第3話 夜影 前編『影縫い』

 元連続殺人鬼──三神 夜重子みかみ やえこは夜道を歩く。

その長身に影を纏いながら。

隠したその口元に猟奇の笑みを零しながら。



   -1-


 「おいテメェ!今オレらになんか文句つけたかぁ⁉︎ああ?」


人気のない街の片隅でたむろしていた半グレの男女が、1人のサラリーマンを囲んでいた。

真夏の深夜2時の事である。

サラリーマンはくたびれたスーツ姿の、いかにも深夜残業を終えてくたくたに萎びた肩を震わせ、涙混じりの鼻声でブツブツと謝罪を繰り返していた。


「スイマセン…ち、違うんです…、そのっ!ぼ、僕は何も、いえ、あの…スイマセ…ン。ただ…今は夜中だから、少し…し、静かにしたらって……ひっ!」


「ああァ?!?」


1人の半グレの男が汚いプリン頭の金髪を振り乱し、男に掴みかかる。


「オッサン、気持ち悪ぃんだよ!ボソボソボソボソ喋ってよォ!!うるさくしちゃダメなのかよ⁉︎誰も文句言ってねぇだろうが!この国は民主主義だぞ、大多数に従えよオラァ!!!!!!!!」


いかにも頭の悪い言葉のつぶてを唾と共に吐き散らしながら、金髪はヒートアップする。


「ちょーっとちょっと、ツネちゃん、慌てすぎ。おじさん、ゴメンねェ。コイツキレると何すっかわかんないからさぁ〜。

ネ、ここは俺たちが宥めとくから、さ、何するかおじさんの方は解るよね?」


隣のロン毛の巨体の男がねっとりとした声で、男の肩を叩き、ニッと笑う。その口内は黒茶けた歯が隙間だらけで不恰好に並んでいた。


「ひっ、な、なにを………」


「何って決まってんだろォが!!土下座して金だよ!最低でも1人3万は出せやァ!」荒れ狂う金髪。


2人の側で爪をいじっていた鳥顔の女も横から口を挟む。


「ウチらさぁ、イツキさんと知り合いなんだよね。知ってるでしょ、ヤクザの。縊鬼いつき組。

あんまナメてっと……ヤバいよ?おっさん」


「い、いいいいつき…ぐみ…!!」


関東にその名を知らぬ者はいない広域暴力団の名前を出され、男の全身は更に硬直した。


ドクンドクンと心臓が早鐘を打ち、その顔を大量の汗が滴る。夏の暑さなど関係ない程に。

すでにその目はプライドの捨て場であるコンクリートの地面を見つめ、脳内では間もなく手放す大金を差し引いての今月の切り詰め方を計算し始めていた。

金髪の怒鳴り声がその焦燥を更に駆り立てる。


(なんで、僕が…こんな…こんな……お金を…!)


何故自分がこんな屈辱を噛み締めなければならないのだ。

最低でも9万……大金だ。しかもそれで彼らが許してくれるとは限らない、下手をすればヤクザが出てくるかもしれない。それでも、大事な金…。

クタクタになるまで働いて、妻も子もなく自分のためだけに使える大事な、大好きな金。こんな真夜中に大声で喧しく騒ぐ若者を大人として注意しようとしただけなのになんでこちらが金を払わなきゃならない。理不尽だ。自分が、僕が、何をしたっていうんだ…………俺が、俺がボクが俺が、僕はボクが何を何を何を───────────────!!!!!



じゃ、殺せばいいか。



頭がスッキリとする。


真夏のこの日に驚くほど身体が冷たい。


「ひょ、おあああああおおおおおおぉぉおぁあぁうううああォォオあぁおおおおおおおおお!!!」


サラリーマンの男は胸倉を掴まれている事も意に介さず叫びを上げて両手を振り回した。


ただ腕を振る。ただ闇雲に。


このつまらない時間が終わったら、ご飯は何にしようか。

給料日が来たばかりだから、ちょっと豪勢にコンビニでいい弁当を買おうかな。

週末の休みにはドライブでプチ旅行気分で温泉巡りでもしようかな。

ああ、久しぶりにゲームの課金も出来るなァ。


お金っていいなァ。心の余裕だ。


空想に耽りながら愉悦の笑みを浮かべる。まさに一心不乱の彼の目には、眼前で宙を舞う影さえ見えていなかった。

俊足の────鞭。

狂乱の叫び声。

それは誰のものだったか。


「ンーーンン〜ンンンーン〜ン〜」


夢想の中、自分の鼻声が聞こえる。その背後に、全身を無残に打ち据えられた血塗れの3つの死体を残して。



   -2-


『昨夜未明、××市で3名の遺体が発見されました。被害者は無職の山本弘さん、牧田常雄さん、島田亜莉奈さん。3名の遺体には全身に多数の痣があり、単独犯ではないとみられる事から警察はこの3名が広域暴力団縊鬼組と関わりがあった為になんらかのトラブルに巻き込まれた可能性があるとみて──────────』


