持続可能な吸血

廉価

一章

1.SVGs


 吸血鬼が皆ブルベだということを、流子は夢の中の広告で知った。睡眠中の夢の半ばに突然挿し込まれる鬱陶しい夢内広告にも、稀に興味を惹くものがあるということと同時に。

 ブルベとは、美容用語、ブルーベース。肌の色相が青寄りであることを言い、それに基づいてコーディネイトの際に似合う色が決まるとされる。吸血鬼の青白い肌を思えば当然のことだったのだが、思い至らなかったのだ――彼らが人間と同じメイク用品を使い、同じファッションの文法に従っていることに。そして彼らがいまや、幾つかの流行の発信源でさえあることに。

 それ以来、流子は意識して吸血鬼の美容系動画配信をよく見るようになった。夢内広告ではなく、目覚めているときに自分の端末から、意識的に。肌の色相が黄色寄りのイエベの自分には応用しづらいだろうと思ったが、紫外線のエネルギーを素粒子の余剰次元に閉じ込めて無効化するという説明付きのサンスクリーンファンデなど、吸血鬼の技術による商品には興味を惹かれた。そのほとんどが高額なデパコスで手が出なかったものの。吸血鬼の動画を人間が見てはならない理由はなく、むしろ彼らは、より多くの再生数が期待できる人間向けのコンテンツを好んで作る。

「良い薄明と黄昏を《Good Twilight and Dusk》、みなさん。今日も環境にやさしいエシカルな吸血を」

 そのお決まりの口上とともに動画を始め、すっぴんでカメラの正面に座ってメイク用品を紹介していく一人の吸血鬼が流子のお気に入りだった。その配信者の名前は、揺蕩。タユタと読む。ファミリーネームがあるのかはわからない。検体ドナーファミリーから姓を引き継がない吸血鬼も多いらしいから。年齢も、流子と同じ10代後半に見えるが言うまでもなくその判断は意味をなさない。それでもなんとなく、彼女の使う俗語の種類から、彼女が自分と同世代であるという印象を持った。

 彼女が頻繁に使う〝エシカル〟で〝サステナブル〟な吸血というバズワードも、流子の耳に心地よく響いた。でも流子は単にタユタの、吸血鬼特有の病的で陰鬱な顔貌が、ナチュラルさを目指したメイクによって人間に近づいていくのを見るのが好きだった。頬に紅みがさすにつれ、明度と彩度のスライダーを上げるように、ゆっくりと劇的に。それでも結果的に、コンシーラーで隠しきれていない眼の下のくまや泣きはらしたような涙袋、紅すぎる唇のせいで、ちょうど人間で言う〝地雷系〟メイクのような仕上がりになってしまうのも。

 吸血鬼が自らの素の外見に誇りを持ちながらも、あえて人間に近づけようとする傾向の背後にどんな心理的力学があるのかはわからない。流子は最初、〝人間は所属する集団の中で平均的な顔を最も美しいと思う〟という俗説のせいだろうかと思ったが、彼らが単に個性を消そうとしているという解釈は魅力的ではなかった。それよりも、鬼新世の始めに人間の間で吸血鬼メイクが流行った挙げ句に発生した、ブラッドウォッシュと呼ばれる文化的侵略に加担しているという誹りを免れるための、彼らなりの文化的武装解除の表明だと捉えるほうがまだマシだと思った。

 彼女を見ていると化粧にはそのヒトの顔のあらゆる印象を変えるちからがあると思うと同時に、やはりその下から透けて見える種族差という埋めがたい溝を感じる。たとえば作業時に半開きになる口には突出した犬歯が覗くが、血のように赤い唇を裏側から圧迫するはずのそれは横顔のEラインや彼女の発音を邪魔していない。人間がコスプレのときにつける牙ではこのように自然にならない。

