黒崎とミサは、皇居の外周上空を遊弋するオスプレイの機内でコンピューターのモニターに囲まれていた。

 移動指揮所だ。

 機内は、翼端の2つのエンジンが起こす轟音とかすかな振動に満たされている。都心上空を縦横に飛び回って広域を見渡すには、オスプレイの機動性と瞬発力が不可欠だったのだ。

 市ヶ谷や豊洲市場駐車場では、短時間ながら厳しい訓練をクリアしたパイロットが、多数のヘリコプターやオスプレイに搭乗して待機している。

 山手線に接続されている各路線の地上部分には、重点的に人員が配置されていた。東海道線、中央線、常磐線、その他私鉄の沿線には多数の警官たちが集結し、上空を見張っている。その数は、天皇陛下が長和殿にお出ましになる予定の10時過ぎに近づくにつれ、近隣県の応援も混じえて増え続けている。

 中国高官に向けたテロは、すでに国際的なニュースとして波紋を広げていた。無論サリンの使用が計画されていたことは伏せられていたが、それでも〝焼身自殺〟による抗議、あるいは国家主席暗殺計画が日本で行われたことは注目されている。

 国家主席が日本政府に感謝を述べているにも関わらず、中国国内では団派勢力に煽られた反日感情が高まり、日本全国でも一部留学生などが抗議集会を行っていることが報道されている。国家主席の暗殺には失敗したものの、日本に対する情報工作や圧力行為はシナリオ通りに進行しているようだった。

 アメリカ大統領はツイッターで、いち早く中国の反日活動を非難している。反日が反政府に変わることを、共産党以上に危惧していたのだ。万が一にも暴動が抑えきれなくなれば、共産党は外部への武力侵攻によって内圧を吐き出させる以外に選択肢がなくなる。

 最も危険なのは台湾だ。

 ここ数年、国家主席自身が『一国二制度』を強調し、さらに『戦争に備えろ』と公言し、経済が縮小する中でも軍事費を高めてきた。それは本質的には国家を1つにまとめる方便ではあった。だが同時に、不況にあえぐ市民生活には重い負担を加える原因になっている。国民の不満の爆発を防ぐ最後の手段は、軍事攻撃を〝可視化〟することなのだ。

 だが、いったん軍事行動を起こせば、中国は米軍――いや〝自由主義陣営〟との熱戦に引き込まれる。それはおそらく、中国の破滅的な敗北につながる。しかし、起こさなければ、国内に〝革命〟が波及しかねない。

 中国共産党幹部は、フランスに端を発したイエローベスト運動がEU全域を混乱に陥れ、巨大な政変を招いたことを他山の石として注視してきた。中国に同様の運動が始まれば、SNSをどれほど厳しく規制しようとも、天安門事件を凌ぐ大惨事を招くだろう。それは必ず、かろうじて保っている中国の国際的地位を奈落の底に叩き落とす。

 共産党は自らの〝策略〟によって引き起こされたジレンマを制御する自信を喪失し始めている。

 一方のアメリカは、すでに南シナ海、東シナ海に多くの空母群を移動し始めている。あらかじめ日本の首相からテロ計画の存在を耳打ちされていた結果でもある。テロ封じの成否にかかわらず、中国共産党が暴発する危険があることは共通の認識だったのだ。

 特に軍出身の大統領ブレーンは、共産党が〝キレる〟ことを警戒していた。万が一にも東京でのテロが熱戦の引き金にならないように事前に布石を打っておくことは、軍人としての使命だった。

 日本国内の野党政治家からはほんの数時間の間に、示し合わせたように一般参賀決行への批判が沸騰した。異常ともいえる広範囲の交通規制が必要なほど危険があるなら、皇室の権威を毀損してでも国民を守れという理論だ。

 しかし、アメリカ側からは不満は何一つ聞こえてこない。むしろ、〝戦う姿勢〟を明確に打ち出した政権に対し、サポートを約束する声が相次いだ。

 それはエコーへの追い風となった。厳しい交通規制を正当化し、ドローンやマスコミのヘリコプター飛行を全面禁止する格好の裏付けになっていたのだ。テロに対する警戒心も、時間を追うごとに高まっている。

