攻撃に想定されていた9組のドローンは全て撃退された。自衛隊や警察は万が一に備えて警戒態勢を維持しているが、新たなドローン発見の報告は上がっていない。

 黒崎たちは、いったん市ヶ谷に降りて待機していた。

 ミサは自衛隊員たちの祝福を受けて高揚感を隠そうともしていない。プレゼントされた迷彩服を着込んではしゃいでいる。

 だが黒崎は空気が抜けた風船のように疲労感をあらわにし、以後の管理をミサに委ねた。自身は集団を離れ、頭を抱えて座り込んでいる。その姿は、悲壮感をにじませていた。

 まるで、誰も近づくことができない〝小部屋〟に立てこもっているようだ。

 ミサはその原因が、疲労だけではないと感じていた。黒崎がオスプレイで不審な電話を取ったことにも気づいている。内容は知る由もないが、黒崎を打ちのめしたのはそこでの会話だとしか思えない。

 だからこそ、大役を果たし終えた黒崎をそっとしておくべきだと考えていた。黒崎を消沈させているものが何であれ、受け止めるには時間が必要なはずだ。黒崎自身が〝小部屋〟を出るまでは、何を語りかけても逆効果になるとしか思えない。

 それは、常に孤独を味わってきた〝天才少女〟にとってはあまりに当然すぎる結論だった。

 だからミサは、あえていつも以上に明るく振舞って自衛官たちの注意を自分に集めていたのだ。

 だが黒崎は、いつの間にかミサに近寄って、力なく声をかけた。手にはエコースマホが握られている。

「ミサ君、警察庁からお呼びがかかった。2人とも、ヘリで大至急来いということだ」

「でも、まだ状況を見ていないと――」

「それは、隊と警察で引き継ぐそうだ」

 ミサは、黒崎の目が赤く晴れていることを見逃さなかった。だが、やはり原因を訪ねることはできない。

 2人は隊が用意したUH60ヘリコプターに乗せられて、警察庁庁舎へ向かった。1回目の一般参賀が終わって皇居前広場に集まった人々が大移動する時間帯だ。

 中央合同庁舎第2号館のへリポートでは、数人の制服警官が彼らを待ち構えていた。

 黒崎は、何度か見かけたことがある警官に言った。

「まだ警備の状況を見守っていたいんだが」

 出迎えた警官が微笑む。

「山は超えましたので、あとは我々が引き継ぎます。自衛隊も一般参賀が終了するまでは警戒態勢を維持しますので、ご安心ください。警備局長がお待ちです」

 黒崎が重苦しいため息を漏らしたことを、ミサは見逃さなかった。

 警察庁庁舎は、その奥まで火災の異臭に包まれていた。

 霞テラスに落下したアパッチの残骸は今も炎を吹き出し、多数の化学消火隊に囲まれている。予め周囲を無人化していなければ、人的被害は凄まじいものになったはずだ。

 2人は刑事局フロアに案内され、黒崎だけが6番調べ室に案内された。そこは5番調べ室の面通しのための小部屋で、マジックミラー越しに5番で行われる取り調べを観察できるようになっている。

