雪月花~冬の匂いの記憶

笹岡耕太郎

the first part

 prologue


 

 三月も上旬ではあったが、高速道路の隔壁の下には冬を惜しむように溶けきれない残雪がある。例年に比べても寒冷前線は、北に去り難い様子で外気は冷気を含んだままであった。

 浩二の運転する濃緑のレンジローバーは、郡山ICで高速を降りるとすぐ左折し、旧国道49号線に入った。福島県浜通りから新潟県下越地方に繋がる当時としては太平洋と日本海を結ぶ主要な道路であった。

しばらく走ると、水滴に濡れた助手席の窓ガラスを通して猪苗代湖が確認できた。

人影少ない湖畔は、思っていたより残雪は少なく所々黒い土が表出している。

 春まだ浅い季節であった。日没のことを考えると、先を急ぐ必要がありそうだ。

急にタイムスリップしたかのような藁ぶき屋根の粗末な家が現れると、残像がいつまでも目の中に留まっている。野口英世記念館であった。当時は、まだ建物の中に安置されている訳ではなく、吹きさらしの中であったのだ。



 会津若松の街並みに入ると、すでに明かりが点り始めている。昼前に東京の原宿を出発し、すでに6時間は経っていることになる。疲れが一気に浩二を襲った。しかし、ここで休むわけにもいかない理由を抱えていたのだ。浩二は、後ろ髪を引かれる思いを断ち切るようにアクセルを踏み込んでいた。街の明かりがスピードを増して遠ざかる。街の明かりが途絶えると、黒い塊に見える山々が浩二を待っていたかのように、立ち塞がって来た。ふと、小さな恐怖感に心が揺れたが、もはや引き返すことなど出来ない理由があった。前に進むことしか、残された道はなかったのである。 レンジローバーは何かに招かれるように、漆黒の山中にのみ込まれて行った。

 

 通常であれば、関越自動車道を使い新潟県三条市までは、4時間と掛からない距離である。しかし、この日に限って多重事故が発生し、道路は閉鎖になっていたのだ。浩二は、恋人の佳世との懐かしい旅の記憶がある猪苗代湖を、再び見たいと思うと、ためらいなく東北道ルートを選んでいた。

 今夜中には、三条市街には入らなければならない。しばらく山に添い曲がりくねった道を進むと、月明かりに照らされた大きな川が見えて来た。阿賀野川である。

この川沿いに車を走らせれば、辿り着くのはそう難しい作業でもないことが、経験から分かっていた。浩二は、心に少し余裕が生まれると同時に、空腹を覚えた。午後からは、何も口にしていないのだ。それほど、切羽詰まった精神状態にあったのであろう。前を行くトラックのテールライトを追いながら、改めて慎重に運転をする。

夜の国道49号線を走る車はいつしか自然に車列を組むと、安心したように闇の中を進んで行った。



 1  美月佳世の依頼



  前日の朝のことである。笹本浩二が出社をすると同時に、慌ただしく目の前の電話が鳴った。浩二は、厭な予感を覚えたが電話に出た。

「はい、『リフレクション』の笹本ですが・・・」

「笹本部長ですか? 『三条織物』の浅井です。お世話になっております」

主要取引先の浅井専務からであった。

「どうしたのですか? こんな朝早くから・・。例の試織見本送ってくれましたか? 

 クライアントからの再三の電話で、こちらは身動きもとれない状態なのですが」

「その件ですが・・・、申し訳ありません。どう頑張っても月曜日の朝の発送になってします・・・」

「・・・という事は、明後日の発送という事ですね?」浩二は確認をした。

「はい、申し訳ありません」浅井専務が低調に頭を下げる。


 試織見本というのは、異なった糸番手や織り組織で新しい生地を企画した場合に、狙い通りの織上がりになるのかを確認するために必要な作業であった。分かりやすく言えば、試し織りである。

 新潟は、昔から着尺の産地として知られており、特に亀田、栃尾、見付などがその伝統を受け継ぎ、現代にいたるまで続いていたのである。

特に糸染めをしたのちに織機にかける先染めと言われる技術に関しては高いものがあり、素材を重視するファッションブランド、特にデザイナーには信頼が厚かった。

 