 エコーの役目は、現時点ではテロの撃退のみにある。国際問題は、決断を下した国のトップが全力で対処すべき案件になっていた。

 NSCは、テロ攻撃の可能性を明確には語らなかった。しかし多くの国民は、中国使節団への〝焼身自殺抗議〟や皇居周辺の厳戒態勢に怯えて、一般参賀を避けるだろうと判断していた。

 そして国民は――。

 政府は国民感情を見誤っていた。

 誰からともなく、ネット上に『今こそ皇室を支えよう』という声が湧き上がった。そして呼応する人々が現れた。皇居に集まる人々は、すでに例年をはるかに超えている。特に若者たちが動いた。皆、整然と警察の指示に従い、粛々と皇居へ集結しつつある。皇居前広場はすでに人並みで埋まっている。

 黒崎は、皇居上空500メートル上空で感嘆の声を漏らした。その距離から見ても、集まった人々の数は測れる。

「なんて数だ……守れるのだろうか……」

 片耳だけを覆ったヘッドセットでそのつぶやきを聞き取ったミサが、笑う。

「クロさんが自信喪失なんて、変。守りきってよね、あたしもついてんだから!」 

 黒崎も、自らに言い聞かせる。

「その通りだな。やるしかない……いや、やってみせる!」

 それぞれが己の〝責任〟を明確にし、それを背負う――それは、近年の日本人がないがしろにしてきた姿勢でもあった。

『ドローンによるテロに警戒せよ』という〝一般的〟な注意喚起は全ての公的機関に送られ、多くの公務員ばかりでなく、地域の住民までが線路ぎわで休日の晴れた空を見上げる結果になった。

 テロ阻止の成否は、どれだけ素早くドローンの位置を突き止められるかにかかっていた。

 ドローンの操作半径の短さから考えれば、操縦者が移動しながらでなければ皇居に近づくことはできない。仮に操作の範囲を延長できたとしても、ドローンが目視できる位置になければ妨害を避けることが困難になる。ドローンにカメラをつけて警戒したとしても、360度の気配を察知することは難しいのだ。もっとも可能性が高い襲撃方法が、複数の鉄道路線を使用して皇居に接近し、各所に潜伏した工作員に操作を受け継ぎながら宮殿長和殿に近づくことだと判断された。

 そのため、防護策の第一段階は、都心に集まる複数の鉄道沿線の目視に重点が置かれたのだ。

 警察は皇居外周の無人領域を完成させるために全力を上げたが、その網から漏れる者が出ることは防ぎようがない。意図して隠れる工作員がいるなら、なおさら困難だろう。ローラー作戦に駆り出された警官たちは無人領域に残って不審人物の発見に努めたが、効果は未知数だ。駆り出された警官自身がテロ組織の支配下にあることもあり得る。

 戒厳令のような強硬手段が取れない日本にあっては、受け入れるしかない現実だった。

 その警戒態勢を見て、攻撃が中止されることは考えられた。しかし、数多くの工作員を有機的に組み合わせて動かす計画は、複雑すぎて容易には変更できないだろう。まして、皇居にこれだけの人数が集まる好機は、この先しばらくは訪れない。テロ組織が皇居への攻撃を引き金にして日本を騒乱を陥れようと画策しているなら、その目論見も崩れる。計画中止の影響は、国際政治の大局にさえ波及しかねない。

 攻撃断念は、テロ組織の全面降伏を意味するのだ。

 そして、決行するなら他の日はあり得ない。

 テロ組織がエコーと真正面から激突する可能性は、時間が過ぎるごとに高まっていった。

 皇居上空の旋回飛行を始めてから、およそ30分後――。

 軽く目を閉じて呼吸を整えていた黒崎のヘッドセットに、現場警官からの一報を受けた本庄の報告が入った。

『JR王子駅上空で2機のドローン発見! 連結されているようです! 都心方面に向かって飛行中!』

 エコーの予測が的中したことが証明された瞬間だった。

 黒崎が目を開く。

「来たな! 以降、当機をターゲット・ワンと呼称する」

『了解』

 ミサがアイパッドの地図にプロットする。ノートパソコンで時刻表を確認しながら計算する。

「アキバから新橋あたりまでは電車ね。他の路線からも送り込んで来る気なら混線を嫌うだろうから、多分アキバから皇居に向かう」

「当然、使える路線は全て使ってこっちの注意を分散させようとする」

「じゃあ、ターゲット・ワンはアキバから侵入ってことで。さすがに休日のアキバは無人にできないから、コントロールを引き継ぐにはちょうど目立たないしね」言いながら計算を続ける。「約20分あればバトンタッチ可能。宮殿まで2キロ程度だから飛行時間をおよそ3分、襲撃は25分以内でしょう。この時間に合わせて9機が集まるはず。だとすると、そろそろ吉祥寺から中野駅、蒲田駅あたりで別の機体が発見されるはず」

