第130話:『魔女』だった女

(……結構紛れの出るプレーやと思うんやけどなぁ)

 有栖川聖は呆れて声も出ない、とばかりに苦笑する。徹底したデータ卓球、自分たちが感覚で大体これぐらい、というものが確信を持って選ばれている感じがする。ほんの少し、こちらの方が――其処を徹底的に突いてくる。

 出来るだけ選択が紛れるようなプレー、フォア、バック、クロスにストレート、フィニッシュで選べるコースは限りがあるとは言え、自分でも迷うようなプレーをすればあちらも迷う、そう思っていた。

 しかし、迷わない。

 下手をすると自分よりもずっと確信を持って振ってくる。

 そして、振られて気づくのだ。

 嗚呼、

(ボクを、ボクより細かく調べたんやね)

 数字で見る自分、自分よりも明確な、自分と言う輪郭。見せられて想う。本当に、何処まで言っても自分は、

(……ほな、なんも考えんかったら、どうなるんや?)

 凡人である、と。

 空気が弛緩していく、ほんの少し、誰も気づかぬほどに――

 だが、

「……ちっ」

 神崎沙紀を仕上げた石山百合と、

「……」

 幼馴染、山口徹宵はそれに気づいた。

 普段の彼女、特に女王であった頃では考えられない解れ。

 それでも、

「よし!」

「……」

 ぴたり、とハマる。卓球が、それこそ紛れを起こしてやろうと難しい選択を敷いていた時よりも、何も考えない方が確率以上に正しく偏る。

(はは、なんやこれ。腹立つなぁ)

 何処までも追いかけてくる自分の、有栖川聖の卓球。

 剥き出しのそれを突きつけられ、彼女は胸の奥から湧き上がる暗い欲望を抑え切れない。いっそ、全部ぶっ壊してしまおうか。

 そうすれば絶対に勝てる。

 相手は、己の卓球を貫く有栖川聖を暴き、それにメタを張り続けている。自分がそれでなくなれば、崩せば、あとは数式を、羅針盤を失った凡人と、調子を崩したただの強豪選手、女王でも何でもない凡人が、残る。

 勝てるのだ。

 自分を手放せば――どうせ、後生大事に抱えていても仕方がない。

 とっくに、

(残っとるんはまあ、龍星館を勝たせることだけ。化けの皮が剥がれたボクに先はない。下に天才はぎょーさんおるしな。だから、別に――)

 魔法は解けているのだから。

 それこそ鶴来美里に敗れる前から――


     〇


 有栖川聖が卓球に出会ったのは転勤族の父に付き従い、この地に越してきた頃であった。小学一年生、全国各地を転々としていた有栖川家は家族全員が別の、水に合った方言(しかもごちゃまぜ)を扱うという一風変わった家族だった。

 当然、

「へんなのー」

「せやろ?」

 変人のレッテルを貼られることになる。まあ、これもまた慣れたもの。どうせまた引っ越すだろうし、どんな目で見られようと気にならない。

 しかし、其処で出会ったのだ。

「……」

(なんやこれ。ずっと口ひらかんやん)

 自分と同じあぶれ者、山口徹宵である。とにかく寡黙、先生に当てられた時以外、口を開いたところを見たことがない。

 だから興味を持った。

「ボクがあそんだろうか?」

「ああ」

(ああ、ってなんやねん)

 誘ったら断らない。休み時間はあぶれ者二人、声をかけねば口を開かない男と過ごしていた。存外居心地は悪くない。

「土曜もあそぶやろ?」

「あそべない」

「……む」

 なのでそうなるのも自然のことであった。学校にいる間は何を言っても、誘っても付き合ってくれるのに、休みの日は駄目だと言う。

 非常に不快であったが、一応理由を聞いてみた。

 そうしたら、

「習い事」

「なにしとん?」

「卓球」

「……暗ぁ」

「くるか?」

「……考えとくわ」

 卓球をしている、とのことだったのであまり興味はなかったけど見学に行くことにした。休みの日、一人が暇だったから。

 卓球のイメージはどうにも陰気で、日陰者のやるスポーツだと思っていた。実際、あぶれ者の山口徹宵らしい、とは思ったが――

「よぉ!」

「おお、やるなあ徹宵」

「……ん」

 想像と現実は全然違った。学校で見る寡黙で、何でも言うことを聞くロボットみたいなやつは、其処では情熱を剥き出しにピンポン玉を打ち込んでいた。

 球も想像よりずっと速い。運動量も凄まじい。

 何よりも、

(お、おとなと戦っとる。徹君が)

 子どもと大人が本気で向かい合っていた。小学一年生、まだ台にひょっこり顔が出て何とか打てる程度。それでも渡り合う。

(おもろ!)

