第135話:気高き者たちへ喝采を

 神崎沙紀は呆然と立ち尽くしていた。

 審判が自分の勝利を宣言しても、何処かそれを飲み込めない自分がいたのだ。実力では完全に劣っていた。相手は有名選手、自分は無名。その優位をこれでもかと生かした。奇襲、奇策、それでも及ばなかった。

 最後はもう、完全にただのまぐれである。

 会心の一打、今も手に残る感触は初めてのもの。最初で最後、何となくそんな気がした。そういう一打があって、気づいたらそれが勝因だった。

 点数も数えていなかった。

 そんな余裕もなかった。

 だから――

「沙紀ちゃぁぁああん!」

「沙紀さん!」

 そんな物思いに耽っていると、ベンチから飛び出した明菱メンバーが突っ込んでくる。あまりの勢いに目を丸くしている内にもみくちゃにされた。

 審判が「ちょ、あの、挨拶」とか言っているのも完全に無視した喜びよう。

 その奥では、ずっと迷い、悩み、最後は託すしかなくなった、無力を噛み締めていた不知火湊が涙を流していた。指導者として力不足だったのは事実。視野も狭かった。石山がいなければ、沙紀が示してくれなければ、きっと間違え続けていた。

 それでも最後の最後、自分の姿が沙紀と被った。その一打だけは、それだけは、自分も役に立てたのだと、指導していた意味があったのだと、それが嬉しくて、堪え切れずに彼は涙を流していたのだ。

 それを見て、

「……もう」

 ため息をつきながら飲み込み、少し微笑んだ。

 対して――

「……」

 有栖川聖はしばし天を仰ぐ。いい試合だった。かつて敗北によって突き付けられた己の限界、其処からずっと失っていた情熱を取り戻すことが出来た。

 それはこの手にある。

 もう一度登る覚悟はある。今日出来た。

 ただ、

(そら、負けるわなぁ。準備不足や)

 覚悟を失い、自分を見失っていた時間が長かった。それが今日まで続き、勝負の途中に取り戻せたと言っても、相手は勝つために入念な準備をし、自分はしなかった。その差は大きい。特に自分のような選手にとっては。

 だから、悔しさはあるが、何処か納得してしまっている自分がいた。

 もちろん、最後の一打は出来過ぎだとは思っているが、勝負の中で引き出しに存在しないものは出てこない、と彼女は理解している。

 つまり出来すぎだろうが何であろうが、あの動きは、あのイメージは彼女の中にあったのだ。最後の最後、絞り尽くした先で咄嗟に出てしまうほどに。

 結局、今の明菱は不知火湊によって再生したチーム、彼の背中によって引っ張られてきたメンバーだったということ。

「あ、あの、すいません。こっちで騒ぎ過ぎちゃって」

 ようやく後輩を振り切り、聖の方へ来た沙紀に、

「ええて。むしろ喜んでもらわな困るわ。これでも元日本一やで」

 苦笑しながら謝罪の必要はないと伝えた。

「そ、そうですよね」

「せや。ええ試合やった。強かったで、神崎ちゃん」

「あ、ありがとうございます」

「あとで連絡先教えてな」

「はい。……はい?」

「約束やで~」

 一方的に約束と握手を交わし、有栖川聖へ龍星館のベンチに戻る。絶対王者の敗北、それを呑み込めていないのは観客と同じ。

 県予選は通過点、毎年そうだった。

 谷間の年ですら。

 それが歴代でも最強なのでは、と目されていたチームでこうなるとは。

「なんやなんや、葬式かいな。ボク、結構頑張ったんやし褒めてもええんやで」

 だからこそ、有栖川聖はけらけらと笑い茶化す。

「負けたけどね」

「猫ちゃんきびしー」

「私たちもですよ、猫」

「あ、そうだった。にゃははは」

 犬猫もそれに乗る。勝負の世界、文字通り勝ち負けがある。どれだけ努力を積んでも、どれだけ備えても、負ける時は負ける。

 努力とは自身の向上、維持を約束するが、他者との競争における勝利を約束するものではない。それは名門の彼女たちが一番わかっている。

 わかっていても――

「あんなの、まぐれです。勝つべきは……私たちでした」

 遠藤愛は涙を流しながらそれを吐き出す。負け惜しみ、わかっている。それでも、吐き出さずにはいられなかった。

 傍で見てきたから。何人も挫折し、託され、戦い続けた先輩たちを。自分もそう。名門の強豪校に入るとはそういうこと。どんな競技でも日の目を見る子の方が少ない。それを覚悟し、それでも彼女たちは選んだのだ。