 同時に2機目の発見通報が入る。

『JR蒲田駅上空にてドローン目視! さらに3組目、4組目が吉祥寺駅!』

 ミサがうなずく。

「でしょうね。蒲田のは多分新橋か浜松町から皇居に向かってくる。吉祥寺のは信濃町あたりで路線から離脱するはず」

「聞いたか⁉ その予定で迎撃準備を進めろ! 蒲田がターゲット・ツー、吉祥寺がスリーとフォーだ!」

『了解』

 黒崎がスマホを取る。

「桐谷、そっちは⁉」

 桐谷は豊洲市場で航空自衛隊のコントロールに当たっている。

『今、ターゲット・ワン撃墜にアパッチが飛び立ちました! 無人地帯に入り次第撃墜を試みます』

「ツー、スリー、フォーの追尾と迎撃準備も順次行え。混乱しないように各機呼称と担当機を共有するように」

『了解』

 ヘッドセットに本庄の声。

『ゆりかもめ上空にドローン発見! 芝浦ふ頭のコンテナから飛び立った模様です』

「それ、新橋から突入してくるよ!」

「ゆりかもめの機体をファイブとする」

『大井競馬場の厩舎からドローンの発進が確認されました! モノレールに沿って飛行中!』

「競馬場はシックスだ!」

『自衛隊内の通信、一部を中継します』

 自衛隊員同士の通信が入電する。

『電波探知、どうだ⁉』

『数寄屋橋から北西方向、データ送る』

『警視庁より東方向、データ送る』

『ターゲット・ツー、操作者は日比谷公園内と予測される。至急警察で地上から探査を行われたし』

 警察無線の悲鳴に近い交信が混じる。

『他の周波数での操縦電波も受信し始めています! どれがどの機体をコントロールしているか判別困難!』

『構わん! とにかく発信場所の絞り込みに努めろ! 一カ所でも多くの発信機を特定するんだ!』

『公園、無人のはずじゃないんです⁉ 何でこんなに人がいるんですか⁉』

『言っても聞かないバカはどこにでも湧く。その中に工作員が混じってるんだ、気を抜くなよ!』

『でも、どうやって⁉』

『堂々と追い出しにかかればいい! 今日は利用禁止だと広報されているんだから、警察の当然の職務だ。繰り返すが、操縦装置を持った奴を発見しても監視を強化するだけで待機しろ。ドローン焼却が不首尾に終わった場合のみ、確保する』

 この通信に市ヶ谷の出羽が加わる。

『出羽です。中央線方面の2機はこちらで迎撃します』

 ミサが叫ぶ。

「そろそろ新木場駅付近、来るかも」

『本庄です。新木場でドローン発見! 駅周辺でゆっくり旋回しています』

「あ、そうか! 電車の停車中は旋回して待つようにプログラムされているんだ! それ、セブンね!」

『出羽、了解。アパッチ3、離陸準備整いました』

 黒崎がヘッドセットでオスプレイの操縦士に命じる。

「パイロット! アキバ方面へ向かってくれ! 撃墜を確認したい!」

『了解です』

 ヘリモードでホバリングしていたオスプレイが、ローターの向きを変える変換モードに入る。翼端のエンジンが水平方向に向きを変えていく。数十秒で固定翼モードに切り替えると、急速にスピードを上げながら高度を下げていく。

「ミサ君、あとの指揮は君が取ってくれ!」

「はーい」

 ミサは次々に流れ込んでくるドローン情報を整理し、機体をナンバリングし、予測進路を指示していく。

 黒崎が緊迫した表情で状況を見守る中、オスプレイはゆっくりと傾いて高度を下げていった。その間に次々とドローン発見情報がもたらされる。その撃退は、ミサと2人の自衛官によって手際よく振り分けられていった。