「浅井専務、仕方ありませんね・・・。とりあえず、先方と連絡を取って、了解を得ますので・・・」

笹本浩二は、『株式会社デューン』のデザイナーチーフ美月佳世に連絡を入れた。

「美月チーフですか? 強く納期を言われていたサンプルの件なんだけど、月曜日発送の火曜日着で大丈夫かな?」

「笹本さん、大丈夫な訳ないわ! きのうあれほど、月曜の朝に間に合わせてって言ったでしょ‼ 笹本さんが車で取りに行って月曜日のお昼までに届けてくれるなら、許してあげても良いわ。プレゼンは、午後一番からだから…」


「佳世のいう事も分かるけど、朝7時に三条を出たとしても青山に着くのは、午後3時にはなってしまう。先方も徹夜での作業だから、これ以上は強く言えないのを分かって欲しいんだよ」浩二は、甘えにすがった。

「……、わかったわ。絶対3時を守ってね。私にも社内での立場があるんだから…」


「助かるよ、佳世。恩に着るよ」

「笹本さん、電話での話し方、少しは注意して下さい。気付かれたら困るから…」と、最後に佳世は小さな声で言った。事実二人は、恋人関係にあったのだ。

佳世は7つ年下の28歳であるが、気の強さから商売を抜きにしても普段から逆らえない関係にある。笹本にとっては、それでも佳世が愛しいのであった。

  

 浩二が初めて佳世に出会ったのは、約3年前のことである。佳世は、当時からキャラクターブランド、『デューン』のチーフデザイナーとしてアパレル業界の中で名を知られた存在であった。浩二も、北青山に『テキスタイル・リフレクション』の取締役事業部長としてディビジョンを任されていた。

 青山ファッション協議会主催のクリスマスパーティで偶然知り合うと、密かに交際を続けて来たのである。佳世が上司との恋愛にけりを付けた直後であったことも交際に発展した理由の一つであるのかも知れない。 



 2  夜の49号線



 浩二の乗る『レンジローバー』は、県境の鳥井峠を越えると新潟県に入った。

夜の10時も過ぎると、浩二は、流石に空腹と疲労を覚えた。前方の右側の小さな空き地に赤い提灯が見える。暖簾には、ラーメン屋らしい屋号が見て取れた。

店の横に車を止めたが、先客はいないようである。近づくと、建物はかなり古く、寂れた様子は隠しようもない。しかし、贅沢は言っていられない。この先、綺麗な食堂が現れる保証などどこにもないのだ。


「コンバンハ」浩二は、中の様子を覗いながら水滴で曇った硝子戸を横に引いた。

「・・イラッシャイ」不意の客に驚いた様子のかすれた声がした。80歳がらみの店主が、暇そうに煙草を吹かしているところであった。

「今、店閉めようと思っていたところでさ・・・」

「それは、どうも・・」浩二は、慌てて醤油ラーメンを注文すると、店主に尋ねた。

「この先の馬下橋を左に曲がって、国道290号線に入る方が三条まで行くには近いですか?」浩二は、近道を選ぶことで時間を稼ぎたかった。

「お前さん、この時間から街道に入るのかの~?」

「ええ、そのつもりですけど・・・」

「どこから、来なさったかの~」店主には訛りがあったが、意味は分かる。

「東京からです・・」

「関越は使えなかったかの?」店主は、念を押すように聞いた。

「ええ、ちょうど運悪く事故が起きて通れなかったものですから・・・」

「地元の人間はこの時間には、山にはよう入らんらすけ」

「それは、どうしてですか? 山道がまだ雪深いとか・・・」

「おれもよう知らんけど、最近道に迷う若いのがおるっけ・・・、あんたも気を付けてくらっしぇよ」 店主は、怖いものでも想像したのか視線をそらした。

浩二は、ぬるく薄味のラーメンを胃の中に流し込むと、そそくさと店を後にした。

店主と話をするほど、前に進む気持ちが削がれそうであったのだ。疲れは全く取れていなかった。かえって、肩に重さが加わってきたかのようである。


 国道49号線に再び戻ったが、この時間になると不思議なことに一台も走っていない。浩二は、車列を組んで夜の闇の中を進むことを諦め、単独での走行となった。

しばらく蛇行する国道に身を任せて進むと、突然線路が現れ並走する形になった。

これが、郡山と新津を結ぶ磐越西線であるらしい。新緑の旅客旅であれば、楽しいはずであるが、今はそんな旅情を想像する余裕も生まれてこなかった。

 線路を離れ、カーブの続く道をしばらく走ると、五泉市に入った。咲花温泉入口の看板を手掛かりに左折すると、今度は国道290号に入ったことを示す道路標識が確認できた。道路わきの雪はわずかに残っている程度で、ここ二三日は降っていない様子であった。