 警察庁に在籍していた頃の黒崎は、よく出入りしていた場所だ。

 ドアを開けた黒崎は、しかし中で待っていた者を見て息を呑んだ。

「お父さん!」

 黒崎に飛びついてきたのは息子――天野誠治だった。

 紙袋をかぶされ、久保田に殺されたはずの……。

 その先には、元妻の小百合も立っている。

 黒崎は誠治の肩に反射的に手を添え、しかしぽかんと口を開けて小百合を見つめる――。

 目を伏せた小百合は、消え入りそうな声でつぶやいた。

「あなた……ごめんなさいね。父から、どうしてもやってくれって懇願されて……」

 その瞬間、黒崎は全てを理解した。

 2人が久保田に拉致されたというのは、芝居だったのだ。

 目的はおそらく、黒崎が極限の緊張状態の中でどういう判断を下すかを確かめるため――。

 肉親を守るか、国民を守るか……黒崎という人間がどういう〝本性〟を隠し持っているのかを、暴き出すためだ。

 黒崎はがっくりとひざまづき、改めて息子を抱きしめた。その顔を、息子の胸に埋める。

 誠治が、困ったように天井を見上げる。

「父さん、どうしたのさ……痛いって……」

 黒崎は言葉を返せなかった。ただ、溢れる涙を止められずにいた。

 小百合が2人に寄り添い、誠治の肩に手を置いた。

「本当にごめんなさい……あなたを傷付けるって分かっていたのに……」

 黒崎は小百合を見られないまま、かすれた声を絞り出した。

「いいんだ……そんなことは……生きていてさえくれれば……お前たちさえ……」

「ひどい妻よね……」

「謝るのは……私だ……私は……君たちを――」

 小百合の声は揺らがない。

「それは、言わないで」

 やはり、小百合を見上げることはできなかった。

「しかし……」

「あなたは、私たちの誇りです。もしもあなたが私たちを救うことを選んでいたなら、私はここには来ませんでした……」

「だが私は……君たちを見殺しにした……」

「あなたが誠治の父親で、本当に良かった」

 黒崎はようやく顔を上げた。そして、涙に覆われた目で、小百合を見つめた。

「本当に……?」

 その言葉にうなずいた小百合の笑顔に、嘘はなかった。

 背後で声がする。

「黒崎君、奥に入りたまえ」

 黒崎が振り返る。警備局長の天野正が立っていた。

 立ち上がった黒崎を押し込むようにして、天野がドアを閉める。

「本当にすまなかった。君には、一刻も早く真相を明かしておきたかったんだ。しかも、佐々木君が亡くなったとなっては、早急に次のリーダーを選ぶ必要がある。分かってくれ」

