雪降る浜辺

朝霧

雪降る浜辺に少女は笑う

 真っ白で大ぶりな雪が、曇り空からたくさん落ちてくる。

 ふと視線を海からそらして逆方向を向くと、遠くの方に打ち壊された雪だるまの残骸が何体も見えた。

「私さあ、すっごい好きな人がいるんだよね。おんなじクラスで隣の席の白沢君っていう超綺麗な男の子。すっごい綺麗だから大好きなの、ひと目見た時から大好きだった。……といっても恋とかそういうんじゃなくて、純粋に幸せになってほしいなーっていうベクトルの好き、なんだけど」

 高校生のお姉さんはそう言いながら、顔だけこちらに振り返って綺麗に笑った。

 素直に誰かのことを好きと言えるこの人のことを、わたしは純粋にすごいと思ったし、綺麗だと思った。

「だから笑って欲しかったの。笑った顔が見てみたかったの。絶対に、ものすごく綺麗に決まってるから。だから『私』に笑いかけて欲しかったわけじゃなくて、ただ幸せそうに笑っているところが見たかったんだ。綺麗なものが見たかっただけ」

 くるり、とお姉さんはその場で半回転してこちらに向き合う。

 そうして危なっかしく後ろ歩きを、普通に転びそうなので見ていて少し怖い。

「けどさー、私ってば見た目もイマイチだし、頭も悪いのね。性格だって明るくもなければ優しくもない、それに致命的なくらい自分勝手で自分本意なの。ぶっちゃけ人からめっちゃ嫌われる類の人間だし、いるだけで人を不快にさせる類の駄目人間なんだ」

 笑いながらそう言ったお姉さんの身体が大きくバランスを崩す。

 思わず手を伸ばしたけど、お姉さんはその場で踏ん張ってギリギリ転ばずに済んだ。

 お姉さんは誤魔化すような笑顔で中途半端に手を伸ばしたわたしの顔を見る。

「そんな私がさ、人を笑わせたいだなんて願いを抱えたってどうしようもなかったんだ。だって私は優しくない、人の苦しみも理解できない、そんな私が彼を笑わせることなんてね、はじめっから無茶な話だったんだ」

 何かおかしなことでもあったかな、とでも言っているような顔でお姉さんんは無理矢理話を進めた。

「それでもどうしても見たかったから私なりにがんばったよ。めっちゃ邪険にされたしめっちゃ嫌われたけど……そんなのどうでもよかった、ただわらってほしかったの」

 お姉さんはさっき転びかけたにもかかわらず、楽しそうに後ろ歩きを続ける。

「でも結局、なーんもできなかったってワケ。結局、全部無駄だって悟ったワケ……本当、どうしようもないよね」

 お姉さんはそう言ってにこにこ笑った。

 黒いコートの所々に雪がくっついている、傘をさせばとはさっき言ったけど、お姉さんは小学生のわたしよりもずっとずっと子供っぽい表情で首を横に振った。

 お姉さんはにこにこ笑いながら波打ち際のギリギリを踊るように歩く、革靴はすでに何度も何度も塩水をかぶってすっかりずぶ濡れになってしまっている。

「冷たくないの?」

 と足元を指差して言うと、「冷たい通り越して痛い」と笑う。

「もう帰りなよ」

 あそこにいたくないと泣いたのはわたし、じゃあ海でも見に行こうかと言って連れ出してくれたのはこの人。

 だけど、この人はもうここにいてはいけない気がした。

 わたしはもう手遅れだけどこの人はまだ、間に合う。

 こんなふうに笑いながら、こんなところにいていい人ではないのだ。

 だけどお姉さんは「まだかえりたくなーい」と笑って波を蹴飛ばした。

「でも……」

「いいんだよ、もうちょっとだけいようよ。だいじょーぶだいじょーぶ! 日が完全に沈んだらちゃんと帰るから」

 足元をずぶ濡れにしてお姉さんはけらけら笑う。

 楽しそうに、楽しそうに。

 笑わなければやっていられないというヤケクソ感がこもっているのが、お姉さんのことなんてほとんど何も知らない子供のわたしにもわかるくらい、眩しい笑顔で。

「私さー、冬に海来たのって初めてだけど、こういうのもいいねー、だぁれも人いないしぃ、雪と海のコラボってなんか綺麗。空が曇ってるから海も綺麗な青じゃないけど、それがかえっていいなあ、って感じで素敵」

 お姉さんは歌うようにそう言いながらその場でくるりと一回転。

 遠心力で長めのプリーツスカートがばさりと広がって、それがやけに絵になるな、と思った。

「もっと早くにここに来てみればよかった。こんなに綺麗だと思ってなかった」

 きゃらきゃらと楽しそうに笑い声を立てながら、お姉さんは「写真撮ろー」とコートのポケットに片手を突っ込む。

 少しして「あれー?」と首を傾げて、今度こそ転んだ。

「お、おねーさん!??」

「……ぷ、ははっ……かっこわる……ごめんね、ごめんごめん、ふふっ……大丈夫だから……スマホ、家に忘れてきちゃったみたい。惜しいことをした、こんなに綺麗なのに……く、ふふ」

 おかしくておかしくて仕方ない、そんな感じでお姉さんは笑いながらふらふらと頼りなく立ち上がる。

「あっちゃあ、スカート濡れた……まあいっか、靴と靴下はとっくにびしょ濡れだし」

 ぱんぱん、とスカートについた雪と砂をはらいながらお姉さんは困ったような笑顔を浮かべる。

「あーらら……クリーニング出さないとダメかもなこれ……ま、いっか!」

 からからと笑うお姉さんは、なんだかお姉さんと言うよりも年下の小さな子のように見えた。

「にしても、ほんと寒いねえ……でもこの冷たさと風は悪くない、いろんな余計なごちゃごちゃもすっ飛ばしてくれそうで。海の水も超冷たいの、足の指、えし・・すっかもねこれ。君はあんまこっちこない方がいいよ、靴汚れるしほんとにめっちゃ冷たいからさ、風邪ひいちゃう」

「……それはお姉さんも一緒でしょ」

「おねーさんは君よりもオトナだからだいじょーぶ!! ってかおねーさんおバカだから風邪ひかねぇのよ! お姉さんの姉さんがインフルになった時も感染らなかったんだぜ?」

 微妙にダサい格好つけたようなポーズでお姉さんは「フッ……」と笑う。

 その顔が先ほどに比べてより白くなっていることに気付いた。

 さっきまで真っ赤に悴んでいた指先もまるで死んだ人のそれのように、白い。

 あ、だめだ。

 これはだめだと思った、もう少しで本当に取り返しがつかなくなる。

 ここがどういう場所なのか、なんとなくわかっていた。

 どうすればいいのかも、本当はもうわかってる。

 それでも不安は付き纏う、本当にそれが『正解』であっているのかな?

 それでも、自分がこちら側にいるのであれば、きっとそれであっている。

「お姉さん」

「なぁに?」

 にこにこ笑顔のお姉さんの顔を見て、覚悟を決めた。

「ありがとう」

 お姉さんの身体を海に向かって思いっきり、全力で突き飛ばす。

 すっかり油断し切っていたお姉さんは、悲鳴を上げる暇もなく海に転げ落ちた。

 そしてちょうどよく起こった大波に引き込まれて、海の底に消えていく。

 たぶん、これでだいじょうぶ。

 どうか。

 どうか神様仏様、お願いします。

 この人だけは、帰してください。

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