第7話 晩餐

「美しい国だと思います。王弟おうてい殿下。豊かな国であるとも。ただ、山の無い景色という物にはなかなか慣れません……」

 フィーアは無邪気に笑って、背伸びをする田舎貴族の子息のように無害な者として振る舞う。相手が自分をあなどってくれれば、こちらの思惑に乗せ易い。

 今、フィーアが見極めねばならないのは、この国の実情。この国でこれから何がニクスの利益となり得るのか、何が脅威となり得るか。慎重に確かめなければ。

 パトリックは優しげ見える笑みを浮かべて、フィーアを見つめた。

「ヴァローナには山はありませんが、湖沼は多くございます。この城の有るニィグルム湖は魚も多く棲んでいますが、鮫人こうじんの集落も有るのですよ」

「鮫人……亜人種、レビ=イクテュースですね。ニクスには鮫人はほとんどおりませんから、わたくしはまだ見たことがありません」

 鮫人は身体に魚類の特徴を持った亜人種で、ヴァローナには多くの者が生活している。水の中に村を作り、魚類などを養殖して生計を立てていると聞いた。

「ええ。水中での狩りに長けた亜人種でしてね。ニィグルム湖で釣りをするには彼らの許可が要るのです。王太子殿下は釣りのご経験は?」

「はい。川での釣りなら何度か。大きなフォレレますを釣り上げた事もあります」

 フィーアが、両手を使ってフォレレの大きさを表すと、隣でオルタンシャが「まあ、大きなお魚ですこと!」などと微笑む。

「それでは王都にご滞在の間に、一度わたくしと釣りに参りましょう。王太子殿下をお借り致しますがよろしいですか? 国王陛下」

「ああ。王太子殿下がお望みならかまわないよ、パトリック。どうでしょう? 王太子殿下」

「はい。喜んでお供いたします。楽しみです、王弟殿下。この大きな湖ではどのような魚が釣れるのでしょうか?」

 断る理由も無い。ここは受けておいて、王弟パトリックという人物を見定めよう。

 天真爛漫てんしんらんまんな仕草でフィーアが尋ねると、パトリックは楽しげな素振りで魚の名を挙げる。

 笑みを浮かべて相づちを打つフィーアに、オルタンシャは「まあ、王太子殿下と王弟殿下は、まるで仲の良いご兄弟のようですわ」と赤い唇をほころばせた。

「そう言えば、ニクスには雄大な山々が有るけれど、大きな湖も有ると聞き及んでおります、王太子殿下。あれは、何湖と言いましたか……」

 いままで穏やかな微笑みを浮かべて弟と賓客を見守っていたアルフォンスが、ふと疑問を口にするように呟いた。

「フェンスター湖です。国王陛下。このニィグルム湖のように大きくは有りませんが、晴れた日は湖面が陽光を反射して、窓のガラスのようにキラキラと輝きます。近くにあるシュネーベルク山が逆さに映り込んで、春や秋などはとても美しいのです」

 フィーアは、故郷の素晴らしい景色を脳裏に浮かべた。

 留学など早く終えて、あの美しい山々の国へ帰りたい。それはフィーアの本音の一つだ。

「そうでした、フェンスター湖! ……逆さに映る山、か……それはさぞかし雄大なのでしょうね。この目で見てみたいものです。王太子殿下のおすすめは春と秋なのですか?」

「はい。シュネーベルク山は別名を『王の山』といいます。春は冬の名残で山の上が冠雪して、秋は初雪で冠をいただきます。その頃の山が一番美しいとわたくしは思います。夏は冠を脱いでしまうし、冬は一面の雪に閉ざされてしまう。フェンスター湖も凍ってしまうので逆さに映る山も見えません」

 いつになく雄弁に語ってしまう。ちょうど郷愁を覚えていた所だったからなのか、アルフォンスの微笑みがそうさせるのか。

 フィーアは戸惑いつつ、果実酒で喉を湿した。

「それでは使者を送るなら春か秋の季節が良さそうですね。使者には『写景しやけい法具ほうぐ』を持たせましょう。雄大な景色を画にして残しておきたいのです」

「『写景の法具』、ですか?」

 聞いたことがある。天法という不思議をなす者たちの中には、天法を誰にでも使いやすく形にした『法具』と呼ばれる道具を作っている者たちがいるらしいと。

『写景の法具』は箱形の法具で、大きさは様々だ。人や物、その場の景色を短い時間で紙に正確に写し取ることが出来るはずだ。

 フィーアも肖像画を作る際にその法具で似姿にすがたを撮ったことがある。


 法具を作る、天法士とは。

 天にあってこの世のことわりつかさどるという天王てんおう神王しんおうの力を借りて、様々に不可思議な術を使う者たちだ。

 何も無い場所から、炎を水を雷を、その他様々なモノを生み出し、時には敵をほふり、時には味方をやし、法具を作って人の暮らしを豊かにする。それが天法士というモノだった。