 黒崎の動揺が、困惑に変わる。

「リーダー……ですか?」

 天野は厳しい目で黒崎を見返す。

「君はこのテストに――極限の選択を求めた厳しい試練に合格した。エコーを率いるに相応しい人物だと、自ら証明した」

「そのために、こんな芝居を……?」

 小部屋のマジックミラーには、カーテンがかけられていた。天野はそこへ進む。目をそらして、つぶやく。

「流石に子供にはこんな演技は無理だ。だから劇団の子役を使った。わざわざ紙袋を被せたのは、そのためだ」

 黒崎は床に目を落とす。

「まるで疑いませんでした……間抜けな刑事ですね。しかし、私が攻撃を止めていたらどうしたんですか?」

「あの時点で、君の指示は全て無効になっていた。自衛隊の最高司令官である総理から撃墜命令が下っていたんだ」

 黒崎はホッとしたように言った。

「そうですか……それは、よかった……」

 天野は黒崎に背中を向けたまま、言った。

「君はこの国を守れる人材だと確信できた。中心になってエコーを率いてくれ」そして振り返り、黒崎を見つめる。「娘とよりを戻すなら、私は反対はしないが?」

 小百合も口を添える。

「あなたが望んでくれるなら、私もそうしたい。その方が誠治のためにも――」

 黒崎は、2人の言葉を疑わなかった。そもそも、別れた原因は天野がそう決めたというだけのことだ。夫婦の間に軋轢があったわけではない。

 だが、黒崎は迷わなかった。

「やめておこう。その気持ちだけで充分だ」

「でも!」

 天野が穏やかに叱責する。

「よしなさい。男がいったん決めたことだ」

 黒崎が小百合を見てうなずく。

「リーダが誰であれ、エコーの一員なら家族は危険にさらされる。私がリーダの任に就くなら、この先、本当に君たちが人質にされる恐れがある」

「でも――」

 黒崎は、小百合に言葉を継がせなかった。

「もう二度と、私に君たちを殺させないでほしい……」

 小百合は言葉を呑み込むしかなかった。

 と、息子が言った。

「父さん……帰ってこないの?」

 黒崎は誠治の肩に置かれた小百合の手を軽く握って、見おろす。

「今まで通り、時々会えればいいじゃないか。私はいつまでもお前の父さんなんだからな」

 誠治にも、黒崎の覚悟は伝わったようだ。

「うん……」

 黒崎が天野を見る。

「あの画像では、確かに久保田の声がしましたが?」

 天野がうなずく。

「それも、説明しなければならないことの1つだ」

 そしてゆっくりとカーテンを引き、隣の調べ室の内部を見せた。

 調べ室の奥に、久保田が無表情に座っていた。

 テーブル越しの警官は、怒りをこらえるのに必死の様子だ。黒崎の同期だった捜査第一課長だ。

 天野がスピーカーのスイッチを入れる。その気配を察したのか、課長がマジックミラー越しの天野を見る。

 天野は言った。

「天野だ。菅原君、君は少し休みたまえ。私が替わろう」

 菅原が驚きを見せる。

「何も、警備局長自らが……」

「すぐに交代を呼ぶ。それまで見張るだけだ」そしてスピーカーを切って黒崎に命じる。「合図したら、君も来たまえ」

 天野は隣に調べ室へ向かった。菅原と部屋の隅にいた書記を外に出すと、スマホで誰かを呼んだらしい。

 久保田はその姿をやはり無表情に見守っていた。

 小百合は黒崎の背後で誠治を抱きしめていた。だが、何も語ろうとはしない。黒崎も、語るべき言葉を持ち合わせていなかった。

 数分後、調べ室に入ってきたのは、黒崎をエコーにリクルートした小塚だった。

 黒崎が思わずもらす。

「なぜ彼が……?」

 小塚は久保田のもとに歩み寄った。久保田が立ち上がる。

 すると、2人は握手をした。

 久保田の顔に、ようやく穏やかな笑みが浮かぶ。

 黒崎が表情を失い、つぶやく。

「なんだよ、それ……?」

 黒崎の背後で、小百合が言った。

「私たち、休憩所で待ってます。ゆっくりお話ししたいこと、たくさんありますから……」

 黒崎は調べ室の〝異変〟に戸惑いながらも、言った。

「他人行儀だな」そして、久保田に視線が向かう。「ちょっと込み入った話になりそうだから、時間がかかるかもしれないぞ?」

「待ってますから。いつまでも」小百合は笑った。「今までずっと、待っていたんですから」

 そして2人は部屋を出て行った。同時に、天野がガラス越しに手招きをする。

 黒崎は、5号調べ室に入ってドアを閉めた。

 天野が言った。

「小塚君が記録は残さないように手配している。ここでは何を話しても大丈夫だ」

 黒崎が天野の横に進む。

「久保田は、人に知られたくない仕事をしていたってことですね」

 小塚がうなずく。

「潜入工作員だよ。もう3年になる」

 久保田が訂正した。

「先月で4年目突入です」そして一瞬黒崎を見てから、目を伏せた。「クロさん、すみませんでした。ずっとあなたを騙していました」

 黒崎の表情を見守っていた天野が言った。

「あまり驚いていないように見えるが?」

 黒崎がため息をもらす。

「あるいは……とは思っていましたから。でも息子を殺すと言われて、頭が真っ白になっていました。ほんと、頼りない刑事です」

「だったら、小百合たちのことも芝居だと分かっていたのか?」

「少し落ち着いてからは……。希望は持っていました」

「その割には打ちのめされていたようだったが?」

「2人を殺す決断を下したことに変わりありませんので」

 逆に久保田が驚きを隠せずにいた。

「疑ってたって……どうして? 俺、そんなヘマ、してました?」

 天野が言う。

「まあ、みんな座ろうじゃないか。少々狭いが、他にも招いている客もいることだしな」

 黒崎は席についてから、久保田に答えた。

「最初に疑ったのは、テレビ局でお前に撃たれた時だ。お前の銃の腕は本物だ。私が、危険な場合は防刃ベストを着ることも知っている。殺す気なら、迷わず頭を狙うだろう。しかもジャケットに残った弾の痕は、みんな急所を外れていた。それどころか、骨も折れなかった。わざとそうしたんだろう?」

