僕が過ごした元旦

魚田ふぐ

僕が過ごした元旦

 僕にとって「年が明けた」とかそんなことはどうでもいい。ただいつもと同じ日常を送ってその日を終わらせるだけだ。


 僕の一日のスタートは家族よりも少し早く起きてリビングで起きるのを待つこと。


 最初に起きてきたのはお父さん。ドアが空いた瞬間、僕が走り寄ると、お父さんは「おおっ」一瞬驚いた様子だったけど、すぐに「おはよう」と笑顔で僕の頭を撫でてくれた。僕は頭を撫でられるのが一番好きなんだ。


 いつも違うことといえば、ご飯が少し豪華なこと、ぐらいかな。


「今日は元旦だからね」って言ってお母さんがいつもより少し高い食材を使った食事を僕に出してくれるんだ。僕がそれを美味しそうに食べる様子を、家族は微笑ましい笑顔で見てくる。その笑顔が僕にとって年明け一番のってやつだ。


 昼頃になるとお母さんと公園へ遊びに行く。


 公園には友達がすでに遊んでいた。僕を見た瞬間、みんなが僕に駆け寄ってきた。でも僕たちは「あけましておめでとう」とかそんな言葉は交わさない。いつものように挨拶だけして、そのあとはすぐに駆け回る。お母さんは僕たちのことを見守りながら友達のお母さん、またはお父さんに新年の挨拶をし、世間話でもしてるのだろう。


 一時間ほどして、お母さんが「帰るよ」と僕のことを呼んだ。僕はその声に反応して母のもとへと向かう。そして僕はお母さんの歩幅に合わせてゆっくりと家へ帰る。


 暖かい家に着き、そのあとは夕食の時間になるまでおもちゃで遊んだ。一人で遊ぶのも十分楽しいが、家族が一緒に遊んでくれるときはもっと楽しい。家族とやるキャッチボールは何年経っても飽きないものだ。


 そうやって時間はどんどん流れていって、もう寝る時間になってきた。僕もリビングの角にある部屋に入って寝る準備をする。パジャマ姿の家族たちが「おやすみ」と言って頭を撫でてくれた。そして家族はリビングから出ていき、部屋の電気は消えた。


 こうして僕の一日が終わった。正直、人間が作った特別な日とかはよく分からないけど、その日は家族がとても幸せそうな顔をしてたから、きっと元旦っていうのは人間にとって素晴らしい日なんだろうね。そんな素晴らしい日にもお母さんは僕を公園へ連れてってくれた。ほんとに感謝だよね。


 いや、お父さんかな?人間の性別の判断って僕にとっては難しいんだ。もちろん人間の言葉なんかもっと分からない。だけどね、長い間家族といるとね、言葉なんか分からなくたって心が繋がるんだよ。


 初めて透明な板を通して彼らに会ったとき、僕は幼かったし不安しかなかった。だけど僕を見る目から優しさがにじみ出てて「この人たちとなら暮らしてもいいかも」って少しだけ思ったんだ。そうしてこの家に来てもう十年。


 なんでこんなこと急に思い出したんだろう。年をとったせいかな。とりあえず今日はもう寝よう。人間は『年明け』に神さまに願い事をするらしい。じゃあ僕もひとつだけ願い事を。




 来年の『年明け』も家族と過ごせますように。

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僕が過ごした元旦 魚田ふぐ @hugu5424

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