 フィーアの知っている天法士は、秘密主義で多くを語らず、持って回った物の言い方をする得体の知れない者たちだった。

 ニクスにも、天法士たちが所属する王立の天法士団はある。だが、あくまでも騎士団の補佐をするモノ、万が一の救護を担うモノである。と、フィーアは認識している。


「『写景の法具』は、その場の景色や情景を紙に写し取ることの出来る法具です。短い時間でまるでその場所を写し取ったように描くことが出来るのですよ。そうやって自分にとって大切な景色を絵にしておくのです」

 アルフォンスは丁重に、『写景の法具』について説明してくれる。そう言えば、この王はヴァローナ天法士団の長でも有るのだと本人が言っていた。

「アートルム王陛下は法具に明るくていらっしゃるのですか?」

 フィーアが問うと、アルフォンスは腰に下げていた四つのたまをベルトから抜き出して客人に差し出した。

「はい。私も『一応』天法士なのですよ、王太子殿下。この通り、証しの王珠おうじゆもあります」

 アルフォンスの手に有った間は、きらきらと黒い色に輝いていた不思議な珠。天法士の証しであるそれが、フィーアの指に触れた途端に輝きを失う。

 フィーアは驚いて、その珠を主に返却した。

「ふふふ。王珠は主と主が許可した者以外が触れると光ることをやめるのです。それが天法士を見分ける時に役立ちます。これは私の王珠で、私が死ねばただの石ころになってしまうでしょう」

「『死』などと。晩餐の席でそんな不吉なことはおっしゃらないで下さい、国王陛下」

 兄をたしなめるようにパトリックが言う。アルフォンスは悪戯っぽい笑みを浮かべて、肩をすくめた。

「すまないね、パトリック。でも、本当のことだ。王珠は一人のあるじにしか仕えず、主と運命を共にする。天法士にとっては得難い友のように大切な物なのだよ」

「……そんなに大切な物をわたくしに預けて下さって、有り難うございます。国王陛下」

 フィーアは感激したように表情を作って、真っ直ぐにアルフォンスを見て礼をする。

「ふふふ。そんなにかしこまらないで下さい、王太子殿下。たとえこの王珠が無くても天法は使えるのですよ。だからと言って無くしては困ってしまいますが」

 アルフォンスは笑みを崩さず、運ばれてきたばかりのデザートに目を落としながら、フィーアに訊ねる。

「さて、今日のお食事はお口に合いましたか?」

「はい。とても美味でございました。ヴァローナは食文化が豊かであると聞き及んでおりましたが、どのお料理も繊細で眼にも美しい。感激いたしました」

 本場のヴァローナ料理は初めて食べた。ヴァローナは美食の国だと聞くが、どの料理もチマチマと飾り立てられて食べ辛く、フィーアにとっては薄味なモノばかり。

 にこやかに笑って、フィーアはそれを「繊細で美しい」と言い換える。

 ――これは慣れるまで、なかなか時間がかかりそうだな。

 ニクス料理特徴は、優雅さよりも量と濃い味付け。そして手っ取り早い調理法だ。寒さの厳しい国らしく、脂質も肉類も多く温かいモノが最上とされる。

 パン類もヴァローナのモノは白く柔らかく甘く日持ちもしない。故郷のパンは固く黒く噛み応えがあって携行食にも出来る。

 どちらが優れているという訳では無いが、食べ慣れている故郷の味を恋しいとフィーアは思う。

「それは何よりです。デザートはフラゴイチゴカイの実ピスタチオのムースにブラムブルキイチゴのソースと飴細工を添えた物です。フラゴとカイの実のムースは私の好物なので、王太子殿下にも是非味わっていただきたいと思って用意させました」

 アルフォンスは、本当にこのデザートが好きなのだろう。もともと柔和な表情が嬉しそうに崩れている。

「確かにこれは美味しそうですね。色も美しい。食べてしまうのが惜しいようです」

 フィーアはアルフォンスの手前、そう前置きしてデザートを口に運んだ。

 桃色と緑色のムースは柔らかく、甘みの中に酸味とトロリとしたカイの実の風味がある。それは自然の果実の甘みを思わせた。鮮やかな赤いソースはフラゴの旨味を引き立たせ、贅沢で精妙な飴細工ははらりと口の中で溶けた。

 元々甘味の類いは苦手なフィーアにも、そのデザートが素晴らしい技巧で作られていることが解った。

「……美味しい……」

 この晩餐の間に来てから、初めてフィーアは本心からの言葉を口にした。

「ふふふ。そうでしょう? お気に召していただけたようで、良かった」

 アルフォンスはデザートをぱくりとひとくち口にして、満足げに微笑んだ。

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