 そして、刻々と襲撃決行時刻が近づいていく……。

 ミサが言った。

「攻撃機の通信が入ったよ!」

 黒崎のヘッドフォンにも通信が流れる。

『ターゲット・ワン、駿河台上空で無人地域に侵入! 牽引機を切り離しました!』

『飛行速度はどうだ⁉』

『急速に減速しています!』

 ミサが叫ぶ。

「広場で待ってる人たちが狙われてる!」

 黒崎が命じた。

「即時撃墜だ! 地上の状況は無視して構わない!」

 パイロットの声がヘッドフォンに割り込む。

『目視できました! 11時方向、斜め下です!』

 黒崎は、側面の小さな丸窓から地上を見下ろした。限られた視界の中に、アパッチ――AH64Dの機体がかすかに目視できる。だが、ドローンを識別することまではできなかった。

 眼下に広がるのは、小さなビルがひしめき合う神田の本屋街だ。高層ビル群に隣接している。ドローンはビルの陰に隠れて低空を接近してきたらしい。

 地上は可能な限り無人化には務めたが、住民を排除することまでは難しい。そのどこかに操縦者が身を潜めているなら、発見は困難だろう。

 と、アパッチの側面から火の玉が一つ、発射された。

 フレアだ。

 その一発が地上に向けて落ちていく。軌道に何も変化がないまま、炎は消滅した。すぐに発射された2発目も同じように、変化を見せなかった。

 本来攻撃用の武器ではないフレアは、照準を定める機能を持たない。機体の姿勢を制御することでしか、発射の方向を決められない。飛行するドローンを狙って命中させるには、パイロットに標準以上の技量が求められるのだ。たった1日訓練しただけで装備の性能を超える効果を引き出すのは、不可能にも近い。

 だが、3発目は違った。空中でも明るく光ったフレアは一旦動きを止め、さらに大きな炎として燃え上がった。

 2000度の高熱でドローンを包み込む。

 スマホに本庄の興奮した声が入る。

『ターゲット・ワン、焼却成功!』

 人気も感じられない靖国通りの真上だった。道路封鎖で車もいない。

 黒崎が、詰めていた息をもらす。

「ありがとう! その操縦者、技量が確かだ。他の機体の撃墜にも回してくれ!」

『了解しました!』

 そして続ける。

「撃墜位置を確認して、至急消防隊を派遣! 火災が発生していないか確認し、負傷者の有無も精査すること! サリンの残留物にも注意するように!」

 かすかな笑い声が聞こえる。

『手配済みですって。充分に検討してきた手順じゃないですか。クロさん、心配性なんだから』

「悪かった。この調子で他のドローンも処理してくれ」

『クロさんはそこから見ててくれれば大丈夫ですから』

 だが、黒崎の不安は払拭できないようだ。

「他のパイロットも同程度の技量があるのか?」

 通信を聞いていたらしい桐谷が割り込んでくる。

『桐谷です。みんな、何発目で命中させられるか賭けていますよ。ビリッケツが祝杯を奢ることになっているんで、必死です』

「任せた!」

 そして、次々に撃墜情報が流れ込んでくる。

 フレアで焼却されたサリンは地上には一切降り注がなかった。それでも安全対策として、焼却箇所の周辺には消防車での散水が行われた。数カ所でボヤは発生したものの、散水によって被害が拡大する前に難なく消火されていた。前もって無人化に力を尽くしたために、人的被害も報告されない。