 いや、やはり流子の興味は彼女の骨格の解剖学的構造ではなく、目まぐるしく移ろう表層の色彩にある。死体のように蠱惑的な薄い肌の、あるいはムンクの『病める子』が画家の方を向いたらこうであろうかという虚ろな瞳のその虹彩の、冷たい鉱石のような――


「流子、起きてる?」

 式場のパイプ椅子に隣り合って座る凪沙という同い年の女子が、流子に小声で話しかけてきた。「広告蚊アドキートにでも刺されたのかと思った。それとも、いつも通りぼーっとしてた?」

「広告蚊なんて、そんな今時……いや、山の中だからいるかも」現実に引き戻された流子は二の腕をさすりながら声を落として答えた。今は式の最中だ。

 銀床大学は銀床市の郊外の硫黄山麓の端に位置し、実際に木々に囲まれた山の中にある。その入学式に天宮流子あまみやりゅうこは出席していた。友人の木曽凪沙きそなぎさと一緒に、新入生として。この記念となる日の朝に見た広告を思い返して、それが低俗なものでなくてよかったという安堵をきっかけに、流子の思考は彷徨っていたのだった。

 周囲のスーツ姿の新入生たちを見回して思う。人鬼共学のこの大学に入れば、奨学金、血税の一部免除、人間の自治権の強い銀床市の居住権など様々な特権が手に入る。そして何より、在学中に正式な眷属けんぞくにしてもらえるわずかな可能性も。

 受験の競争率は比較的激しく、少なくともこの地方では最も難関とされる。合格基準には不透明な部分もあるが、ともあれ、流子と凪沙は合格し、ここにいる。


「今年の新入生、何人くらいが吸血鬼なんだろう」と流子。

「去年は十人ちょっとくらいしかいなかったらしいけど、今年はもう少し多いって。でも、パッと見じゃわかんないな」と凪沙。

 吸血鬼と人間を遠目で見分ける方法に確実なものは無い。強いて言えば吸血鬼は咬錆かみさびの排出を抑えるための黒いグラフェンマスクを装用しており、逆に白い不織布をしていれば人間とみていい。が、マスクの着色は個人の自由なので決め手にはならない。肉体的特徴として、吸血鬼の肌は総じて青白いが、メラニン色素の量は人種に依るので単純な肌色の明度ではなく色相と彩度を見なければならない。瞳の色も、興奮したときは赤色に光るとはいえ普段は人それぞれ。耳の軟骨の尖り方も同様で、目立つものではない。もちろん、マスクを取って牙を剥いてもらえばすぐにわかるのだが。

 凪沙が端末上の演目を見て言った。

「次は新入生の答辞だって」

 スピーチ。入学早々、そんな目立つ役割を買って出る新入生がいることが流子には信じられない。もしいるならそれは人間ではないだろう。

「あの娘かな?やっぱり吸血鬼だね」凪沙が指差した。

 凪沙が断言したように、流子もその女子生徒が吸血鬼であることはひと目でわかった。マスクや肌の色相を見るまでもなく、存在の有り様が人類と鬼類の差を可視化している場合がある。そう、華やかで、豪奢で、何者かになれるチャンスが保証された場所にいるのはいつも吸血鬼。

 ステージを颯爽と歩き、登壇する黒マスクの少女。まっすぐで細い首筋に黒いチョーカーが巻かれ、それは前方でスカーフのように変化し、黒っぽいドレスの胸元を飾っている。

 ストレートのワンレンボブは真ん中で分けられて、物憂げな目を半ば遮光している。そのタンザナイトのように硬質な青紫のグラデーションを持つ瞳に流子は見覚えがあった。それがいかに他の色彩と相乗効果を持っているかについても。青みがかった濡羽色の黒髪、泣きはらしたように赤らんだ目元の涙袋、グラフェンマスクの下にはきっと、血そのものの色を持つことを隠さない口紅――。

「タユタ……」

 同年代とは思っていたが、まさか同じ大学に。

「知ってるの?流子」

「う……」

 流子は言葉に詰まった。説明したくないわけではない。しかし、いわゆる〝推し〟というほどではないが毎日見ている配信者について、どんな温度で話せばよいのだろう?説明しようとするとオタク特有の早口で長くなることが明らかなので、凪沙に壇上に注目するように促すに留めたのだった。


