第9話 その輝きを引き裂いて
-1-
だが今は大いに笑う。盗みに夢中になってしまい、今は終電も終わった深夜だ。周りに人ひとりもいない。帰りの手段など特に考えず、今はただ今日の成果に喜び狂うだけだった。真夜中の夜道、街灯が寂しく照らすその帰路で、洋子は口角を吊り上げてケラケラと笑って歩く。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ、全部!
洋子はバッと自らの影へ振り向き、その影に潜む双眸を見遣った。影の中に、うっとりとした表情の洋子の姿───否、形を持った夜影が、
「あはははははは…!ひひ……ひひひ…あー、可笑しい!!なんて素敵な!素晴らしいチカラ!この力さえあれば、欲しいものをなんでも手に出来る!!何も恐れない!私の、最高の影!!!」
洋子は初めて夜影を発現させてから最早何度も口にした、自己を肯定する賛美の言葉を吐いて笑い転げる。
するとそこに────。
洋子の笑いに重なるように響く足音。態とらしいほどに鳴る重厚感のあるそれは、洋子の背後でピタリと止まった。
「おいおい、なんだよ。夜影に憑かれたヤツの成れの果てって感じかぁ?嫌だね全く。××××みたいに笑いやがってよぉ」
-2-
夜重子は手に持ったナイフをクルクルと弄びつつ、傷の刻まれた頬を歪ませて笑っていた。
「だ、誰……?」
狂笑をぴたと止め、今の今まで紅潮していた洋子の顔はみるみるうちに青ざめていく。
「こんばんは、手クセの悪いお姉さん!
言うが否や、夜重子はナイフを逆手に持ち、洋子の頭上高くからその顔面目掛けて振り下ろした。
「ッ!!?」
洋子は瞬きひとつ、身動きひとつする間も無く立ち竦んだまま、自らに振り下ろされる瞬速の一撃を見詰めているしか出来なかった。時の流れがゆっくりに感じる。目に見えない程の速さの筈なのに、自分が死ぬまでのコンマ数秒が永遠のスローモーションのように感じる。これは走馬灯というものだろうか?
ナイフの切先が、洋子の眼前に辿り着く
その瞬間───
激しい金属音が鳴った。
ハッと気付くと目の前には黒いモノ。それが、洋子への絶命の一撃を防いでいた。洋子の背後から伸びていたのは大きな影───否、それは巨大な両の腕の形をしていた。手首から前腕にかけて、幾重にも綺羅びやかな腕飾りが掛けてあり、その
その影の手は洋子の顔を覆うように手を組み、その指輪で、眼前の高身長の女からのナイフを防いでいた。
ぎち、とナイフと宝石の鍔迫り合う音。夜重子の膂力から成る重撃と綺羅めく鉱石の剛堅に耐え切れず、夜重子の握るナイフの刀身は砕け散った。
「ほぉ…!」
夜重子は感嘆の声を漏らして、一歩、二歩と後方へ飛び退く。
洋子の背後から伸びていた飾りだらけの影は、一瞬のたうったかと思うと、みるみるうちに高く立体的に伸び上がり、その全貌を現した。
それは菅田 洋子自身の
スパンコール塗れで豪奢なドレス。
全身にまんべんなくあしらい、幾重にも幾重にも重ねられた、あらゆる宝石の虹色が光る、指輪やネックレス、イヤリング等のアクセサリー。
そして、足元を埋め尽くすように散らばるバッグやポーチ類。
彼女のどこまでも果てしない欲望を纏った影が、その場に立っていた。全体の大きさは洋子自身の2倍ほどもあろうか。夜影のサイズに合わせるように肥大化した腕飾りや指輪を静かに揺らし、まるで夜重子を威嚇しているようだった。
「はっはははぁ!!シュミ
俄にテンションを上げる夜重子。その目は珍しい昆虫を発見した少年のそれに似ていた。
マレビトの、夜影の進化形───いつもの手合いを夜影の蛹とするなら、これは夜影とマレビトが融合して変態した成虫というべきか。
夜重子は両手をポケットに突っ込み、何本ものナイフを掴み上げる。
「いっひひひひひはははははははぁ!!
さぁ、やろうぜぇ!!」
奇矯の笑いを上げて一瞬、夜重子は姿勢を低くしたかと思うとその場からまるで消え去るような俊足で洋子に飛び掛かった。
「今からお前を殺す!殺すのは口裂け女の代行者!!バケモノを倒した口裂け女が在れば、更に口裂け女が素晴らしく、恐ろしいものになる!!!」
-3-
拳に握り込んだ幾つものナイフを振り
撃つ。
引く。
取り出す。
撃つ。
その繰り返し。
「ひひひひ、おいどうしたよォ!そんなでかい
「ヒッ…!!」
夜重子の「殺す」という言葉にし、イヤイヤと
すると夜影が、洋子の動きに呼応するかのように彼女と同様バッと
「おっと」
顔面への直撃をナイフでいなしながら、夜重子は夜影に抱き締められるように立つ洋子を見遣った。
その目の前の光景をただ見ているしかない洋子は、噛み合わない歯を鳴らしながら、自らの背後に立つ影のドレスを後ろ手に掴んで震えていた。
「おい女ぁ!自分の影が必死に戦ってくれてんのに下向くしか出来ねぇのかぁ!?惨めにならねぇかぁぁああ????」
「そんな……!私、知らない、こんなの!なんで私が殺されなきゃならないのよ……!何も悪い事してないじゃない!!」
瞬間、洋子の瞳がきらりと光る。その目には夜重子の右手、高く振り翳された幾本ものナイフ。街灯に照らされて銀色に輝いている。
私の───命を奪うモノ。
あれさえ、あれさえなければ!!!!!
