チェンジエンド

富士田けやき

第1話:死んだ魚の目

 誰よりも強くなりたかった。

 誰よりも強くなれると思っていた。

 でも現実は厳しくて、どんどん遠ざかって、今は遥か彼方。

 しがみ付くのをやめた僕は、今も宙ぶらりん。


     〇


 電車に揺られて向かう先は入試で一度行ったきりの高校。特に感慨がないのは選んだ理由が理由だからだろうか。男子卓球部がない、それだけの理由で選んだ学校である。学力的にはまあ丁度良かったけど、家からは近くない。というか遠い。

 それでも今の僕にとってはそれが一番重要だった。

「……ハァ」

 空は快晴なれど僕の心はどんより曇天。眼鏡を通して見える景色より、端のぼやけた景色の方が心地よい。ずっと焦点が合わないのだ。

 何をすればいいんだろう?

 やめると決めた日から、ずっと付きまとっている答えのない自問自答。僕の人生、それだけに費やしてきたと言っても過言ではない。

 放課後、皆がゲームなどで遊んでいる横で卓球。

 土日、皆が家族と出かけている横で卓球。

 長期休み、家族旅行なんて一度も行ったことない、全て卓球。

 振り切っていた。今思えば本当に不自然だ。

 だから僕にはそれしかない。そしてそれを捨てた今、何もなかったのだ。

 無、がらんどう、からっぽ、これはいわゆるクズなのではないだろうか。

 幼馴染からも言われた。

『貴方からそれを取ったら何も残らない』

 だからやめるな、きっと彼女はそう言いたかったのだろうけど、僕からすれば自分の人生終わっている、としか捉えられなかった。

 だって、空っぽだぞお前って言ってるようなものだろ、それ。

 まあ、彼女は僕と違って選ばれた側だからそう言えるだけだ。

 知ってるかい?

 卓球ってスポーツは極めて年齢差が少ないスポーツなんだ。中学生で世界と渡り合う怪物が存在しうる。野球やサッカーではありえない事象。

 だからね、中学を過ぎれば嫌でも自分の立ち位置が見えてくる。

 僕は選ばれなかった。卓球の神様に。

 ただそれだけのこと。

 世の中の大半の人が直面する問題に当たっただけ。悲観することなんてない。大体の人は前向きに生きているし、折り合いをつけている。

 だから僕もそうすべきなのだ。

 そうするために選んだ学校なのだから。

 僕の名は不知火湊(しらぬいみなと)。

 今年から高校生になった十五歳の男である。

 肩書はそれだけ、それ以外、何もない。


     〇


 誰も知り合いがいない入学式を経て、僕は一年四組の教室に向かう。全員知らないしどのクラスでも同じ。特に思うところはなかった。

 教室に入るまでは――

「当方、彼女いない歴十五年! 絶賛彼女募集中であります! 未使用品です!」

 入学式当日から段ボールの看板を振り回して彼女募集する男、もとい童貞であることを声高に叫ぶ不審者。必死の形相にふざけている様子はない。

「俺ァ、彼女いない歴十七年だ馬鹿野郎」

 髭のおじさん。どう計算しても留年している。

「さあさあ、よってらっしゃい見てらっしゃい。同学年最速、美少女の生写真だよ! 一枚五百円、たったの五百円で同学年のかわいこちゃんが君の手に」

 早速商売を始めている男子。その驚異的な商売への意欲とすでに商品を入手しているバイタリティはすさまじいものがあった。

 そこに並ぶ男子一同も皆、並の顔つきではない。

 女子からの軽蔑を一身に受けてなお、彼らは写真が見たかったのだ。お気に入りの子がいれば購入したかったのだ。

 僕だってあの視線に耐える心があれば並んでいた、かもしれない。

 ちなみに女子も凄い。

「ふっ、落ち着き給えよ、皆。入学式で昂ってしまう心はね、理解できなくはない。初日の奇行ぐらい大目に見ようではないか」

 すでに女子の大半を取り巻きとしている王子系女子。

「すぴー」

 初日から机で突っ伏して寝ている女子。幸せそうな寝顔である。

 極めつけは――

「あン? 何、ガンくれてんだテメエ」

 絶滅危惧種、ヤンキーであった。入学式当日からすでに着崩した制服に、金髪ピアスの特盛セット。肌は焼いたというよりも地黒なのだろうが――

 いや、そもそも染めているのか。少しあっちの血が混じっているんじゃ。

 あと物凄くデカい。縦もデカいしがっちりしてる。

 僕なんか五秒で肉塊にされるだろう。警察を呼ぶ暇もない。

「皆さん、お座りください」

 からの、

「皆さん、ご入学おめでとうございます。そして、大変残念なお知らせですが、私は非常に厳しい教師として生徒が選ぶ最悪の教師との誉れを頂いております。つまり、貴方方の一年目は灰色の学生生活が決まりました」