 しかし、浩二の車が290号に入ったと同時に雪が舞い降りて来た。白い羽のような雪である。同時に急激に気温が下がって来た気配を感じると、フロントガラスに張り付く雪もますます厚さを増していく。ワイパーが重く撓ると、不安感が増してくる。

 ワイパーのわずかな間欠の間から、村松街道と書かれた道路標識が顔を出した。この道を抜ければ加茂市から三条市街へと向かう近道になるはずである。

10年ほど前に、この道を使った記憶が蘇った。比較的平坦な道の記憶である。

ダッシュボードの外気温計は零下を表示しているが、浩二の気持ちは再び穏やかさを取り戻していた。



 3  二差路の秘密 



 雪の中の慎重な運転を続けると、二差路が見えて来た。右側の道路わきに古く小さな民家が建っている。軒下には、二本の大根がぶら下がっていた。

浩二は、二差路の手前で車を止めた。標識がなく、どちらの道が加茂に繋がるのか判断に迷ったのだ。

「おかしいな。こんな二差路、前にあったかな?」浩二は、自分自身に問かける。

「右の道にするか・・・。違ったら、戻ればいいし」

浩二は、右側の道を選ぶと30分ほど車を走らせた。雪の中の道路は、どこも代り映えがしない。引き返すほどの勇気も無くなっていた。ふと、前方を見ると、二差路の脇に民家の灯りが見えた。

「とりあえず、この道で合っているか、聞いてみることにしよう・・・」

浩二は、二差路の手前に車を止めると、雪の降りしきる中木の戸を叩いた。

「こんばんは! ごめん下さい!」

人影の動く気配はあるが、戸を開ける様子はみえない。浩二は、二度ほど繰り返したが諦めることにした。夜も遅い雪降る中である。不審がられても不思議ではなかったのだ。

 浩二が何気なく軒下に目をやると、先ほどの民家と同じように二本の大根がぶら下がっているのが見て取れた。この地方の冬場の習慣であるらしい。浩二は一本を手に取ると無意識に傷をつけていた。早々に立ち去ることにする。

 今度も右側の道を選んだ。方向的には違わない自信はあった。

また、同じような雪道を30分ほど走った。すでに、1時間も雪の中をさ迷い走ったことになる。浩二は、流石に不安を覚え始めていた。


 再び二差路に出ると、やはり右側に同じような民家がある。しかし、今度は部屋の灯りが外に漏れていない。すでに眠っているのだろうと思う。            軒下に目をやると、また同じように二本の大根が下がっていた。浩二は、先ほどの民家を離れる際に、二本のうちの一本に爪で傷をつけてしまっていたことを思い出した。目を近づけ確認をすると、まさに傷は残っていたのだ。偶然にしては、納得の出来ない事である。同じ民家であるに違いない。これは、否定のしようのない事実となった。

「嘘だろう・・・」

浩二はこの事実に気付くと、急に冷気が身体を包み込んだように寒気を感じた。

「おかしい・・・、ありえない!」

わざと大きな声を出し、不安を脱ぎ去ろうとする。

「こんなんじゃ、今日中にたどり着けないな・・・。どうする? 浩二・・・」

ここにきて、浩二は自分の置かれた状況を理解すると思わず弱音を吐いていた。

雪は降り積もるばかりで、止む様子もない。

車中で夜を明かすとしても、路上である。空き地でもないかと、左方向に目をやると民家の灯りが目に入った。細い脇道の50m程先であったが、除雪でもしたかのようにまだ雪がそれほど降り積もっていない。勾配はあるが、ノーマルタイヤでもなんとか辿り着けそうである。


 湘南育ちの浩二は、いたって雪道が苦手であった。箱根路さえ冬の間は立ち入らなかった。しかし、度胸を決めて脇道に入ることにした。

慎重に車を進めて行くが、道は狭くなっていく一方である。もはや引き返す余地も無くなりかけた頃、民家の庭先に出ることが出来た。救われた思いが勇気を与えてくれる。来た道を振り返ると、轍はすでに雪で覆われ道ですらなくなっていた。

あたりを包む空気は、まるで時空に取り残された異次元の静謐さであった。


 