「参ったな……そこから見抜かれていたんなら、後はモロバレじゃないですか」

「自殺を図ったのは、野次馬に混じっている工作員たちに見せるためだったのか?」

「半分は当たり。半分は、クロさんに信じ込ませるためでした。レンジャーの隊長が止めに入るようにあらかじめ打ち合わせていたんです。その前に、クロさんが飛び出しちゃいましたけどね」

「銃を奪って新宿署から脱走したというのも狂言だな?」

 答えたのは天野だ。

「警官を撃って逃げたことにすれば、まだ潜入を続けられそうだと言い張るのでね。私はあれで終わりにするつもりだったのだが」

 久保田がうなずく。

「かなり首謀者に近づいていた感触があったんで、終了したくなかったんです。3年も費やしたのに、成果がハンパじゃもったいないじゃないですか。警察が消火器に目をつけているという情報を聞きかじったんで危険を冒して脱出したと言ったら、信用されました」

「再潜入か……。それこそ危険が大きかったんじゃないか?」

「でも、クロさんを女記者のところに誘導したり、あれやこれやこまめに働いていたんでね。しかも、いろんな襲撃が一斉に準備されていたんで手が足りなかったのが良かったんでしょう。俺が消火器関連の証拠を消しますって言ったら、あっさり横浜の倉庫を教えてくれました。とっくにバレてて、罠にかけられるんじゃないかとヒヤヒヤしましたけどね」

「倉庫では、目立つようにわざと派手な火災にしたんだろう? そういえば、血痕も残していたな。つまり『ここが重要だ』と私に教えたかったわけだ」

「ちょっとわざとらしい傷を作っちゃいましたけどね。シールの盗難も、分かりやすいように細工しておきました。消火器に目をつけたクロさんなら、気付くと思ってましたよ。潜入スパイだって疑われないようにしながら情報を送るのには、本当に苦労しました。ばれたら殺されるだけじゃなくて、何もかも台無しですからね。なるべく監視カメラは避けてましたけど、きっとどこかに目立たないカメラが仕掛けてあるってことも信じてましたしね」

「客船の襲撃を防いだ後も、お前の言葉でまだ皇居が狙われていると分かった」

「俺、クルーズ船襲撃に加えてほしいって直訴したんです。何がなんでも警察に復讐したい、ってね。顔を知られてるから無理だって言われましたが、連絡役には組み込んでくれました。有能なメンバーが足りなかったんでしょう。協力的な老人たちも景気良く殺しちゃいましたから。しかもそこで皇居攻撃を小耳に挟んで、どうやって知らせるか頭を悩ませていたんです」

「だから私にあんなことを……」

「クロさんから電話してきてくれて、本当に助かりました。ホテルや客船の襲撃もそれなりに重要ではありましたが、皇室を攻撃するための目くらましのような位置付けでしたからね」

「そもそも、偽装心中の現場にもお前が誘導したんだろう?」

 久保田がうなずく。

「それも組織の命令です。あのアパートの周辺で待機していろ、ってね。クロさんを現場に一番乗りさせられれば、きっとその異常性に気づく。そこから徐々に連続殺人に引き込んでいき、最後は公安の陰謀だとマスコミに暴露させ、警察への信頼を失墜させる――それが第一段階の目的だったようです。女記者に遭遇するように仕掛けたのも、俺です」

