ACT3・東京空中戦

 天皇誕生日の一般参賀は中止されなかった。

 皇居襲撃を示す確定的な証拠は一つもない。久保田の言葉を聞いた黒崎の印象だけでは、全世界へ発信される国家行事を中止する理由にはなり得なかったのだ。

 それでも、可能な限り皇族の安全を守る対策は約束された。

 サリン攻撃の標的が皇居だとするなら、その阻止はエコーに委ねられたのだ。

 猶予は、たった1日――。

 早朝、エコー本部を2人の自衛官が訪れた。いずれも、佐々木が万が一の場合に指定していた人材だ。

「空自の桐谷2佐です」

「出羽1佐。陸自です」

 本部のあまりの貧弱さに驚きを隠せずにいた自衛官に、黒崎は言った。

「佐々木さんに代わって隊との連携をお願いする。今日1日だけで、敵の計画を見抜かなければならないんだ」

 出羽がうなずく。

「木更津の急襲現場も見ていました。機密情報にアクセスする権限も得ています」

「タメ口で結構。私はたかが所轄警察の刑事だからね」

 桐谷はニヤリと笑う。

「これまでの活躍を聞いたら、誰も〝たかが〟なんて言えないよ。しかも、佐々木3佐にここまで買われていたんだからね」

 と、背後で、警察からネット回線経由で届いていた資料の暗号解除を行ったミサが声を上げる。

「クロさん、警察から新情報!」

 時間が逼迫していることで、電子的通信が解禁されていたのだ。

 敵は公安攻撃でも客船襲撃でも狙いを果たせなかった。皇居襲撃には全力をあげてくるだろう。時間がないのも、余裕がないのも、エコーと変わりはないはずだ。ならば総力戦で叩き潰すべきだというのがエコーの総意だった。

 黒崎がテーブルについて、アイパッドを取る。警察庁警備局公安課からの緊急レポートが表示される。

 ホテルの消火器からサリンを検出したことを理由に、霊仙教団の後継団体であるタウ教会に強制捜査に入った結果報告だった。今日の未明のことだ。そこで新たに手に入れた教団記録には、過去のメンバー写真が多数含まれていた。

 それらを最新の顔認証ソフトによって解析した結果、死亡老人の1人がかつて教団に帰依していたことが判明したのだ。当然、戸籍を変えていた。

 身分詐称にも北朝鮮工作員の協力があったことが示唆されている。

 しかし黒崎の目の色を変えさせたのは、別の情報だった。

 死亡老人はかつて、千葉県九十九里浜近くにあった教団拠点のリーダーだった。そこは今に至っても買い手がつかない建物で、海岸沿いに建つ廃屋となっているという。

 黒崎は声をあげた。

「全員、警察から届いたレポートを見るように!」

 2人の自衛官にも、坂本からアイパッドとスマホが渡される。生体認証データは、すでにインプットされていた。

 レポートを読んだ武市が声を上げる。

「ああ、これ、ヤバいやつだ!」

 黒崎がうなずく。

「すぐ教団跡地を調べる」そして桐谷2佐を見る。「この近くにヘリを呼べるか⁉」

 武市が声に力を込めた。

「だからヤバいんだって! クロさんが現場に行ってどうするんだ⁉ クロさんは今、リーダーなんだ。隊長が戻るまでは、本部で全体を見ていなくちゃ」

 ミサがうなずく。

「地元警察が行っても大丈夫。警察には高解像度のウェブカメラが配られるから、ここで画像を見ながら指示して。その方が、早い」

「現場の匂いを嗅がないと――」

 武市が怒鳴る。

「そんな時間はない! ここで何も証拠がつかめなければ、負けが決まるかもしれないんだ! 立場をわきまえろ!」

 傍の自衛官たちが、その口調の強さにたじろぐ。リーダーが部下に叱責されていることが理解できないようだ。

 だが黒崎の表情は穏やかだ。

「悪かった。タケのいう通りだ。ミサ君、映像が届くまで管理を頼む」

「了解!」

 自衛官たちが顔を見合わせる。エコーでの判断基準が序列や年齢に縛られないことが実感できたのだ。誰もが発言する権利があり、適切な意見なら認められるということだ。

 自衛官の間でも下からの進言は重要視されるが、エコーのそれは明らかに軍隊とは違う。役人がつくりがちな命令系統の対極にあった。

 出羽1佐が言った。

「私にできることは?」

「地元警察だけでは心もとない。化学防護隊の腕利きを送って、途中で県警の係官を拾ってくれ。防護スーツは余分に用意してほしい。県警は私が手配して、ピックアップ地点を知らせる」

「隊に連絡します。木更津でオスプレイが待機していますから」

 本庄が加わる。

「県警との調整、僕が受け持ちます!」

 スマホで厚労省からの報告を受けていたマリアが割り込む。

「サリンの最終検査結果が出たよ! 回収した消火器のうち、サリンが入っていたのは11本。ホテルに3本、客船に8本。ダイニングルームの中にあった本物の消火器は、3本だけ。まあサリンは熱でも水でもすぐ分解されるから、スプリンクラーが回復してたなら危険は半減だけど。それでもクロさん、死ななくてよかったね」