 いきなりトップギアでぶちかましてきた先生に皆呆然とする。

「学校側にクレームを入れて頂いても構いません。毎年多数の声を頂いております、が、私は何一つ変える気もありませんし、上の命令を聞く気もありません。貴方方に鞭打ち、立派な人格を形成することが私の使命です」

 これまた絶滅危惧種なのだろう。熱血教師が拗らせた結果、暴君が誕生してしまったのだ。いくら何でもこんなのクビになるんじゃないか、とも思うがそこは公立学校であり公務員、一度採用された者をクビにするのは難しい。

「では、実り多き一年としましょう」

 入学当日の浮かれムードが一変、全員真顔であった。

「ちなみに、我が校の規則として業腹ではありますが、生徒全員の部活動参加が義務付けられております。部活動で教育など片腹痛いと思っておりますが、規則は規則です。期日までにいずれかの部活に参加するように」

 よほど部活という存在に腹を据えかねているのか、憤懣やるかたない様子の女帝。どちらにしろ僕らの学生生活はさっそく暗礁に乗り上げた模様。

 それだけ厳しい先生であるならば――

「そこの居眠り」

 当然彼女を見逃すわけがない。

「素晴らしい集中力ですね」

 すたすたと彼女の席まで行って、机を蹴り飛ばした。

 クラスメイト、絶句。僕も絶句。

「ふえ?」

 崩れ落ちそうになるところ、顎を掴んで引き上げる。もうヤクザである。

「廊下に立ってろ」

 冷酷なる宣告。というか今は昭和ではない、令和である。

 こんな光景ありえないとやはり、絶句。教育委員会とかそんな関係の人々が見たら卒倒しそうな光景であろう。

 だが、

「はい!」

 何故か嬉しそうに返事をする少女。おっぱいは大きいが恐ろしい胆力、と言うよりも冷たくされて喜色が混じっているような――

「……なるほど」

 女帝、何かを察する。そのまま突き放し、顎で行けと命じる。

「はーい」

 嬉しそうに、スキップしながら廊下へと向かう少女を見て、またもクラスメイト一同絶句する。たぶん彼女、ドMだ。

 想像を絶するほどの狂気に満ちた空間である。しくしく泣く女生徒の頭を撫でてやる王子様(女子)に女帝と睨み合うヤンキー。借りてきた猫のようにおとなしくなった男子一同。こういう時、本当に彼らは弱い。いや、僕もか。

 この教室に入るまでは何の感情もなかった。

 今は切に思う。クラス、変えて欲しい、と。


     〇


「やべーよこのクラス」

 目の前で諤々震えているのは先ほどまで童貞アピールをしていた男である。何故か僕に話しかけてきて、何故か昼も一緒に食べる仲になっていた。

 同類じゃない。同類じゃないんだ、と僕は言い訳をしておく。

「あの女、自分の教科じゃないのに課題出してきやがる」

「でも、そんなに量は多くないよ」

「それは問題じゃねえ」

「……俺、宿題したことねえんだわ」

「そっか、髭パイセン」

「おう。それが俺のちっぽけな自慢でな」

 髭パイセン、それ自慢でもなんでもないっす。

 ちなみに彼も何故か当たり前のように一緒に昼飯を食べる仲になっていた。

「この前、写真を撮っていたら、捕まってしまったんだ。全部取り上げられたぜ、俺の子ネコちゃんたち。卑猥なものじゃない、芸術だって言ってるのに」

「そっか、返してもらえるといいな」

「ああ」

 写真を売買していた男も以下同文。

 本当に酷い面々である。このせいで僕にまともな知り合いが出来なかったと言ってもいい。誰も近づいてこないのだ。特に女子が。

 完全にヤバい奴らの一員とみなされていた。

 もう王子様もフォローしてくれない。

「しっかし、中学時代とあんまり変わらねえなぁ、高校生ってのも。もっとドカンとした何かがあるって思ってたんだけど、あの女帝が厳しいこと以外普通だぜ。いや、女の子は実り豊かになってるよ、ほんと目の保養にはなるぜ」