 面白そう、それが入り口である。その日に地域のクラブに入会、用具も親にねだって買って貰った。

 それからもう、あぶれ者二人卓球三昧。放課後の遊びも、休日の遊びも、全部卓球。卓球のことなら饒舌(山口比)になる徹宵とも会話が弾む。

 この頃は楽しかった記憶しかない。

 でも大会は――

「また負けたぁ。ズルやろ、あの佐伯と星宮って卓球選手の子どもやって」

「ズルじゃない。俺たちより努力を積んできた。それだけだ」

「……そらそうやけど」

 なかなか勝てない。勝ち切れない。卓球選手の子どもの佐伯湊、星宮那由多、それに時たま大会に顔を出しては優勝をかっさらう鶴来美里。

 地区に化け物がいると、どうしたって上には行けない。一個下の化け物みたいに強い鶴来も全国では、女王青柳にボロクソに負けてきた。

 それで拗ねてしばらく大会に出なかったらしい。

 チャンス、と思いきや結局星宮がいる。

 そして徹宵も毎度くじ運が悪く、いつも佐伯湊にボコボコ。

「強い」

「なんで笑顔やねん」

 負けても前向き、むしろ負ける度にモチベーションが増す相方。あほくさ、と卓球を放り出さなかったのは彼がいたからかもしれない。

 努力を怠ることなく日々研鑽。一緒になって積み上げる日々。だけど届かない。届かないどころか――

(これ、差ぁ開いとらんか?)

 少しずつ覚醒し始めた星宮那由多に手も足も出なくなっていく。まだたまに出てくる鶴来美里の方が強い。それに聖もそれなりに勝てるようになり、組み合わせ次第じゃ全国に行けるようになってきた。それは徹宵も同じ。

 でも、其処も魔境。二人して弾き飛ばされた。

 そして組み合わせが悪いと――

「……くそ」

 全国にも行けない。成長の実感が薄れ、モチベーションは低下し続ける。それでもなお、研鑽を欠かさぬ相方のことを、実は化け物なのでは、と思うようになった。

 勝ちたい。どうにかして勝ちたい。

 そして鶴来美里がとうとう敗れ、星宮那由多が地区のトップに躍り出た頃、有栖川聖の中で何かが弾けた。

 ふざけんな、と。もう怒った、と。

「やったろうやないかい!」

「……⁉」

 授業中、突如ぶち切れた幼馴染に驚いた徹宵の貌は今でも覚えている。あの鉄仮面も意外と隙を突かれると弱い模様。

 未だに聖は思い出し笑いをしてしまう。

 まあ、とにかく彼女は一念発起した。努力の仕方を変えたのだ。自分の研鑽は欠かさずに、対戦相手の攻略法を調査し始めた。相手の癖を、苦手なコースを、球種を、とにかく漁った。最初のターゲットは星宮那由多。

 徹底的に掘り下げた。目ん玉ひん剥いて、絶対にぶっ殺したる、と言う確固たる信念と共に、細かく、ねちっこく、調べに調べた。

 そして、

「……」

「は、はは」

 勝った。勝てた。信じられない気分だった。あの卓球選手の娘を、何者でもない自分が打ち破ったのだ。

 その成功体験が、有栖川聖を覚醒させる。

 とにかく対戦して負けそうな選手を片っ端から調べ、得意なコースや苦手なコースなど全部掘り下げた。今の時代、有力選手ほど映像は何処にでも転がっている。素晴らしい時代である。何者でもない聖が、何でも手に入れることが出来る。

 調べれば勝てる、其処まで甘くない。でも、そうしていく内に、相手を凝視し続けている内に、少しずつ何かが見えてくる。

 相手が見える。やりたいことが、やられたくないことが、見える。

 その努力と感覚が、

(バチコン、ハマった)