「やっぱりな……。だが、なぜわざわざサリンの存在を明かすような真似をした? 結果的にやぶ蛇で、一連のテロを潰されたわけじゃないか」

「そこは教えられていなかったので推測ですが、第一にサリンの検出までは不可能だろうとタカをくくっていたんでしょう。仮にそれができても、縦割り行政にがんじがらめになっている日本の役人じゃ、テロの連発に対処できるわけがない……ってね。ホテルや客船は救えても、それで安心すれば皇居襲撃までは気づけないだろうってことだと思います。エコーみたいな組織ができていたのを甘く見ていたわけです」

「確かに警察は縄張り意識が強すぎて、連続殺人の段階からして有効に動いていたとは言い難かったからな……」

「それに、きっとテロ計画は今回だけじゃない……。警察や役所がサリンの存在を知った後にどう動くか、今後のためにそれをじっくり観察していたはずです。末端の工作員はいたるところに配置されて、常に情報を集約していますからね。この次はおそらく、エコーの存在を計算に入れた計画が練られるんだと思います」

「偽装誘拐も、お前の発案か?」

「そうです。申し訳ないことをしました。でも、組織から疑われないようにするには、他に方法がなくて……」

「構わないさ。息子さえ切り捨てる冷血漢だと思わせておけば、同じ手を使っても効果は薄いと信じ込ませられるからな」

「そう言っていただけると、少しは楽になります。あらかじめ警察と打ち合わせておいて、ローラー作戦に引っかかったふりをして投降したんです」

 そして黒崎は、言った。

「久保田、お前は何者なんだ?」

 久保田が微笑む。もう隠し事はしないという決意が、表情に現れていた。

「日本人だと信じ込んでいた在日朝鮮人ですね。警官になりたくて色々調べていたら、自分が朝鮮人だと分かってしまったんです。両親は事実を隠したまま死んでいましたので……。でも、俺を日本人として育ててくれたし、俺も自分は日本人だと確信しています。だからと言って、警官になるのはちょっとね……」

 黒崎は小塚を見た。

「久保田は日本人ではないと?」

 小塚が目をそらすこともなく、微笑む。

「人は嘘をつく生き物です。でしょう?」

「まあ、そうだな」

 小塚が説明を引き継ぐ。

「しかし久保田君の成績は、あらゆる面で極めて優秀でした。その話を小耳に挟んで、私が密かに面接したんです。そこで、潜入捜査官という可能性が拓けました。日本には、半島系の工作員が隅々にまで入り込んでいます。久保田君のように日本の一員として馴染んでくれれば何の問題もないのですが、今回のように破壊活動を画策する組織も少なくない。久保田君なら、そんな組織にも自然に潜り込んでいけますからね」

 久保田がうなずく。

「で、北朝鮮系の闇組織に泣きついて偽の戸籍を用意しました。警官になってからはピストルでオリンピック強化選手にも選ばれました。まあ、結局選外でしたけどね。そうして警察に根を下ろすと、今度は組織の方から俺に接近してきました。『戸籍偽造をバラされたくなかったら手を貸せ』ってね。奴らのいつものやり口です。かくして、潜入捜査官が誕生したわけです」

「潜入した効果は絶大だったというわけか」

 だが、久保田の表情は浮かない。

「そうでもありません」

「なぜ? テロは全て防げた。しかも背後に北朝鮮の関与があったことは明確になったんだろう?」

「表面上は、です。一連の工作に関わったメンバーはおおよそ暴けました。捕らえて処罰するか、二重スパイとして取り込むか、あるいは泳がせてさらに組織を深掘りするかは次の段階です。スパイ防止法もない日本では、できることも限られていますけどね。でも俺がここまで粘ったのは、なんとか中国共産党の関わりを証明したかったからなんです。残念ながら、そこまでの証拠はつかめませんでした。状況証拠なら腐るほどありますが、それだけで奴らに戦いを挑むのは無謀すぎますから」

