったような気がするのだが。
長男が、母親との入浴を嫌がるようになった頃から、だんだんと回数が減り、ご無沙汰になって行ったのだ。
思春期に近づく子供に、万が一にも見られてはならないだろうという懸念から、夫婦の営みは無くなっていってしまった。
それなのに、今朝の夫はどういうわけか、一緒に寝ようと妻を誘っている。
もしかして、久しぶりにそういうことを致そうというつもりなのだろうか。だとしたら、嬉しかった。多少寝ぼけていたのだとしても、だ。
思わず期待して胸をときめかせている妻の心中を知ってか知らずか。
妻に抱きしめられたまま、夫の雅はそのまますうっと深い眠りに入ってしまったのである。
「・・・何それ」
低く呟いた那智は、口を尖らせて、夫の身体を抱きしめた腕を揺らしてみた。
だが、
「あたしゃカイロじゃないんですけど。」
もう一度不満を口にするが、やはり夫は無反応だ。
長い睫毛はピクリともしない。
眠っていても、雅の美貌はそのままだ。白い肌に、栗色の髪が額からかかっているのが妙に艶っぽく見えて、那智は思わずため息をつく。
夫が久しぶりに誘ってくれているかと勘違いしたので、すっかり目覚めてしまった妻は、彼を起こさないようそっと腕を彼の身体から抜いて布団からにじり出る。期待したのはこちらの勝手なので彼を責める筋合いはないけれど。
今更もう眠ることなど出来ないと悟ったので、上着を着て、そのまま寝室を出た。
ドアを閉める時に、娘と夫を起こさないように気を付けながら。
冷たい廊下を裸足で歩くのは嫌なのでスリッパをひっかけ、隣の部屋の長男をドア越しに覗く。穏やかな寝息が聞こえたので、そっと閉めた。
自分以外の家族全員が寝入っている家の中を静かに歩き回って、リビングに辿り着いた那智は明かりを点けた。
パソコンの電源を入れて、ファンヒータースイッチも入れる。充電器に刺さっていたスマホを取れば、現在が午前4時だとわかった。
もっと寝ていたかったなぁとごちてから、欠伸を一つして、ポットにお湯を沸かし入れる。
「ん、コーヒーでも入れようかな。」
お勝手の棚からインスタントコーヒーを出して、マグカップに入れると、パソコンの起ちあがる音がした。
夫と子供が起きてくるまでには、あと三時間ほど。
一仕事できそうだな、と思ったので、彼女はリビングに備え付けてある書棚からプリントアウトされた書類の束を引っ張り出した。
仕事場と化しているダイニングテーブルには資料と辞書が散らばっている。それらをパソコン周りに配置し直して、那智は椅子に腰を下ろした。
彼女の職業は、在宅の技術翻訳である。
結婚する前に勤めていた企業から仕事を貰っているのだ。
雅との結婚で退職すると言った那智を、当時の部長が在宅勤務扱いにしてくれたのだった。そのおかげで主婦となった彼女は現在も、ある程度決まった額の収入がある。
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