第6話 その輝きにトキめいて

   -1-


 とある場所に1つの廃マンションがあった。その5階建て2棟のマンションは交通の不便な田舎の田園に囲まれており、かつて不可解な自殺や事件が多く発生した曰く付きである。

 当然のように住人達は住み着かなくなり、事故物件として取り壊し予定という事になっていたが、何故か未だ取り壊されずにポツンと取り残された廃墟となっていた。

 近辺では黒い噂が絶えず、マンションの一室では幽霊が出る怪談話や、国がとある目的で取り壊さないという陰謀論などの格好のネタになっていた。


 無論、住人はとうの昔に退去しておりマンション内には誰ひとりとしていない───はずだった。


 マンションの3階 304号室。朽ち掛けたそのドアを叩く男がいた。男は見た目30代半ばで濃紺のスーツに身を包み、短い黒い髪をジェルでピッタリと七三に固めていた。陰気そうにへの字に曲げた口元は自らの無口さを雄弁に語っており、夜中だというのにサングラスをしているその目元は、歳の割に多くなってきた小皺を隠していた。


「御役目に御座います」


 男は返事の返らないドアに向かい一言発した。


「場所は隣県の北、花真はなま町。

 罪は窃盗、力の発現は、調査によれば遡れば3ヶ月ほど前から。被害は依然として続いております。死人は出ておりませぬ故、発覚と調査に時間を要しましたが、現在に於いては、人物の特定は出来ております。迅速な処分を要請致します」


 低い声で、つらつらと頭の中の報告書を読み上げるように述べる。

 ドアの向こうからは相変わらず何も反応はない。

 しかしスーツの男は、沈黙は肯定として捉えているのか、いつもの通りと言わんばかりにゆっくりと頭を下げ、そのまま闇の中に消えていった。



   -2-


 

 菅田かんだ 洋子ようこは懊悩していた───。


(また……、またやってしまった………)


 薄暗い安アパートの一室でワナワナと震える自らの身体を抱きしめる。俯いた視線の先には自分の影。


 その中に輝く、溢れんばかりの金品。


 指輪やネックレス、ブレスレットなどの金銭的価値のありそうなアクセサリーが次々と影の中に浮かび上がってきた。「そんなつもりじゃなかったのに」と口唇が震える。

 少しだけ、いいなと思った。ただそれだけでが手元にある。自分の影を覗けば、そこに。

 美しいアクセサリーが、

 高いブランドバッグが、

 羨ましいと思ってた洋服が、全部。

 なんの対価も払わずに、私の手元にある。


 恐ろしい事だった。夢ではない。現にそこから無くなって、ここに有ってしまっているのだから。

 疑われた事はない。私自身が持っていた訳じゃないから。ポケットを探したって、バッグをひっくり返したって、無くなったものがそこに有る訳じゃない。影が、私の影が私の欲しいと思った物を吸い取っていく。

 私の影がそれに重なった瞬間、私の意思に関係なく盗ってしまうのだ。


 欲しい物が手に入る。影を重ねるだけで盗み取れる。盗んだ物は影の中、誰にも見つかりはしない。

 そんな不思議で恐ろしい力に自分で気付いたのは3ヶ月くらい前だっただろうか。初めは同僚の婚約指輪だった。別に友達でもなんでもない、ただ同じ職場であるという関係の。夕暮れの職場の出口で何人かで集まって話をしている時に、そのそばをふと通りかかっただけだった。指に付けているキラキラとした指輪が、可愛いな、キレイだなと一瞬目に映っただけ。そして家に帰ったら私の足元に落ちていた。次の日職場は大騒ぎになっていたが、私が疑われる事はなかった。

 それからも度々、同じような事が起こった。私が欲しいと思って通り掛かればそれが足元にある。決まって私の影がその物品を通った時に。自分でも試してみた事があった。でもその時は何度やっても上手くいかない。多分、自分の物になったから、欲しいと強くは思っていなかったからだろうと、今になっては、そう感じている。

 

「強欲………なのかな、私って」


 昔から、キレイに光るものが好きだった。オシャレでキラびやかなものが好きだった。家はそんな欲望を満たせるほどに裕福じゃない。むしろ両親が必死に働いて、自分もバイトで働いて、そしてお金を貯めに貯めてやっと大学に入れた。社会人の今だって、安い月給で毎日の食費を切り詰めていかないといけないくらいには余裕がない。

それに昔から体が弱く、薬無しでは生きていられない。赤ん坊の頃に、心臓の病気に罹ったのだと、母が教えてくれた。その為にそれなりに高い薬を、私は子供の頃から飲んでいる。

 ブランド品や宝石なんて夢のまた夢なのだ。そんな自分が正当な手段では決してない不思議なチカラで両手に余るほど輝きを手にしてしまった。


 これは

  

    喜ぶべきだろうか。


 いやそんな事は許されない。

 

    何故?