 と、天野のスマホに連絡が入る。

「なんだ? ……ああ、呼んだのは私だ。5号調べ室に案内するように」

 数分後に部屋に入ってきたのは、ミサとマリア、そして武市だった。

 武市が天野に頭を下げる。

「警備局長、官房長官からもエコーに労いの言葉をいただきました」

 天野が微笑む。

「当然の評価だな。生まれたての赤ん坊にしては、破格の成果だった」

 だが黒崎は、マリアの表情に気を取られていた。久保田を見て、言葉を失っていたのだ。

 久保田がマリアに向かって言った。

「大庭、久しぶりだな」

 マリアがつぶやく。

「なんで翔太が……?」

 黒崎が久保田を見る。

「知り合いだったのか?」

「オリンピックの強化合宿でね。落選仲間でしたが」

 天野が言った。

「中に入ってドアを閉めたまえ」

 席に着いたマリアが言った。

「翔太もこの件に関わっていたの? っていうか、すっかり消息を聞かなかったけど、ずっと何してたの……?」

 黒崎が説明する。

「新宿北署で私と組んでいた男だよ。実は潜入調査官で、今回のテロを指揮していた北朝鮮工作組織の一員として動いていた。その内部情報があったからこそ、ここまで的確に敵の意図が読めたんだ。最大の功労者だと言っていい」

「あ、クロさんが言ってた久保田って……」

 久保田がうなずく。

「珍しくもない名前だからね。しかも北署は厄介者の吹き溜まりで、実質左遷だ。『異動しました』なんて自慢できる場所じゃない」

 黒崎が問う。

「そもそもお前、なんで北署に来たんだ?」

「それ、工作員として北から受けた命令なんです。目的はクロさんだったんですよ。将来を嘱望されたキャリアでありながら、信念を貫いて組織に反抗した警官――奴ら、警察組織を内部から崩壊させるためにそういう人物を取り込みたかったんです。だから俺を使って、クロさんの〝身辺調査〟をしていたんです。早い話、弱みを探していたわけです」

「だからと言って、簡単に望みの所轄に転属できるわけではなかろう?」

「その権限を持った署員の中にも、奴らの協力者がいるということです。今ではかなり正確な〝要注意人物〟のリストが出来上がってますよ」

「参ったな……やっぱりそんな奴らにも目をつけられていたわけか……」

「クロさん、有名人ですからね」

「嬉しくはないがね」

 ミサが言った。

「あたし、なんで呼ばれたの? ずっと待たされて、退屈してんだけど」

 確かに、ミサの自衛隊の迷彩服は警察庁には場違いなものだった。

 天野が微笑む。

「エコーのメンバーに、久保田君を紹介する必要があった。おそらく今後、整形で顔を変えた上でスタッフとして加わることになるのでね。他のメンバーにもなるべく早く会ってもらう」

 久保田がうなずく。

「俺は警察庁に軟禁されて、国際テロリズム課で厳しい尋問を受け続ける――公にはそういう立場になります。組織内部を知る貴重な情報源ですから、いきなり姿を消しても北朝鮮は疑いを持たないでしょうね」

 黒崎がホッとしたようにうなずく。

「これ以上の潜入は諦めるんだな?」

「顔や指紋はごまかせても、DNAまでは変えられませんからね。もう戻れません。で、その間に見た目と戸籍をちょっといじって、エコーで働くことになりました」そして黒崎を見て笑う。「クロさんも、頼れる部下が欲しいでしょう?」

 黒崎も苦笑いを浮かべる。

 天野がミサに言った。

「私は、天才少女にも会ってみたかったんだ。今回君は、ずいぶん活躍したそうだね。どうだね、現場に出た感想は?」

 ミサの笑顔が弾ける。

「ラペリング! あれ、またやりたい!」

 天野が笑いをこらえる。

「分かった。君さえよければ、自衛隊の訓練にも参加してもらおう。隊のサイバー部隊からも指導の要請がきているようだしね。警察庁の連中も面倒を見てやってくれると助かるが?」