「いとわかりみふかしけり」

「うわ、頭悪そう」

「こら、湊よ。お前も開放しろよ、自分を。一目見た時に気付いたんだよ、お前もこっち側だってな。おっぱい、好きだろ?」

「別に好きじゃないよ」

「おう、首は縦に振ってるぞ」

「え!?」

「ここに学校一のマドンナ(死語)の生写真があります」

「あはは、興味ないよ」

「なんという手の速さ。俺じゃなきゃ見逃してたぞ」

 髭パイセンが何故か僕の手を押さえていた。全然、分からないけど、邪魔だなぁ。

「なっ」

 皆が満面の笑みで仲間だと認識していた。大変遺憾である。

「ちなみに皆はどこの部活に入るの?」

「俺は応援団に入ったぜ。チアが隣で練習してるんだわ」

 欲望に忠実な童貞。僕も童貞だけど。

「新聞部、合法的に写真を撮れるからね」

 いつか絶対に犯罪を犯すであろう写真家。

「俺は、文芸部だ。小説、書いてるんだわ」

 いきなりクズさが反転して文豪に見え始めた。いつか芥川賞を取りそうな気がする。振り切った怪物の圧、みたいなものが見えた気がした。

 気のせいだと思うけど。

「で、言い出しっぺは?」

「……まだ決めてない」

「中学まで何やってたの?」

「……卓球」

「あー、そりゃあ事前に調べとくべきだったぜ。ないもんな、男子卓球部」

「そうだね」

 苦笑する僕はうそつきだ。だからこの学校を選んだのだから。

「新聞部来なよ、僕が手取り足取り教えてあげよう。ゆくゆくは助手として世界中のかわいこちゃんをフィルムに収めるんだ。ぐふふ」

 それだけはないかなぁ。

「応援団、チア、チア、チア、チア!」

 欲望に飲み込まれてそれしか言えなくなってるぞ、親友。

「まあ、好きなもんやるのが一番だ」

 何故か深み出てきたな、髭パイセンも。

 結局、何も決められないまま時間だけが過ぎていく。

 この中で一番ダメなのは、間違いなく僕だ。変態なのはこいつらだけど。


     〇


 バドミントンの仮入部に参加して、軽く動いた後、僕は隅っこで見学していた。こんなにも自分の体がイメージ通り動かないものか、と笑ってしまう。

 そりゃあ素人、当然こうなる。どの部活でもこうなった。

 それがとても気持ち悪くて、吐き出しそうになる。

「一年、大丈夫かー?」

「すんません、ちょっと、気持ち悪くて」

「おう、無理すんなよ!」

 運動のできないメガネが一念発起して運動部に、で、足を引っ張る、と。彼らの中で見切りはつけられたのだろう。ほどなく来なくなるって感じか。

 それは、正解だ。

 この気持ち悪さはきっと拭えない。体力とかじゃないんだ。それも結構、落ちてるけど、まだまだそれは平気。遺産は十分あるはずだから。

 でも、体じゃなくて心がついてこない。

 まだ、お前は未練があるんだな、って自嘲するしかないだろ。

 そうしていると、体育館の隅で小さな女性が一人動き出していた。念入りにストレッチをした後、おもむろに倉庫から卓球台を取り出して、広げる。

 壁に向かって、くっつけて、周りを仕切りで囲う。まさにおひとり様用の空間。

「……何してんだろ?」

 球出しマシーンもない。あれでは練習にならない。

 すると――

「サーブ練習、は良いけど、からの壁打ち……うそだろ」

 あれでは何の練習にもならない。むしろ変な癖がつくだけである。卓球の練習はどうしても二人必要なのだ。一人でできる練習はサーブ練習だけと言っても過言ではない。いくら何でもまともな指導者がやらせることではなかった。

「あ、あの、卓球部、何で一人なんですか?」

 丁度休憩に給水しにきた先輩に声をかけてみる。

「ん、ああ、卓球部か。あそこ毎年超弱くて、まあ、強制入部の吹き溜まりみたいな場所になってたんだよ。で、やる気だけはある佐村が入学して、頑張ってたら他がやめちまったんだ。うち、入部は強制だけどやめたらどこにも属さなくても文句言われないからさ」

 部活に入って真面目にやっていたら一人になった。

 それはあまりにも理不尽なのではないか。

 あの先輩は必死である。決して惰性ではなく、考えた上で意味のないことをやっているのだろう。せめて球出しマシーンでもあれば話は別だが、それだって所詮は機械、正直言って人と打つ練習に比べれば比較にもならない。

「可哀そうだよな。ああやって頑張ってるの見ると辛いよ」

「……はい」

 フットワーク一つ見ても、おそらくまともな指導は受けていない。打ってる感じからしても経験者ではあるのだろうが、温泉卓球レベルだ。

 無意味だ。あんな事続けたところで上手くならないし、そもそも頑張るのが遅すぎる。女子にしろ男子にしろ、強い奴は皆、もうすでに世界の一線で戦っていなければならない世界なのだ。そうじゃないと何の意味もない。

 勝つためにやるのがスポーツだ。

「なんだあれ、ダッサ」

 別のバド部の男が嘲笑う。

 同感、と思う自分と笑うことはないだろ、と思う自分がいた。

 だから、その場では何も言えなかった。

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