第7話 その輝きをトメないで

   -1- 


『菅田洋子の力に変化があった。彼女の影が明確に意志を持ち、本来その力ではあり得ない箇所にまで影響を及ぼし始めた。これは今までにごく数例しか見られないレアなケースである。抹消の際には充分注意されたし』


 スマートフォンに送られたメールを見ながら、

夜重子はポリポリと左頬の傷を掻いた。


「ふ〜〜〜〜〜ん」


 まるで今降っている雨のように気怠い、溜め息とも関心ともつかない声が出る。

 

 1DKの一室、やや広めの洋間でスマートフォンの画面だけが煌々と光を放っている。彼女は寝そべっていたソファからゆっくりと起き上がり、なんとも呑気な伸びをした。

 スマートフォンのスイッチを切る。カチリと音がして画面は沈黙した。カーテンを閉め切り、黒いテープで目貼りされた窓は一切の光を漏らし入れる事は無く、部屋の中は雨の日とはいえ真昼間だというのに、闇夜の様相を呈していた。

 シトシト降る雨音と田舎特有のまばらな車の駆動音のみが、夜重子の耳に遠く聞こえる。


「んま、取り敢えず下見でもしますかネ」


 夜重子は癖になっている左頬を掻く仕草をしながら赤いマフラーを首に巻き、玄関へと向かった。玄関脇の傘立てから大きい真っ黒な雨傘を引っ張り出すと、そのまま扉を開ける。部屋から廊下へ出ると、彼女はドアノブをパッと離し、その重量に任せるまま扉を閉めた。はげかけた304の部屋番号が廊下に入り込む横雨に晒されて鈍く光っていた。

 苔むし、朽ちかけた廊下を歩き、雨に濡れた階段をゆっくりと歩いていく。


 廃マンションの門を出て、傘を開いた夜重子は目の前に立つ人影に気付いた。


「本日、決行されるので?」


 夜重子の物と似た黒い傘を片手に持ち、ひっそりと立つ濃紺のスーツ姿の男性は静かに尋ねた。


なァに?まだなんか用あんのかよ。メールなら見たぜ?」


 夜重子は肩をすくめ、やれやれと嘆息した。


「いえ。たまたま近くを通ったもので、ご挨拶をと思いまして」


「こんなクソ田舎の廃れたマンションを通りかかるヤツがいるかよ。肝試しにでも来たのか?ナントカさんや」


「ヤマダ、と申します。今一度お見知り置きを」


 夜重子の軽口に付き合わず、ヤマダと名乗る男はゆっくりと頭を下げた。


「だから、ウソなんだろ。そのオナマエもよぉ。

アタシはホントの名前で呼びたいナァ〜。

 それと、ご挨拶ってのもウソじゃんか。所詮、早く仕事しろって急かしに来たんだろォ?

ホント『ウソ』だらけだねアンタ。ダセェグラサンなんかかけちゃってさ、ホントのお目目を見せてごらんよ。それとも、お目目に自信がないのかナ?

 それに、髪をぴっちり七三に固めてんのもウソだ。ホントは癖毛でゴワッゴワなんだろう?隠しきれてないゼェ?」


ゲラゲラと笑いながら男を指差し目を細める口裂け女。


「だけどな知ってるか、短所は長所になるんだぜ?アタシみたいに自信持ってチャームポイントはちゃあんと見せびらかさなきゃ」


 乱れたボサボサ髪をかき上げ、マフラーをずり下げる。頬の傷を撫でつつキチキチと歯を鳴らして笑う夜重子の目には、他者を困らせ甚振ろうとする嗜虐の光が漏れていた。


「貴方とて、外出の時は普段、その赤いマフラーで口元を隠しているでしょう?それは貴方が口裂け女である事を隠したがってるということでは?」


 ヤマダ、という偽名の男は彼女の態度が少し気に障ったのかサングラスを少し上げ直し、表情を変えないままそう言葉を返した。


「アタシは隠すのに目的あったからさぁ、一番効果的にこの傷見せるタイミングってやつ?それさえなきゃ見せびらかして歩くんだけど。

それにコレ、愛しのダーリンがくれたプレゼントだからさぁ、肌身離さず身につけておくのが礼儀ってモンじゃん」


夜重子はまたも喧しく笑いながら、赤いマフラーを優しくなぞる。


 そんな彼女を見て男は、何を言っても無駄かとばかりに嘆息した。そしてしばしの沈黙の後、再び口を開く。


「メールでもありました通り、今回の一件は少し状況が変わりまして、やや特殊なものになっています。

 端的に言えば新たな力の発現、能力が成長したとも言えましょう。具体的には、標的は本来ならあり得ない箇所───自分の影が覆う場所に能力を発揮したのではなく、ガラス張りに触れた指先から自らの虚像を作り出し、ガラスに映るもうひとりの自分を映し出したのです。そこに映った彼女の影は歪に笑っておりました。これが夜影というと我々は捉えております。その場合、貴方が標的を狩る際にどのように抵抗するか、やや不明瞭な事になります。