 ミサが真顔になる。

「お願い、聞いてくれます?」

「なんだね?」

「できる仲間が欲しいんです。で、暇を見てちょっとしたゲームを作ってました。これがハッキングできたら次のステージへ、っていうダンジョンRPG。最上階まで来られたら、相当の使い手だと分かります。最後はラスボスのあたしとガチで戦って、実力を計ります。それなりの賞金を出して……そう、最低でも1億円ぐらい出して、エコーの別働隊にできませんか? ホワイトハッカーチームです」

 天野は即断した。

「進めてくれ。資金面は心配無用だ。ただし、あくまでも見かけは遊びのためのゲームとして、な。そのためには、実際にゲーム会社を興しても構わない。リクルートの手段だと見抜かれると、他国から……特にアメリカから妨害が入りかねないからね」

「そのつもりで作ってるゲームです」

 天野がニヤリと笑う。

「さすがエコーだ。頼りになる」

「あたしにとっては、自分の力量で国を守るのが最高のゲームなんで。今回も、すっごくエキサイトしました!」

 と、黒崎が済まなそうに割りこむ。

「局長、先ほどのお話ですが……」

「なんだね?」

「私にエコーを率いろという件です」

 天野は黒崎の表情を読んだ。

「不服か?」

「私はどう考えても現場向きです。自分の目で現場を見なければ判断に自信が持てません。リーダーは別の人間にしてもらえないでしょうか?」

 答えたのは小塚だ。

「やはり、そうおっしゃいますか。まあ、予測していたことです。しかし、こちらも人材確保には難渋しているのです。あなた方みたいな規格外の〝素材〟は、そうそう見つかりませんので。ふさわしい能力を持った人物を発掘できるまでは、引き受けていただけないでしょうか?」

 天野もうなずく。

「今回のような緊急事態が常に起きるわけでもないだろうからね。とりあえずはリーダーの椅子に座っていて欲しい。その方が都合がいい事情もある」

 黒崎の表情が曇る。

「なんですか、事情とは?」

「エコー本部を新宿北署に置こうという案が持ち上がっているんだ」

「本部を北署に⁉ なぜ?」

「これから設計を始める新築庁舎だから、計画段階で自由に手を入れられる。地下にちょっとした設備をしつらえて、既設の地下空間にも繋げようと企んでいる。核攻撃にも耐えられるように、ね」

「それだけのことで……?」

「だけ、ではない。今回の事件でエコーの有用性は実証された。さらに拡充する必要にも迫られている。だが、例外的な事象がのべつ幕無しに起きるわけではなかろう? といって、そのたびにスタッフを招集していたのでは意思疎通に不安が残る。そこで、もう1つの使命が考えられた」

「使命……?」

「日常業務として、増える一方の外国人対策を担当してはどうかというのだ」

「そんなことまでやらされるんですか……?」

「これこそが、各省庁を横断的に連携させる必要がある大問題だからな。なのに現状では、それぞれの役所が我を張って効果的な対策が取れないまま、なし崩しに事が進んでいる」

「だからと言って……」

「どんな事態であれ、それをハンドリングする大前提は正確に実態を測ることだ。外国人問題も例外ではない。それには、外国人対策のために分署化された北署が、最も有益なモデルケースなる。この地域での問題や犯罪対応は、今後すべての地域に活かせる。霞ヶ関で踏ん反り返ってる役人達が目を塞いでいる、外国人たちのマナの姿にも触れられる。特に、犯罪性を持つ外国人の集団にどう対処していくか、一刻も早く対応策を固めなければならない問題だ。移民の大量流入は、日本の歴史にとって最大級のインパクトを持つ〝例外的な案件〟だからね。国家のあり方の大転換を迫られる未曾有の事態だと考えている。しかも、中国のサイレント・インベージョンに深く結びついている。エコーがこの問題に対処しないで、誰がする?」

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