「それを渡せぇえぇぇぇえええ!!!!」
その叫びが終わった時には既に、
「あれ?」
夜重子の頓狂な声が上がる。夜重子の手からはナイフが消え去っていた。その代わりに洋子の足元、バッグやポーチに埋もれて数本のナイフが輝いている。
「オイオイ、何しやがった」
夜重子は呟き距離を取る。
───数秒の間。洋子は両手を前に掲げ、決死の表情で夜重子を睨みつけていた。
夜重子は試しとばかりに左手に持ったナイフを目の前でゆらゆらと揺らしてみる。すると次の瞬間、それはなんの前触れもなく消えた。かと思うと、遠くでカツンと音がした。洋子の足元に落ちたのである。
「なるほど、光モノなら何でもアリかよ」
夜重子は呆れた声で呟く。
「んじゃあさ、こういうのもダメってワケ?」
両腕をだらりと下げ、袖をぶらぶらと振る夜重子。その袖の中から、カッターやハサミ、千枚通しがガチャガチャと落ちていく。そして落ちた瞬間には、それらは洋子の足元に移り過ぎていく。
「し、死にたくない……」
両手を前にしたまま、洋子が呟く。その目は涙に濡れ、眉間には深く深く皺が刻み込まれていた。憤怒と恐怖と哀願と憎悪と、様々な感情が入り混じった顔で、強く強く夜重子を見ていた。
最早自分の手でも、夜影の手でも、触れる事なくその輝きを奪い去る事が出来るようになった洋子は、刃物を使用する夜重子に対しては、ほぼ
夜重子は深く溜め息を
「しょ〜〜〜がねぇなぁ……。あんま出したくないんだけどさぁ…シュミじゃねぇし…」
夜重子はすっと屈み込むと地面のアスファルト───否、自らの影に手を当てた。
ひたひたと指で影を
そして、ズルリと
立ち上がった夜重子の手には黒い刀身の、大型のナタのようなものがあった。
「あ…あ……!」
驚く洋子。咄嗟に両手に力を込めるも、夜重子の手からソレは消えなかった。
「あー、無駄だよ。これは『影』だからな」
声を
「まぁ、誰にも言うなよ?アタシもオマエみたいに成長してるって。バレたらまた面倒だからさ」
ニッコリと目を弓形に歪ませ、夜重子は小声で笑い掛ける。そう、彼女もまた、夜影の覚醒を既に遂げていたのであった。
影の武器の召喚───影に潜るだけが彼女の能力の筈だったが、いつしかそんな能力をも得ていたのだ。
「これねぇ、あんま細かいトコ切りづらいから、好きじゃねぇんだよね…ッと!!」
その言葉を言い終わらないうちに大ぶりの漆黒のナタを持って走り出す夜重子。
「イヤッ…嫌ッ!!来ないでぇ!!!!!」
再び髪を振り乱す洋子とその夜影。また、あの攻防が繰り返されると思われた───が、
「おい、こっち見ろ」
夜重子が彼女に声を掛ける。今の今まで言葉尻に滲み出ていた邪悪さを微塵も感じさせないスッと耳に入るような声。
洋子は顔を上げた。
顔を、上げてしまった。
夜重子は振り回される髪飾りの猛襲を抜け、その紙一重の一瞬を見逃さなかった。ぐいとマフラーをずり下げる。
「…!!!!く…口裂け…!!」
眼前に一瞬映った、口の裂けた恐ろしい女の顔。洋子の顔は恐怖に引き攣った。
夜影の動きがピタリと止まる。洋子と夜影の動きは連動している。その隙を突いた。
マレビトの、夜影の一瞬の隙を見出したのだ。
夜重子はマレビトを守るその巨大な腕を掻い潜り、その目の前に立った。そして耳元に口を近づけ、
「だからさっきも言ったろう!?お前を殺すのは口裂け女の代行者だ!さぁあ、怖いかぁ!?」
そう告げたかと思うと手に持った影ナタを大きく振りかぶり、前に突き出した洋子の両腕に向かって振り下ろした。
ばづんと肉と骨の断ち切れる音がする。
数瞬の間を置いて、高いアーチを描きながら噴き出す血潮。
「ぎゃあああああああああああぁぁぁああああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!これで腕輪も指輪もいらなくなったなぁ!!」
夜重子の嘲りの笑い声が響き、その背後でガシャガシャと音がする。夜影は洋子とその形を連動するように、肘から先が消え去り、飾るべき対象を失ったアクセサリーが地にばら撒かれたのだ。
「あ……ああ…私の…!私の輝きが……!もっと綺麗に…美しくならなきゃいけないのにッ……!!」
痛みさえも忘れているのか、洋子は既に
いっそ哀れにさえ思える洋子のその様子を、夜重子はニヤついた顔でしばらく眺めた後、片膝を付いて彼女に視線を合わせる。
そして裂けた口でこう告げた。
「そんなモンで綺麗になろうとすんなよ。オマエは充分綺麗だぜ?イイ顔を持ってる。あとは、ほんの少しアタシがメイクをしてやれば更に良くなる……遠慮するなよ?」
「え…?」
ずむと洋子の顔にナタが押し付けられる。
夜重子はその口に漏れる哄笑を伴にしながら手に持つナタに力を込めた。
夜重子は立ち上がる。そして血に塗れたナタを放り、自らの影に戻した。
足元に無残に転がっているのは、金銀宝石に囲まれてニッコリと笑う哀れな口の裂けた女の死体だけだった。
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