 ですので努々ゆめゆめ、油断ならさぬようにと御忠告に参った次第です」


 ここまで濃紺スーツの男はやや早口気味に語った。そしてまた口を固くへの字に曲げ、サッと一礼したのち、その場を去っていった。


「ハハッ!可愛かぁーわいい」


 夜重子はケラケラと笑い、傘を軽く回しながら、雨の田舎道を上機嫌に歩き出した。



   -2-


 菅田かんだ洋子ようこが光り輝くガラスに自分を見たあの日、彼女にはもう一つの出会いがあった。

ひとりの男が、洋子の前に突然現れたのだ。


「やぁ、やっと見つけた。探しましたよ?菅田洋子さん。その力を開花させたようですね?

おめでとう‼︎喜ばしい事です!」


山高帽を被った紳士風の背の高い痩せ型の男は、人当たりの良さそうな笑顔で両手を広げ、そう宣った。

 唐突にぶつけられた自らを指し示すその言葉に、洋子は凍り付く。


(この人、私の犯罪ちからを知っているの⁉︎)


咄嗟に身構える洋子に対し、男はにこやかな表情を崩さぬままこう続けた。


「恐れる必要はありませんよ。私は謂わば貴方の味方、同類の力を持っています。力、というのが何のことかは言わずとも解る筈です」


男は依然として笑顔のまま、ゆっくりと洋子に近づいて来る。敵意を感じない友好的な声音であるが、洋子の心臓はその激しい拍動を抑え切れない。


「はぁっ…!はっ!はっ……!!」


ドクンドクンと脈打つ胸を鎮めようとするも、息が乱れ思考もどんどん薄くなっていく。胸がギュウと痛みを訴える。

 洋子は無意識のうちにポケットに手を入れ、その中にを探した。

しかし───────。


(無い⁉︎なんで‼︎?家に忘れて来ちゃった??!)


いつもは持ち歩いてるはずの心臓の薬を、運悪く今日は忘れてしまったようである。

すると目の前の男は目を細め、


「お探しはコチラで?」


スッと右手を差し出した。その手には小さな茶色の和紙製の小袋があった。


「はっ!はっ!な…なんで…これを…⁉︎」


浅く息を乱して洋子は驚愕の表情を浮かべる。


「いや、私もたまたま同じものを飲んでいたみたいでしたね。大丈夫、これは特別製ですからよく効きますよ」


そんな訳がない!そんなたまたま同じ薬を持ってる訳が───!

そう思いつつも息が苦しく思考がまとまらない洋子はその小袋をひったくるように取り、夢中のうちに中の顆粒を口へ流し込んだ。


「……………」


スーッと息が楽になる。それと同時に、どうしたことか頭の中もクリアに澄んでいく気がしてきた。


「いやぁ、良かった!ラクになったようですね!」


男は手を叩き、今にも飛び上がらんほど喜びの声を上げる。


「なんでこの薬───────」


と言い掛けて洋子の口がピタリと止まる。


どうでもいいじゃないか。何故この男が私のを持ってるかなんて。



気分が良い。目の奥が冷えて気持ちが良くなってくる。私の持ってる薬とは少し何か違う気がするけど、


「効いたようですね、素晴らしい薬効でしょう?

その薬………。ふふふふふふ、もう貴方の力を阻めるものは何も無い。その力を好きに使っていいのです!

……ではこれで。貴方のご活躍、楽しみにしていますよ」


男は小さく手を振り、くるり身体を翻したかと思うと、ふっとその場から消え去った。



   -3-


 このチカラは止まらない──────。

私は望む、光る宝石を、美しく輝く黄金や白銀を。

望むままに、私は欲しいと思ったそれらを手に入れ続けた。


 影は私のに映っただけで物を盗めるようになっていた。


 あれから、私の目の前に影が立つようになった。私の顔をした、だけど私じゃない影。初めて目にした時はもう1人の自分が立っている事に恐ろしさを覚えたが、今ではむしろ感謝している。この大きな力に。

 

 それは私にしか見えていないらしく、誰にも気付かれずに、私の欲望に反応して輝く金品に手を伸ばす。

 なんと素晴らしい事なんだろう。もうバレないように自分の場所を気にしたり、コソコソとしたりする必要もないんだ!


 ───もう、この欲望チカラはとめられない。

 

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