第25話 願う私と笑うあなたー②

 弟が生まれる前。


 本当に、小さな頃、一度だけ両親におみくじをねだったことがあったっけ。



 おかあさん、あれなに?

 

 私もしてみたいな。


 お金の無駄だからやめときなさい。


 そっか、……むだなんだ。



 そんな些細なやり取りだった。


 母には、きつい言葉で言われたわけでも、叱られたわけでもない。


 そして私は、落ち込んだわけでも、涙を零したわけでもなかった。


 ただ、少しだけ残念に想いながら。


 私は神社の売り場を後にした。


 それ以来、私はおみくじを両親にねだったことはない。


 むしろ必死に泣いてまで、おみくじをねだる弟を必死になだめたりすることの方が多かった。


 

 ねえ、ねえちゃん、なんでだめなの?


 だって……お金が無駄になっちゃうし。


 おかーさんたちだって、しょっちゅーむだづかいしてるじゃん!


 でも……私たちのお金じゃないし……。


 わけわかんない! たったひゃくえんじゃん!!


 

 そうやった泣き叫ぶ弟に、私が慌てていたら、父が少し呆れたように弟に百円玉を握らせた。


 弟は最初は少し呆けていたけど、すぐに顔をぱぁっと明るくすると、おみくじの販売所まで私の手を引っ張っていったっけ。


 よかったねって言ったら、弟は涙に濡れた顔でうんって笑って返していて。


 そうして弟は大吉のおみくじを引き当てて、二人で大喜びしたんだった。


 懐かしい記憶だった。


 微笑ましい記憶だった。


 ただ、今になって少しだけ想ってしまう。


 もし、あの時、『私もおみくじがしたい』と父に言えていれば。


 あるいは、最初に母にねだったときに、私も泣いてでも懇願していれば。


 今の私は少しくらい変わっていたのだろうか。


 欲しいものを、ちゃんと欲しいと言って手に入れられる、そんな人に。


 もしかしたら、なれていたのかな。


 みそのさんと神社を歩いていて、おみくじ売り場を見つけた時、なんとなくそんなことを想ってしまった。




 ※



 

 「せっかくだから、おみくじしてくかー。加島ちゃんもやろー?」


 「はうあっ?!」


 ぼーっとおみくじ売り場を見ていたら、背後からみそのさんに声を掛けられて、私は思わず飛び上がった。


 数分前に、『ちょっと出店見てくるよ』と言ってみそのさんが、屋台の中へとすごいスピードで旅立っていくのを見送ったはずだったのだけれど、いつのまにやらみそのさんは私の背後に戻ってきていた。神社の鳥居の近くで佇んでいた私は、想わず驚いしまった。


 心臓が嫌に早鐘を打って、落ち着かない。なんだか、さっきまでの自分の回想を見透かされていたみたいで恥ずかしい。嫌、みそのさんの察しがどれだけいいとはいっても、さすがにこんなことわかりはしないのだろうけど。


 変に驚いた私にみそのさんは軽く首を傾げると、不思議そうな表情のまま私にビニール袋を差し出してきて、甘じょっばいソースの匂いがほんわかと漂っている。


 「おみくじきらい? あ、これ適当に見繕ってきた加島ちゃんの分ね。牛串とたこ焼きとベビーカステラと甘酒」


 「あ、ありがとうございます……。ちょっとびっくりしただけなんで、大丈夫です」


 お礼を言って、どうにか逸る息を抑えながら、私はビニール袋を受け取った。中を覗くと、言葉通り、出店特有の品たちがそこにはぎっしり詰まっていた。


 「そっか。いやあ、しかし、さっき加島ちゃんがこういう出店ほとんど食べたことないっていうからさ、一杯買ってきちゃった。食べきれなかったら言ってね? もっと食べたかったらそれでも全然いいし」


 「あ、はい。ありがとうございます。後でお金払いますね」


 「気にしないでいいよー。ま、払ってくれるんなら嬉しいけど」


 「あはは、じゃあ払いますね」


 ちょっとまだ逸る息をどうにか普通くらいの調子に戻しながら、私はお礼を言って袋の中のものを取り出してみる。紙袋に入れられた牛串はそこはかとなくうまみに満ちたいい匂いを放っていて、なんだかとっても新鮮だ。


 出店の類はほとんど買ってもらえなかったから、高校生になって文化祭で食べたくらいの記憶しかないもんなあ。


 軽く頬張ったら、じゅわっとお肉の味が溢れてきた。


 別に食材自体は普段食べているものと大した違いはないはずなのに、なんだか別のものを食べてるみたいな美味しさがそこにはあった。


 「そんでじゃあ、おみくじ買いに行こうよ。私半分、これのために初詣来てるからさ」


 「そんなに楽しい物ですか……? おみくじって」


 私が牛串を頬張ったままそう尋ねると、みそのさんは快活にけらけら笑う。その手に焼き鳥をつまみながら。


 「別に信心深くはないけどね、なんだろ。やっぱ新年一発目の運試しっていうのは、滾るものがあるじゃない? これから一年どうなるんだろって、想像するのも楽しいでしょ?」