 黒崎は首をうなだれる。

「だが、隊長を撃たせてしまった」

「最小の犠牲。だったら受け入れなくちゃ。エコーは生きてるんだから」

 コンピュータ画面に見入って素早くキーボードを操作していたミサが言った。

「公安から追加レポート! みんなに回すね」

 アイパッドに内容が表示される。

 それぞれが目に通す。

 レポートはホテル、客船襲撃犯の聴取の現状報告だった。

 犯行は教団と北朝鮮工作部の合同で行われ、中共青年団が資金を提供していたことがほぼ間違いないという。実行組織は、捜査当局がホテル襲撃の陽動に騙されてクルーズ船は無警戒だ、と判断したらしい。それでも、中国共産党に突きつけられるほど明確な証拠はまだ上がっていない。

 団派と対立している国家主席たちも、当然ながら〝暗殺計画〟は予見していなかったという。

 久保田は北朝鮮側の工作員であり、『教祖の願いが叶えられる』と言葉にしたのは教団のテロに見せかける偽装工作の一環だろうと判断されている。少なくとも、久保田自身が過去に教団と関係していたという証拠は見つかっていない。

 客船襲撃の目的は有力太子党員を一斉に〝排除〟することにあり、日本の新興宗教教団がカムフラージュに利用されたに過ぎなかったのだ。それは、国家主席自身が血の気を失った唇を震わせながら認めたそうだ。中国共産党内部での派閥争いが国家主席襲撃の背後にあったことは間違いない。

 中国は日本を呑み込もうという野望を持っていることを隠そうともしていないが、それが客船襲撃の直接の原因だとは言い切れない。共産党内部の派閥争いの要素がはるかに強いというのが公安の分析だ。内部の敵を倒して権力を握るためには、たとえ場所が他国であろうと、どれだけ自国が非難されようとも、テロを実行するのが中国や朝鮮なのだ。

 かつて、北朝鮮がラングーンで爆弾テロを引き起こしたように――

 近年、マレーシアの空港で金正男を暗殺したように――

 そして現在、世界各国で中国共産党にとって不都合な人物が次々と不審死を遂げているように――

 長い歴史を通して、それ以外の行動原理を持てなかったのが彼らの〝国〟なのだ。

 事態収拾に向けた秘密会議には日本の総理も同席し、中国使節団と腹を割った情報交換を行った。団派が北部戦区――旧瀋陽軍区の軍人たちと手を組んだに違いないという言質も取れたという。国家首席は瀋陽軍区の幹部を太子党にすげ替えたが、北朝鮮と強い利権で結ばれていた軍人たちの間には凄まじい怨念が渦巻いていたのだ。

 国家主席たちは日本を非難することも可能だったが、それは日中間の対立を先鋭化させて経済を落ち込ませ、自身の立場をさらに弱めることにしかならない。

 しかも官房長官は『鎮圧時に撮影された襲撃風景が漏れ出ないように力を尽くす』とことさらに強調したという。それは、いざとなれば無様にうろたえた国家主席の醜態を世界に晒すこともできるのだ――という脅しに他ならない。ディズニーキャラクターのノロマなロバ「イーヨー」の隠語で呼ばれていた国家主席は、これ以上弱々しい姿を中国の民衆に晒すことはできない。

 中華人民共和国国家主席は数時間のうちに、暗殺を未然に防いだ日本国に対して最大級の感謝と賛辞を送る手はずになったという。そして、陰で糸を引いていた軍人たちを徹底的に駆り出し、処分することを約束した。それが中国人にありがちな空約束であっても、国家主席自身が己の生命を守るためには実行せざるを得ないだろう。

 もはや中国の国家主席は、日本に逆らうことはできなくなったのだ。

 しかし皇室に対するテロを許してしまえば、全てが無駄に終わりかねない。

 本庄の元に国交省からの報告が届く。

 農業用ドローンに関する詳細なデータと取引記録を精査させていたのだ。通常の役所では考えられないスピードで報告が返ってきていた。

「ドローンの詳細、届きました! 農薬散布用で不審な購入記録は9台。前回報告があった10機のうち、1機は無害だと確認されました。どれも薬剤積載容量は15リットル以上――。まずい、全部ハイブリッドじゃないか!」

 黒崎が問う。

「何が違う?」

「バッテリーだけじゃなくて、ガソリンエンジンがメインです。最大積載量での飛行時間は1時間を超えます。飛べる高さは……データによれば50メートルほどですが、ソフト内のリミッターを外せれば200メートルは超えるでしょうね。操作可能範囲は1キロ以内。最大飛行速度は秒速15メートル以下。みなさんにデータ送ります」