 覚悟が違う。

 競技に懸ける想いが違う。

 絶対に、その部分では負けていない。負ける道理がない。

 だけど、

「駄目です、愛。そこは、あー、曲げちゃ、駄目」

 趙が遠藤のそれに苦言を呈す。確かに努力は美しい。覚悟の強さ、想いの強さ、大きさも上かもしれない。

 それでもこの世界、勝った者が上に行くのだ。

 勝敗のみが全て。

「シンシンの言う通りや。色んなもん背負っとるわな。部員のみんなにも申し訳ないと思っとる。それでもボクらは負けたんや。それは飲み込まなあかん」

 涙を流し、悔しがる遠藤の頭を猫屋敷がよしよしと撫でる。

「ボクら、言うかボクか。なはは」

「どんまい、聖」

「自分もやろうが、ナユタン。あとさん付けぇ」

「あ、そうだった」

 悔しいのはみんな一緒。それでも此処は勝負の世界だから。

 だから、

「さあ、胸張って勝者を送り出そうや。それが度量やろーが。行くで!」

「はい!」

 敗れてなお堂々と。胸を張り勝者を送り出す。

 自分たちが強かった、それを証明できるのはもう、自分たちに勝った彼女たちしかいないのだから。

「あ、ボクらに勝ったんやから全国制覇以外許さんよ」

「……そのつもりです」

「ええ返事や。ほな、頼んます」

 託し、歴代最強と謳われた龍星館は県予選にて散る。

 整列し、握手を交わした勝者と敗者。それを見てようやく会場が沸いた。異様な気配である。それだけ龍星館という存在はこの地区では絶対だった。

 それは女王を転落させんと、その首を狙っていた他校も同じ。打倒龍星館、そう言いつつも強い女王への憧れはあった。

 だからこそ、手放しで喜んでいる者は誰もいない。

 それでも拍手は送る。

 圧倒的、最強のブランドを本気で倒しに行った。明らかに少ない手札、それをやりくりし、創意工夫を凝らし、憧れを越えてきた彼女たちへの賛辞を。

 拍手が拍手を呼び、ダムが決壊するように大歓声も加わる。

 敗れてなお気丈なる女王に。

 それを乗り越えた挑戦者に。

 全力の賛辞を。

 そんな姿を見て、

「……お疲れさん」

 石山百合も拍手を送る。勝者と敗者、どちらにも。


     ○


 きっと全国に激震が走っているであろう、龍星館陥落のニュース。

 会場も未だに揺れている。

 その片隅で、

「お疲れ、聖」

「……負けてもうたぁ」

 二人の幼馴染が並び、何故か体育座りをしていた。

「格好つけたんやけど……やっぱめちゃ悔しいわ」

「気持ちはわかる」

「ほんまかぁ? 自分、湊君相手やと負けても喜んどる気ぃするんやけど」

「それ以上に悔しい。でも、飲み込む」

「徹君は強いなぁ」

「違う」

 山口徹宵は真っすぐと、

「俺はただ、一番近くで努力していた者の良いところを真似しているだけだ。俺が最も尊敬する、努力の天才の」

 そう言った。

「……照れるやん」

「聖とは言っていない」

「この流れやとボクしかおらんやろ⁉」

「明言は避ける」

「……ちな、今ならワンチャンあるで。結構美少女やと思うんやけど、ボク」

「……」

「おうこら」

 相変わらずの距離感。一向に縮まる気配もないし、離れる気配もない。こういうのを腐れ縁とでも言うのだろうか。

「あ、ほんでも約束は守ってや?」

「無論だ」

「無理はせんでええよ。勝負は水物やからね」

「石にかじりついてでもする。約束だからな」

「堅物やなぁ。ほな、頼むわ」

「承知した」

 女子が敗れても男子が結果を出せばいい。徹宵はその発言を引っ込める気など毛頭なかった。全身全霊、約束を遂行して見せる。

 自分にも意地があるから――

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