 少女はやはり動画のように揺蕩タユタとだけ名乗り、演説を始めた。

「良い薄明と黄昏を《Good Twilight and Dusk》、みなさん。この象徴的な挨拶でおわかりのように、私はいわゆる人権派吸血鬼です。私は、人間と血族の間の格差の完全な解消を目指しています。

 また、二つの種族の持続可能な繁栄のために、環境血色ecomplexionの積極的な保護を訴えています」

 それは新入生の答辞という形式的なスピーチではなく、明確に主張を持った弁論だった。

 いわゆる意識の高い大学においては意外な行事ではないのかもしれないが、あどけない容貌に気を取られていた流子にこの硬質な語り口は寝耳に水だった。動画のときのくつろいだ口調とは違い、この年で演説することに慣れているように見える。

 タユタは、語りかけるように続けた。

「突然ですが、まずは私の同胞であるヴァンパイア――血族のみなさんにお聞きします。最近の血は少し錆臭くないですか?血中計算速度が落ちていませんか?

 もしそうでないならば、あなたは恵まれています。あなた方のような有力氏族の子女たちは今も赤く美味しい血を手に入れています。しかし、血色汚染の影響を最初に被るのは貧困層なのです。南側諸国グローバル・サウスと一部の先進国では、日々の吸血に錆が混じり、ネットへの接続も維持できない状況です。

 ヴァンパイア間の格差よりもさらに顕著なのは、ヴァンパイアと人間の間の格差です。ヴァンパイアと人間の人口比は4:100。なのに、その極少数のヴァンパイアが地球上の富の70%を所有しています。この異様な不平等をどう正当化できるでしょう?

 際限なく拡大し続ける格差。これは、この世界が2008年以降に採用した経済システム――〈嗜血主義〉のもたらす必然的な帰結だということがわかっています」


 嗜血しけつ主義。ヘマトフィリズム《Hematophilism》。流子が受験勉強で記憶した範囲での説明としては、人間たちが生み出した資本主義というシステムを、吸血鬼達が継承したものとされる。ただし、その取引の単位を貨幣ではなく血液に替えて。正確には、血液中の算素と呼ばれる特異元素を媒体とする暗号通貨・BC《ブラッドコイン》に。導血線のネットワークは惑星表面を覆い、そこを流れる血液を通じて遠隔地の相手と一瞬で情報やBCが交換される。ネットワーク上の血液は吸血鬼にとって飲用可能で、非接触の遠隔吸血を可能にしている。


「自由吸血市場には、アダム・スミスの言う〈蝙蝠こうもりの目〉による自己最適化機能が備わるとされてきました。しかし、外部資源の消尽も加味して考えるなら、その限りではありません。資源、つまり人間の血中算素濃度はここ百年、低下する一方でした。単純に人間の頭数を増やしても、生産される〈算素さんそ〉の量は追従しません。結果、〈咬錆かみさび〉の排出量は増え続け、〈算素さんそ〉は減り続けます。このままでは利用可能な血液資源はこの先30年以内に、必ず枯渇します。

 これらのことから、嗜血主義は限界を向かえている。そう主張する論者もいます。とはいえ、それでもなお残念ながら、我々は嗜血主義を手放すことは出来ません。気候危機と錆禍をもたらした原因である嗜血主義は、同時にそれら災厄を乗り越えるための唯一の原動力になりうるからです。経済成長と、それが加速する技術革新によって」

 流子はそれらの言葉の意味に集中しようとしたが、吸血経済の用語は意味が捉えづらく、単語は言語野に届く前に音素に分解されていった。その声はいつも通りASMR的な心地よさを持っていて、録音しておけば良かったと思った。

