補えない欠片

N0ア

終話

妻の心の花弁は一枚、また一枚と、見知らぬ場所へと飛んでいった。無くなった花弁を見ながら、残った花弁が雨に濡れる。それを吹いてやることは、私にはもうできない。そんな無力な自分でも、妻は私を照らしてくれた。笑いかけてくれた。とても嬉しかった。だが、同時に底知れぬ悲しさにも包まれる。もっと妻を幸せに出来たのではないかと。後悔が心を締め付け、苦しめる。私が出来たのは、最後の一枚が飛んでいくまで、彼女を見届ることだった。微かに残ったヘリクリサムの香りが、私に別れを告げた。妻の花は、もうここにはない。

妻の心臓は、弱々しくも鼓動を刻み続けていた。平行な線を引く私の心臓とは違く、生きている。しかし、心はもうそこにはない。私とは真逆の存在。お互いを補えてる様で、補えない。私は一方的に、妻の亡骸を傍観するだけであった。植物の様に、ただ生きるだけの姿は、見るに耐えない。それでもなお、最後まで共にいる使命感を覚えた。

妻一人の部屋で、私はに思い出話をし1日を過ごした。共に世界旅行に行った話、娘の子供と過ごした話。どれも綺麗な花弁であった。しかし、それ現代型になる事はない。ただ過去にすがり、時が過ぎていった。時折、妻は私の方を見たが、その目は空で遠くを見ている。

「松田様はこちらになります」

看護師の声が、ドアの前から聞こえた。開くドアから見えたのは、娘と手を繋いでいるひ孫とその父。皆笑顔であったが、そこからは悲しみを感じた。

「こんにちは、お母さん。真奈ちゃんも遊びにきたよ」

「こんにちは、おばあちゃん」

妻は少し口角を上げたが、何も声を出さなかった。娘の家族を見ていだけで、ベッドからは動かない。恐る恐る、娘が、ひ孫と共にベッドの隣の椅子に座った。すると、妻が手を動かし、娘とひ孫の頭を優しく撫でた。やがてスッと力が抜ける。

肩を叩かれた。何度も触れたその手の感覚は、私を安心させた。


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