 みそのさんはそう言うと、まるで焼き鳥を指揮棒みたいにしながら、意気揚々とおみくじ売り場まで歩いて行った。


 私はその後ろをくすくすと笑いながら、ついていった。




 巫女服姿の販売員さんにお金を払って、みそのさんはおみくじを振って、出てきた番号を再び販売員さんに告げた。


 それから、販売員さんに手渡してもらったおみくじを開いた。私もその隣から、そっとおみくじを覗き込む。


 「お、やったね」


 「おお~」


 『中吉』だった。


 「健康―――問題なし。仕事―――、おおむね順調。願い事―――叶いにくいようで安く叶う。……ほんとかなあ? 待ち人―――既に来たる。……知ってた」


 「あはは……もう、まなかさんがいますもんね」


 そうして、みそのさんは軽く苦笑い気味にたははと、笑った。私も何となくとなりで笑いを浮かべてみる。


 「で、旅行―――問題なし、すぐ行け。か、はいはいわかりましたよ」


 それからそう言った後、おみくじをそっと折りたたむと、自分の財布にしまい込んだ。


 なんで今、そんなに旅行だけ変な反応だったんだろう。もう行く予定でもあるのかな。


 「…………あれ、そういえばおみくじ、結ばないんですか?」


 おみくじというのは、てっきり結ばないといけないものだと想っていた。弟がおみくじをした時もよくわからないまま、結んでいたっけ。


 「別にどっちでもいいらしいよ? ゴミ箱に捨てたりしたらダメだけど」


 「へー」


 そんなみそのさんの言葉を聞きながら、なんとなく並べれている絵馬を眺める。いろんな人のいろんな願いが、そこには所狭しと並んでいた。



 と、眺めているところにそっと、木製の筒が差し出された。



 私の目の前に何気なく。



 「はい、加島ちゃんの番」



 そうして、そっと促される。



 「えと……」


 「あれ、やらないの? てっきりじっと見てたから、やりたいのかと想ってた」


 それから、あなたはそう言って首を傾げた。


 そんなあなたに見つめられて、私はぼんやりとおみくじを受け取った。


 私、そんなにじっと見ていただろうか。


 そりゃあ、子どもの頃はこっそりやりたいと想っていたけど、今更大人になってこんなこと。



 お金の無駄だし。意味なんてないし。とくに信じているわけでもないし。



 そんな風に迷っていたら。


 

 「案外、やってみたら楽しいよ?」



 あなたはそういって、何気なく、なんとなく私の背中をそっと押した。



 私は少し呆けながら、言わるままにおみくじを振る。



 手渡されたおみくじは想っていたより、ずっしりと重みがあった。



 こんなに……重かったんだ。一度もやったことがないから、知らなかった。



 手から滑り落ちないように、必死に振って飛び出てきた棒の番号を見る。



 そうして背中を押されながら、販売員さんの所へと。



 私の代わりに、みそのさんが硬貨を差し出して、問われるままに私はくじの番号を答えていた。



 そうして私は生まれて初めて、自分のおみくじを受け取った。



 不思議な気分のままに、それをめくる。



 いまいち読み方もわからなくて、最初は戸惑っていたけれど。



 『大吉』と書かれたそれに。



 心が意味もなく湧き上がる。



 「やったじゃん」



 そう言って、笑ったあなたに。



 私はなんだか興奮したまま、微笑み返した。



 胸が高鳴るのを感じながら。



 多分、これで私が得たものは何もない。



 お金を得たわけでも、食べ物を得たわけでも、時間や便利を得たわけでも何もない。



 ただ、楽しいと。



 そう想うためだけに、使ったものだ。



 そんな些細な、小さな紙にまとめられた文字たちを、私は後生大事に自分の財布にしまい込んだ。



 神社に結んで帰ることもできたけれど、それはまた今度にしよう。



 だって、これを見返したら、何度だって今の楽しさを想い出せる気がしたから。







 ※







 『待ち人:既にあり。大事にすべし』


 『仕事:好転する。励め』


 『恋愛:叶う。ただし今のままでは駄目。行動すべし』


 「ふーん、ちなみに旅行は?」


 「えーと……『物怖じするな。発見あり』だそうです」


 「そっかぁ‥‥、じゃあいこっかぁ、温泉」


 「は、はい! いつですか?」


 「明日……」


 「え?」


 「ちなみに、まなかさんも一緒だから……」


 「ええ???」

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