 タユタは自身の口調に、一滴ずつ注意深く熱意を注入していくように続けた。

「嗜血主義の維持と、環境危機の克服を両立する。その困難な課題を実現するための第一歩として、国連は全会一致である行動指針を採択しました。

 SVGs(Sustainable Vampirism Goals)――持続可能な吸血目標。

 いまやあらゆるニュースメディアのトップページで、この言葉を見ない日はありません。御存知の通りそれは、17の大きなゴールと、169の小さなターゲットからなる一連の達成目標です。

 一見バラバラで多岐にわたる目標ですが、もし各項目に通底するテーマを抽出するならそれらは全て、吸血によって生じる恩恵をすべての存在に与え、負担を誰かに押し付けないようにしようと言っています。誰かとは、貧困層、人間、環境のどれでもありえます。

 我々は、人間から吸血することで間接的に、環境からも吸血しています。ときには同種同士の間で。吸血は、一方的な搾取であってはいけません。吸血対象を、常に対等な取引の相手と見做し、相互利益に基づいた公正な交換を行う。それこそが自由吸血のあるべき姿なのです」

 そこで小さな拍手が、おそらく吸血鬼の間から起きた。それを確認したタユタは一息ついてから再開した。

「最後に、人間のみなさん。環境危機はヴァンパイアだけの問題ではありません。人間のみなさんにも出来ることはあります。環境血色に配慮した商品――たとえば咬錆排出を抑えた製造方法で作られた商品を買うこと。ゴミの分別。公共交通機関の利用。血液の汚染を防ぐための抗錆マスクの着用。エコバッグの利用。そして何より、有効算素の産出を促進する健康な生活を心がけること。

 あなたがたにも出来ることはあるのです。あなたがたの次の世代の子どもたちに、美しい血色をした地球を残すために。そのために私達は協力を惜しみません。

 こう考えたことはあるでしょうか?あなたがた人間にとって環境である地球環境は、我々にとっては環境の環境です。地球の生態系において最終消費者であるはずのみなさんが、我々にとっては生産者です。あなた方が植物なしでは生きられないように、我々もあなた方無しでは生きられません。あなた方が美しい緑を、森林や草花を愛でるように、我々はあなた方を愛しています」


 スピーチはそこで終わり、満場の拍手の中タユタは降壇した。流子も拍手しながら、途中まで眠気に誘われていた自分に気づいた。スピーチの内容はおおむね、教科書で読んだSVGsの説明を少し比喩を交えて要約したものに思えたからだ――最後のくだりに入るまでは。愛している?環境と人間を?人間で言うメンヘラファッションの吸血鬼にマスク越しとはいえ熱の込もった口調で言われると、眷属になりたいという気持ちもわかる気がする。在学中に眷属になれるという希望は持っていないとはいえ。

 流子は思わず、陶然とした口調で言った。

「こんな子だったんだ……」

「どんな?」凪沙が聞き返した。

「なんていうか、私達のことを考えてくれてる」

「ほとんど血族に向けて話してたように見えたけど?」凪沙はそっけない。

「でもかわいいし」

「それな」凪沙は同意した。

 流子は思い出したように端末を取り出して、手首のポートに接触させて起動した。そして、イミディエグラフを開いてタユタのアカウントを見つけた。

 最新の投稿は、明るい場所で植物に囲まれて微笑んでいるタユタ。手には緑のラベルのついた血液パックを持っている。イミディエ映えする写真だ。場所は温室だろうか?紫外線は遮光してあるはずだが、自然な光に近い。植物の種類は詳しくないのでよくわからないが、羊歯の葉のように細かく分かれている。キャプションには、「JHPPR 日本造血植物研究所にて」とある。

 微笑んでいるのがわかるということは、マスクを外しているということだ。緑色の中で赤いのは唇と目の周りと上着のジャケットで、それらは補色で難しい組み合わせのはずである。でも朝もやのかかったような、コントラストを下げた画面づくりのおかげで調和している。

 だから流子はタユタのアカウントをフォローして、ハート型の血判を押した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る