 有栖川聖は完全に羽化する。世代の絶対女王、青柳循子をひざまずかせ、有栖川聖が世代の女王と成った。

 これほどの快感はない。努力と成果が噛み合い、一気に飛躍する。

 調べに調べ相手を操り、

「ぐっ」「なんで、こんなガキに」「ちく、しょう」

 意のままにして、

「魔女、め」

 『魔女』に成った。

「ボクが、日本一?」

 気づけば日本一。憧れの選手全てを踏み越えて、数多の屍の上に君臨する。正真正銘の女王。人生の、最高潮。

 努力は必ず報われる。日本で一番、いや、世界で一番努力すれば駆け上がることが出来る。そう、彼女は確信した。

 自分は何処までも行ける、と。

「ボクなら――」

 日本で一等賞になった。ならば、次は当然世界を目指す。世界の有力選手のこともいくらでも調べられる。ネット様様、隅々まで調べた。

 日本の時よりも念入りに。

 そして――


『雑ァ魚』


 自分にまで及んでいた魔法が、嘘のように消え去った。勝ち進んだ、やはり自分は正しかったのだと、そう思っていた。

 でも、最後の最後、女子の世界一、中国の小さな巨人に踏み潰された。得意も、弱点も、操ることも出来た。

 だけど、力で、才能で捻じ伏せられた。

 魔法は、

『日本人ってレベル下がった? なんか超凡人でびっくりしたぁ。ってか、これに負けた連中雑魚過ぎて笑う』

 絶対的才能を前に何一つ通じなかった。

 これからは世界へ打って出る。その意気込みと共に中国語をかじっていたのもよくなかった。負けた心に、真の女王の心無い言葉が突き刺さったから。

 雑魚、日本の女子はレベルが高いはず。ずっとそう言われてきたし、中国の選手とも渡り合う女子はいた。しかし、よく考えたら今、女王になった自分が手も足も出ずに敗れた今、そういう選手はいなくなっていた。

 加齢による衰え、感覚の鈍り、まだまだの年齢に見えても感覚の世界だから、そういうことはある。そう、なんてことはない。

 強い世代が引退し、衰え、日本全体のレベルが下がっていただけ。

 世界一になるような絶対的な女子選手が丁度いない、狭間の時代であっただけ。

 その現実に、ようやく気付いた。

 其処からはもう、

「なんでやねーん!」

 惰性。奇特なキャラクターだから年末のバラエティとか呼んでもらい、知名度は上がっていくが選手としては徐々に下降線を辿る。

 最初は国際試合で弱い、と見られた。

 そして、鶴来美里に敗れ、星宮那由多に敗れ、とうとう衰えたと見做されるようになった。早熟の、時代に恵まれただけの元女王。

 滑稽。

 情熱は、熱意はとっくに失われていた。

 だから――


     〇


「……っ」

 2-1、有栖川聖が王手をかける。最後の方、全然卓球が噛み合わず、空回っていた神崎沙紀は唇を噛む。

 対する元女王、有栖川聖は――

(これでええ)

 死んだ魚のような眼をしていた。己の卓球を崩した。元女王ではなく、ただの強豪校の選手にまでなり下がった。

 そうすれば沙紀の研究は通じなくなる。

 そうすれば勝てる。

 それでいいのだ、と自分に言い聞かせる。

 崩れたプレーを重ねる度に、自分の中で丁寧に積み重ねたものが音もなく崩れていく気がした。この試合を終えた先、何となくだがもう、本当に終わる気がした。

 それでもいいと、思った。

 どうせ自分はもう、終わった選手なのだから。これから谷間の時代を経て、本物が跋扈する時代が来る。星宮、鶴来、姫路、其処に九十九や香月、紅子谷、もしかしたら遠藤も続くかもしれない。

 其処に、自分の席はどう考えてもない。

 だから――

「……」

 ふと、龍星館ベンチに戻る時、客席の方で険しい顔をする幼馴染が目に入った。

「……っ」

 咄嗟に聖は目を背けた。あの真っすぐな眼、直視できなくなったのはいつからだろうか。よく考えたらもうずっと、彼とまともに会話をしていない。

 指摘されるのが怖かったから。

 叱咤されるのを恐れていたから。

 失望、されたくなかったから――

(ま、もうさすがに、手遅れやけどなぁ)

 有栖川聖は苦笑いを浮かべ俯く。

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