 それは窃盗だからだ。


    だから?何が悪い?バレないのに。


 ……………そうかもしれない?そうかもしれない!悪い事なのは解っているのに、悪いとは思わない。


 

 ちょっと待って私は一体何を考えているんだ????


 今日何度目かの吐き気が襲う。私は洗面台に走り、嘔吐えづく。苦しい。気持ち悪い。なんで?なんで私は気持ち悪いんだ?理由が段々と解らなくなる。

 


 ああもう出掛ける時間か。出掛ける前にちょっと調べものをしよう。



   -3-


 洋子は歩いていた。いつもと違う道、いつもと違う街通りを。上品な御婦人が行き交うその通りに、お目当てのジュエリーショップが見えた。出掛ける前に場所と品揃えを調べた店だ。


 店の外から見えるディスプレイ用のショーウインドウに並ぶ煌びやかな宝石をあしらったアクセサリーたち。


 その中のひとつに目が留まる。小洒落たディスプレイスタンドのマネキンの首に掛かった、眩いばかりの綺麗な、キレイなネックレス。


「欲しい」


 ガラス張りのそれをじっと見つめて思わず口に出たその言葉は、今までの自分のものとは違う、羨望じゃなく、嫉妬じゃなく、ただひたすらの『それを手に入れる』という純粋な欲望だった。


 彼女の耳にざわざわと欲望の足音が聞こえる。しかし、ショーウィンドウはディスプレイとして飾られているだけあって強烈な光がほぼ真上から浴びせられている。無論、真横から見ているだけの彼女の影が、ガラス張りの向こうのそれに覆いかぶさる事はない。

 いつもの彼女の能力で盗み取る事はできない状況だ。



 でも。


 でも、でも、でも!!!!


 欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい


 欲しい!!!!!!


 無理だと解って尚、彼女の欲望は留まる事を知らず、倍々に燃え上がり膨れ上がるばかりだ。


 その時だった。


 キン─────と頭に響く何かの音がした。

 それは何かが割れるような、何かにヒビが入るような、しかし物理的ではない、頭の中でのみ発生する音。


「ッ⁉︎!!」


 ふらとショーウィンドウに手をつく洋子。ついた指先の影が薄らと浮かぶ。瞬間、その影から連なるように、自分自身の苦痛に歪む顔がハッキリとガラスに浮かび上がったのだ。


(あ────!!)


 彼女は気付いた。ガラスに映る自分がニヤと目を細め、笑った事に。

 あり得ない事が連続して起こる。洋子の脳の処理が追いつく間もなく、彼女は次の光景にまたしても驚愕する事になる。

 その影の目線は自らの首元におもむろに手を伸ばし、洋子自身の目に映っている筈のネックレスを掴み取ったのだ。


「ああ、ああ……」


 息を飲む、と同時に呼吸が乱れる。はっはっと小刻みな呼吸を繰り返しながら辺りを見回す。周囲の人通りは自分のことなど意に介さず、その流れを留める事なく流れ続けていた。


 スッと呼吸が楽になる。


(何も、誰にも見られていない。

 今ここであったのは、私が羨ましそうにネックレスを見ていただけ。そうだ、このまま通り過ぎればいい。

 ネックレスが無くなったからってガラスも割れていないのに私が疑われる訳がない。ただの店員の飾り忘れ。意味のないマネキンが置いてあるだけ)


 洋子はそれ以上何も考えず、ゆったりとした足取りでその場から歩き出した。


 彼女の通った後を、ひとりの男が見つめていた。黒髪を七三に分けた、スーツ姿の男。彼はサングラスを少しずらし、手元のメモに何やら書き込んた。


 その目元にまた小さな小皺を増やしながら。

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