スマートフォンの画面がスワイプされ、ニュースの音声が途切れる。

今宵は真夏の満月。丸く輝く月に照らされ、ひとつの影が笑った。


「さて、コイツは今まで何人殺ったかな」


黒い影は誰にともなく独り言ちるとベンチから立ち上がり、深夜2時の公園を出た。


 公園の出口。ちょうどそこにとある男が通りかかった。サラリーマン風の草臥れた男が缶ビールを片手に、調子の外れた鼻歌を奏でながら歩いていた。

男は人影とすれ違いざまにペコと頭を下げ、そのまま通り過ぎた。


ふと、振り返る。


そこには何もなかった。


男は首を傾げるとまた何もなかったように缶ビールをあおりながら鼻歌混じりに歩き出した。


 男が暫く歩くと、いつもの帰路にある見晴らしのいい河川敷へ着いた。男は酔いが回り始めた様子でふぅと息を吐くと、短く刈り取られた草むらの斜面に腰を下ろした。


(今日は満月かァ)


空を見上げるとそこには黄金に笑う丸い月。その妖しさを纏う輝きは男の心の内を見抜くような─────。


「ッ!!」


首を振って左手のビニール袋を漁る。中には缶のビールや酎ハイ、つまみの袋が幾つも入っていた。


(余計な事は考えないようにしよう……。臨時収入が入ったんだ!今夜は暑中の月見でもしながら一杯オツに─────────)




「こんばんは」



もう何本目か知らない缶ビールに伸ばした手が止まる。


「へっ⁉︎ え、ええこんばんは……?」


振り向くとそこには女が立っていた。


「……綺麗な月ですねェ。こんなに暑いってのに、まるで秋の夜長のようだ」


「え」


酔った頭をフル回転させる。


この女はなんだ急に?


「月が綺麗」ってあれか?


逆ナンってやつか?


こんな夜中に?


こんな暑いのにっていやいやそれは関係───


あれ?


ここで男は違和感に気付いた。


この女は───真夏に厚手のコートを着ている。しかもその首には赤いマフラー。まるで真冬の様相だ。

そんな女がこの深夜に誰もいない場所で人に声を掛ける……。

おかしい…明らかに。

怪しい…とんでもなく。

古い記憶…どこか……何かで見た…何かに書いてあった………特徴……新聞?週刊誌?


男の酔いが急に覚めた。冷や水を浴びたようにその場から飛び退き、覚束ない足取りで女に向き直る。


「な、なんだあんた!! も、もしかして口さ───」


「見りゃワカンじゃん。アンタと同じ、人殺しだよ」


女─────三神 夜重子はポケットからナイフを取り出すと、間髪を入れずにそれを突き出した。


「ヒィッッッ!!」


男は刃が届く寸前に、恐怖で足をもつれさせ、すんでの所でその斬撃を後方に運良く躱す。満月に照らされたその小さな刀身が鈍く光る。


「ひ、人殺しぃぃいい!!!!」


「はっはははははは!お前もだろォ?どんな力で殺したんだよ、昨日の3人を。そういや…あそこら辺はもっと前からチマチマした殺しが続いてたなぁ!!」



   -3-


 「来るんじゃねぇぇえ!!おおおおおぉぉぉ!!」


 無数の黒い鞭のうねり。黒いコートを狙って、それは空を切り裂いて伸びた。

標的として佇むそのコートの影は手に持った小さなナイフのみでそれを捌き、躱した。

相対する男───異能の鞭使いは、間断なくその腕から影の鞭を操り、自らを追う追跡者を打ち据えるべく雄叫びをあげた。


「お前もオレを馬鹿にする気か!!金か?またオレに金出せってのかよチクショオオオオオオォ!」


「あーあー、くだらねぇ〜。なんでこんなチンケな欲に取り憑いたかねぇ夜影の方も。こんなのどこの連中も持ってる欲望だろうに、さァ!!」


夜重子は猛然と襲い来る右方からの黒鞭をはっしと掴み取る。するとその勢いのまま、掴んだ影ごと漫然の力でナイフを地に突き刺した。


「つっかまぁえたァァア!!!」


直後、夜重子はポケットに手を伸ばし、その中からバラバラと大量の小型ナイフを影の上に落とし、次々と刺し潰した。


「…満月ってのは、アタシら『マレビト』にとっちゃあ、狩りをするのに絶好の日和だよなァ。

こんなに影がわかやすい夜は中々無い!」


「ぁえっ!ああ? 動かない?!」


伸縮自在の影の鞭を地に縫い付けられ、左腕を動かせない事に驚愕する鞭男。

 瞬間、まるで縮地の如く距離を詰める夜重子がその眼前に迫る。


その手に、血に錆びた大きなばさみを持って──────。


「口裂け女なら、こういうのも似合うだろう?」


男の胸倉を掴んだ夜重子は鋏を開き、片刃を口に突き刺す。


「んがッ?!」


そして瞬時に、


───ばづん───と、肉が断ち切れる音。大量の出血を伴って、ばっくりと男の口が裂ける。


「私と同じだ。『綺麗』だぜ? アンタ」


「ぁぁ…ぉぁ……」


口を閉じれず、喉からのくぐもったうめき声しか出せない。夜重子はすかさず鋏を逆手に持ち替えて、音もなくその頭に突き立てた。


「ぁいぇ」


男の眼がぐるりと上を向く。

口と、頭から噴水のように血を噴き、二の句も待たずに男は絶命したのだった。

からだが倒れてその影に触れる時、何の余韻も残さずに男の姿は消え去った。


後に残り蠢動しているのは、たった今まで彼のものでありながら、彼とは全く違った存在の影。


夜影よかげ………ねぇ」


夜重子は無意味と知りながら、その影を忌々しげに踏み付けた。

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