 4  美しい女~雪月花



「とりあえず、道を聞くことにしよう・・・」

浩二の不安を払拭するための独り言である。

「ごめん下さい・・・。夜分すみません」                     声を出しながら呼び鈴を捜したが、見あたらない。

居間らしい部屋のガラス戸を通して、温かそうな赤い灯りが漏れている。

小さな平屋である。人がいれば、聞こえているはずである。

「ごめん下さい!」

「………、」人影が揺れたが、返事はなかった。


浩二が諦めて雪に埋もれたレンジローバーに戻りかけた時に、玄関の引き戸が警戒でもする様子でわずかに開いた。

逆光で良くは見えないが、長い髪の女が不審そうな様子でこちらを見ているようだ。立ち振る舞いから、若い女のようである。

「どなたですか?」女の涼やかな声が聞こえて来た。

「・・・、夜分すみません、道に迷ってしまいまして・・・」

浩二は、警戒心を抱かれぬよう極めて穏やかな声を返した。

「……この先に道はありませんが、どちらに行かれるつもりなのですか?」

女は、警戒心を解いた様子を見せると、丁寧に聞いて来た。

「実は、東京から来たのですが49号線から290号に入って、今日中に三条まで行くつもりが雪のせいか道に迷ってしまいまして・・・」

「それは、大変ですね。きっと、下の二差路で間違ってこちらの脇道に入って来てしまったのですね」

「それが、下の二差路で右側の道を進んでも、また元の道に戻ってしまって・・・」

「ホ、ホ、ホッ、そんなことがあるのでしょうか?信じられませんけれど……」

「はあ、僕自身が良く理解できていないのです。方向感覚を失っているというか」

浩二自身、間の抜けた返答であると思ったのだ。


「大分お疲れのようですから、上がってお茶でもどうですか? わたし一人ですし、

遠慮なさることもありませんから…」

女の警戒心のなさが以外であったが、浩二は芯から疲れていたのだ。女の申し出を素直に受けることにした。

「実は、私も心細かったところですから……」

「ありがとうございます。では、ご迷惑でなかったらお茶を一杯だけ頂いて・・」

赤い電球の下で見る女は、美しかった。                   まだ、二十七、八と言ったところであろうか・・・。

佳世と比べても、若く感じる。新潟は、噂によると白系ロシアの末裔が多いと聞いていたが、まさにそのことを思い起させた。ここに、雪月花がいたのである。

「私も今日のお昼に、東京から戻って来たばかりなのですよ」

女は、お茶の準備をしながら身の上を話し始めた。

「えッ、そうなんですか! それは驚いたな~」

浩二は、素直な驚きを見せた。

「私は、後藤沙織です。東京の原宿で小さな洋品店をやっています。名前は、

『ポゼッション』って、言うのですけれど……。

昨年の暮れに両親が相次いで亡くなってしまって…、それで一人娘の私が最後の後始末に来たという訳なのです。二三日滞在して、目途が立ったら東京に戻る予定です。

あなたは、どうして新潟に?」

「僕は、笹本浩二です。北青山で、テキスタイルを企画する『リフレクション』事業部の責任者をしています。沙織さんは、三条織物という会社をご存じですか?

そこに頼んでいた試織見本をどうしても、明日のお昼過ぎにはアパレルに届けなければいけないことになりまして・・・、それで、今日中には三条に着きたいと思っていたのですが・・・」


「雪で計画が狂ってしまったという訳ね」沙織は、笑みを浮かべながら言った。

「余計なことまで、話してしまいました」

浩二は、沙織の白い顔を見つめながら話すと、沙織をより知りたい気持ちも芽生えていた。

「偶然ですね。三条織物さんは、良く知っていますわ。以前わずかな期間でしたけど働いていたことがあるのです。三条織物とお付き合いがあるなんて、うれしい事ですわ」

心なしか、沙織の顔にわずかな赤みが差したように見えた。

「それ、本当ですか? 奇遇ですね。お会い出来て良かった!」

同じファッション業界にいることもあり、二人にとって、話題は事欠かなかった。

話が盛り上がるにつれ、二人の間を隔てる壁も無くなって行った。


雪は一段と強く降り注ぎ、浩二の乗って来た車の存在さえ消し去っている。

「沙織さん、大分付き合わせてしまいました。そろそろ失礼しなければ・・・。」

「まあ、これからの山道は危険ですから、泊まって行かれてはいかがですか? 何もお構いは出来ませんけれど…」

正直、浩二もこれから雪の中を三条に向かう勇気はなかった。渡りに船である。

「でも、ご迷惑では?」心にもない言葉が口を突く。

「いいえ、部屋も夜具もありますし、それにこんな雪の日に私一人残されるなんて、私の方こそこころ細くて………」

「沙織さん、ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて頂きます」



 5  雪解けの泉



 浩二は、風呂から出ると沙織が夜具の準備の間、改めて部屋を見まわしていた。

居間にあるテーブルだけは、埃が綺麗に拭かれていたが、他の家具にはその形跡もなく埃が積もっている。家というものは、人が半年も住まなければ、このような状態になるものだろうことは、想像に難くなかった。