 ドローン掃討作戦は、期待以上の成果を上げていた。

 だが、その直後に黒崎が最も恐れていた事態が発生した。

 最初に鳴ったのはエコースマホで、警備局長からの連絡だった。それを予期していた黒崎は機体後部に移動して、隠れながら電話を取った。

「黒崎です」

 絶え間ないエンジン音の中でもスマホの声は聞こえる。

『また脅迫だ……あと何機残っている?』

「2機です」

『それを見逃さなければ、2人が殺される……』

 元妻たちの拉致を知らされた瞬間から、その種の脅迫は覚悟していた。息を整えてから、きっぱりと言った。

「作戦はチームで進行しています。私にはもはや、中止する権限も能力もありません」

『それでも、止めなければ娘たちが……』

 言葉を続けられない気持ちは、黒崎自身も同じだった。しかし、答えは考え尽くしている。

「あなたはどうしたいんですか⁉」

『娘と孫を救ってほしい……孫は、君の子でもあるんだ……』

 用意していた言葉を出すしかなかった。

「できません」

 天野警備局長が不意に声を荒げる。

『血を分けた息子が殺されるんだぞ! それを防げるのは、お前だけなんだ!』

 それでも答えは変わらない。

「できるのかもしれない。だがやってしまえば、代わりに何100という人々が虐殺される。彼らにだって、親も子もいる。そして日本は、二度とテロに立ち向かえない国になる。私には、そんな選択はできない。常に公正で、正義を貫けと教えられていますから。あなたはその頂点に立とうという人だ。私に、国と国民を裏切らせないでください」

 そして、一方的に通話を切った。

 これ以上、警備局長からの連絡は取らないつもりだった。ドローンを全て無力化するまで――ではない。

 この先、一生だ。

 それでエコーから排除されるなら、それでも構わないという覚悟を決めている。

 だが、かすかな涙がにじみ出ることまでは防げなかった。気づかぬうちに、スマホを固く握り締めていた。

 と、個人所有のスマホの方に着信が入った。見知らぬ番号からのフェイスタイムだ。

 それもまた、覚悟を決めていた通話だ。

 来たな――。

 受信を許可する。

 スマホの画面には、天野小百合と息子の誠治が映し出されていた。小百合は椅子に縛り付けられて動けずにいる。隣の子供用椅子には、頭から紙袋を被せられた誠治がやはり縛られている。ブルブルと震えている。2人で行った動物園で買った、お気に入りのトレーナーを身につけていた。会うときは必ず着ているものだ。

 黒崎は、固く唇を噛み締めるしかなかった。

 小百合がか細い声で言った。

『あなた……聞こえているんでしょう? 誠治を助けて……』

 そして、画面の脇から拳銃が現れる。銃口が、誠治の頭に突きつけられる。

『あなた! 助けて!』

 黒崎はつぶやいた。

「できないんだ……それは……やっては、ならないんだ……」

 スマホから、諦めきったような男の声がもれる。

『やっぱり、クロさんだよね……そう答えると思ってたよ』

 黒崎は、苦痛に満ちた声を絞り出す。

「久保田なのか……⁉」

『本当に残念ですよ。僕も、返事は一種類しか用意できないんで』

「貴様、誰に命じられているんだ⁉」

『もういいですよ、作戦は失敗で。でもね、あんたの部屋に大きな荷物が届きますから。首が2つ入った宅配便――』

 黒崎の息子は、久保田に会ったことがある。遊園地で過ごしている際に署長から呼び出しがかかり、数時間だけ代役を頼んだのだ。誠治はすっかり久保田に懐き、夕食は3人で食べた。

 久保田なら、誠治を警戒させずに攫うことができる。息子を押えれば、小百合をおびき出すこともできる。

 久保田なら、可能なのだ……。

 同時に背後で、ミサの叫び声が上がった。

「また撃墜! クロさん、何してんの⁉ あと1機だよ!」

 スマホから久保田の声。部下か誰かの報告を受けたようだ。

『え? またやられた? ――クロさん、ラストチャンスだね。あと1機になっちゃった。これも撃墜されたら、そこでゲームオーバーだよ。きっと天野警備局長からも泣きつかれたと思うけど、止められるのはクロさんだけだから』

「お前は何のためにそんなことを⁉」

『じゃあ、さようなら』

 そして画面が消えた。

 黒崎はスマホを床に叩きつけて吠えた。

「畜生!」

 ミサが壁に手をついて支えながら近づいてくる。

「どうしたの⁉ もうすぐ、最後の1機を倒せるのに! 勝てるんだよ!」

 黒崎が我に返って、ヘッドセットを被った。

「そうだな。場所は?」

「二重橋」

「桜田門の目の前か。バカにしやがって」

「今、近くに向かってるから」

 黒崎が窓を覗き込む。眼下に、群衆で埋め尽くされた宮殿前広場が見える。

 その一角には中国使節団用のステージが設けられ、数人の共産党幹部や国営企業代表が座っている。周囲は機動隊員やシークレットサービスで固められているが、吹きさらしの中で陛下のお出ましを待たされるのは〝嫌がらせ〟だともいえた。