 マリアがつぶやく。

「でも、コントロールできるのが1キロ以内なら簡単に潰せそうね……」そして黒崎を見る。「その範囲をローラー作戦でドローンが隠されていないか一斉に調べれば?」

 黒崎がモニターから目を離す。

「中国使節団への襲撃がいい理由になる。警察、消防に皇居周辺の建物を捜索させよう。同時に当日は交通規制強化で皇居には車で近づけなくする。手配は私がする。ドローンが隠されていないかをメインに調べるが、しかし個人の住居にはもちろん入れないぞ」

 データを見たミサが言った。

「これって、最大積載時の仕様でしょう? サリンの量を減らせばもっと素早く飛べるんじゃない?」

 武市が考え込む。

「でもそれじゃ、多くの参列者は狙えない。皇室への打撃にもならないんじゃ?」

 黒崎が応える。

「そもそも皇族は建物の中だ。テロには充分な備えをしている。ターゲットは最初から参列者のはずだが――」

 出羽1佐が声をあげた。

「あ!」

「何か?」

「ドローンは9台あるんだよね。その数で群衆の外周を包囲したらどうなる?」

 武市がうめく。

「ドローンでの薬剤散布は目立つ。機体そのものも大きいし、音もうるさいからね。薬剤散布の下でバタバタ人が倒れていけば、毒だとすぐに分かる。さほど多くの人が倒れなくても、群衆はパニックを起こして中心に向かってなだれこむ。その先が長和殿なら……」

 マリアがつぶやく。

「群衆を救うために宮殿を解放すれば、皇室を直接狙うテロも可能になるかも……」

「解放しなければ、参列者を見殺しにしたことになる。皇室の権威も失墜しかねない……」

 黒崎が言った。

「だからわざわざ目立つドローンを選んだのか……」

 マリアは首を傾げる。

「でも操作できるのは1キロ程度でしょう? 休日は元から皇居周辺の人口は減るし、2キロぐらいの幅でドーナツ状に無人にしちゃえば襲いようがないんじゃないの?」

「休日の観光地を完全に無人化するのは不可能だ。しかも参列者は道路に行列を作るぞ」

「順路を厳しく規制すれば、なんとか――」

 本庄から回されたデータを見て考え込んでいたミサが割り込む。

「でも、別のドローンも買われてるみたいだよ。ほら、この『圃場監視用』ってやつ」

 そこには写真も添付されていた。飛行機を主翼だけにしたような形のドローンで、広い圃場の農作物の生育や健康状態を上空から俯瞰して調べるためのカメラやセンサーが取り付けられている。100メートル以上の高度を30分以上は飛行できる。

「でも、こいつは荷物は詰めない。それはメーカーにも確認した。無理して重いものを取り付ければ、離陸さえできないってことだ。こんなんじゃサリンは撒けないだろう?」

「だけど、これで薬剤散布用のドローンを引っ張れるんじゃない?」

「あ……それなら、確かに速度も行動範囲も広がるな……」

「散布用は浮いてるだけなら消費電力も少なくなるし、目的地上空で連結を外せばサリンは撒けるし」

 黒崎の表情が厳しく変わる。

「可能か?」

 ミサがうなずく。

「できるかもしれない。だけど、2台のドローンを同調させるのはけっこう難しいよ。双方のプログラムに手を加えたり、できればバッテリーの容量を強化したりしないと。それができるなら、速度も高度もかなり自由に変えられると思う。ただし、何度も実験を繰り返さないと、実用にはならない。操作を簡略化するのも大変よね――」

 黒崎が不意に叫んだ。

「農機具メーカーの社員が殺されてる!」

 立て続けの殺された老人の中には、元農機具メーカーの技術者が含まれていたのだ。

 それに気づいた武市がテーブルに散らかったファイルを探し始める。

「今、出すから!」

 黒崎がエコースマホを取る。すでに公安直通の回線が設けられ、電話の先には多数の情報収集関連の警官たちが待機している。

「大至急調べていただきたい! 元農機具メーカー社員だった男の、ここ1ヶ月の行動記録だ。どこか広い農地がある場所に出かけていないか⁉」

 スピーカーから小さな声が漏れる。

『少々お待ちください』

 ファイルを見つけた武市が声を上げる。

「やっぱり! 関浩文、開発部門にいました。自動化プログラムの専門家です!」

 黒崎がスマホに言った。

「関浩文だ」

 と、すぐにスマホから声が返る。

『ありました! 移動記録もあります。2週間ほど前に北海道に旅行に行っていますね。聴取した老人たちが、北海道の土産だというチョコレートを渡されています。1時間ほどいただければ、さらに詳しい報告を提出します』

 本庄が言った。

「それ、国交省でも調べます。航空機、列車、バス、全ての業者から情報を出させますから!」

 そしてスマホを出し、手配を始める。

 黒崎がスマホに命じる。

「こいつの政治的背景も掘り下げてくれ。完璧な報告よりも、素早さが優先だ。何か引っかかる情報が出てきたら、考える前に私に知らせろ」

『了解しました』そして不意に電話口から押し殺した叫びがもれる。『え⁉』

「なんだ⁉ どうした?」

『今、メモが回ってきました。佐々木さんが息を引きとられました』

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