 だが、公式には国家主席自らが申し出た参賀だと発表されているので、周囲の一般参賀客の視線は親しみをにじませて暖かいと報告されている。中国国家主席は期せずして、身を削って日中友好ムードを高めることに成功していたようだった。

 その先に、黒崎が見慣れた官庁街の風景が広がっている。

 黒崎が思わず叫んだ。

「ヘリが見えた! おい、おかしいぞ!」

 パイロットの声。

『アパッチは地面すれすれの超低空飛行をしています!』

 お堀沿いに低空飛行していたヘリがそのまま警視庁の建物を過ぎ、さらに財務省の建物との間に突入していく。

「なんだ、あの動きは⁉」

 ヘリはさらに霞ヶ関コモンゲートに突進していく。高層ビルの間を戦闘ヘリで通過するのは、曲芸に近い。

 ヘッドフォンにマリアからの通信が入る。

『クロさん! ドローンが高層ビルの間に入った! 向こうも必死よ!』

「危ない!」そして直感する。「操縦者はビルのどこかに隠れているはずだ! マリア! 周辺の高層ビルの上層階に警官隊を突入させろ!」

『今手配した! でも、ビルの間じゃフレアが撃てない!』

 黒崎はエコースマホで副総監を呼び出す。

「警視庁庁舎内からドローンを操作している可能性があります!」

『そこまで浸透しているのか⁉』

「窓際でスマホを使っている人間がいたら、確保してください!」

『分かった!』

 惨事はその直後に起きた。

 合同庁舎7号館の陰まで追ったアパッチのローターが、西館の角の外壁に触れる。途端にアパッチはきりもみ状態に陥り、胴体が合同庁舎に叩きつけられる。

 吹き出す炎とともに、破片が霞テラスに降り注いだ。

 オスプレイは、飛び散る破片がはっきり目視できるまで現場に接近していた。ゆったりと旋回しながらヘリモードへ変換していく。

 黒崎が呆然とつぶやく。

「まずい……」

 と、ビルの間から小さなドローンが飛び出すのが見えた。攻撃を警戒してか、地上スレスレを飛んでいる。

 パイロットが叫んだ。

『ドローンを目視! 連結を切ってタンク付きだけで飛行中!』

「こっちも見えた!」

 だが、その高度ではフレア攻撃は難しい。一発でも外せば2000度の高熱で地上を焼き払うことになりかねない。そもそも、周囲に攻撃ヘリは見当たらない。

 黒崎は誰にともなく叫んだ。

「一番近いヘリはどこだ⁉」

 答えたのはミサだ。

「まだ1キロほど遠く!」

「間に合わない⁉ パイロット! この機体はフレアを装備しているのか⁉」

『ありません!』

 言いながらも、パイロットはドローンを追っていた。目視できるドローンは、お堀に向けてどんどん近づいていく。

 その先には、目の前で繰り広げられた惨事とオスプレイの急速接近に見入っている群衆がいる。数は数万人に達している。宮殿前には、中国共産党幹部も待機している。その上空でサリンを撒けば、多数の死者が出ることは避けられない。

 黒崎が叫んだ。

「武器はないのか⁉」

 と、ミサが叫ぶ。

「水! ドローンをお堀に叩き込んで!」

「どうやって⁉」

 パイロットが叫ぶ。

『エンジン排気だ!』 

 旋回中だったオスプレイはいったんわずかに上昇し、ドローンの前方上空に出た。そこで機体を回してホバリング体勢に入る。お堀に差し掛かったドローンを目視しながら姿勢を微調整して、翼端のエンジンナセルから斜め下に吹き出している高熱の排気をドローンに吹き付ける。

 機体のサイズとエンジンの構造を熟知していなければ、困難な操縦だ。

 それでもパイロットはやってのけた。

 オスプレイの排気に包まれたドローンは、高熱で焼かれながらダウンウォッシュでお堀の水面に叩きつけられた。熱と水分によって、サリンも無害化されていく――。

 オスプレイはお堀の水を撒きげながら上昇し、この攻防をぼう然と見守る参列客たちを残して高度500メートルに戻っていった。

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