壁に掛かっている古い柱時計を見たが、もちろん振り子は動いていない。

十二時を回り、浩二が眠気を覚えた頃、隣の客間から声が掛かった。

「浩二さん、夜具の用意が出来ましたので、どうぞゆっくりお休みください」

沙織の涼やかな優しい声である。

「そうですか、ありがとうございます」

「私は、居間で寝ていますので、困ったことがありましたら声を掛けて下さいね」

沙織は、すでに寝巻に着替えていて割れた裾から見える白い足首が、何とも言えぬ

妖しさを秘めていたのだ。


 床に着いた浩二であったが、疲れているのにも関わらず、なかなか眠気は襲ってこない。かえって沙織の白い足首を思い出す度、頭は冴えきって行くのだった。

時間だけが意味を持たず通り過ぎて行く。

寝返りを繰り返し、小一時間も過ぎた頃であろうか、浩二は夢うつつの中であった。

 襖が音もなく開かれる気配があり、冷気と共に何ものかが入って来る気配があった。しばらくすると、浩二の寝ている布団の中に、若い女の匂いが充満したのだ。

浩二の身体は、無意識に反応すると恋人の佳世であるはずの唇を求めた。すると、女は拒みもせずに応じてくる。佳世なのだと、浩二は夢の中で思い込もうとする。

女の唇と浩二の唇が重なると、情熱的な舌が浩二の舌に絡みついて来る。ふだん佳世が見せる反応とは明らかに違っていた。

「佳世じゃないのかな~? どうせ夢なんだから・・・。だったら、誰でもいい」 浩二は、夢の中で覚醒していた。

寝巻の胸元から手を差し入れると、豊かな乳房が浩二の手のひらの中でたわんだ。

思わず揉みしだくと、女は浩二にしがみ付きさらに激しく唇を求めて来る。

「・・・、沙織さん?・・・」浩二が聞くが、女の返事はなかった。

「どうせ夢なんだ・・・、どうなっても良い・・・」浩二は、欲望に身を任せると、行為にのめり込んで行った。


女は、浩二の起立した分身を口に頬張ると、執拗に律動を繰り返している。沙織の上品な顔からは想像できない淫らさであった。

「沙織さん、もう限界だよ。 いいかな?」

女は、わずかに頷いたようである。

浩二が女の秘部に手を添えると、そこはすでに充分に潤っていた。女の雫は、雪が解けたようにサラリとしていて、指に絡んで来る様子はなかった。

指で押し開くと、雪解けの泉を思わせた。

女の声が高まって行った。まるで、雪の中を渡る風のような切なさである。

女が、浩二の背中に爪を立て、冷え切っていた身体が熱く燃え上がって行く。

浩二はたまらず、極限まで成長した分身を女の中に埋め込んだ。喘ぎと同時に、女の腰が波打つように動き始める。まるで、浩二の精を吸い尽くそうとするかのように貪欲に繰り返された。


苦しそうな女の喘ぎが部屋の中に充満し、最後の刻を告げると同時に、浩二の迸りが

女の中に熱く注がれた。夢であっても、これ程の快楽は、ごく初期の少年期を除けば 

一度も経験をしたことが無いものである。余韻は終わりを迎えることもなく、いつまでも続いていた。                         

吹雪が急に収まったかのような静けさが、再び部屋に戻って来る。

女の細い体が、精を受けた喜びに揺れているように痙攣を繰り返していた。浩二は、女を強く抱きしめていると、いつしか気を失ったように深い眠りに落ちて行ったのであった。



 6  冬の匂い


 障子ガラスを通して、朝の光が差し込んでいる。浩二の身体には、まだかすかな疼きが残っているようだ。

「久ぶりに、いい夢を見たな~」男なら誰しもが考えそうな感想である。

女は、佳世のようでもあり、失礼ながら沙織だったような気もしていた。潜在的に、

まさに雪月花である沙織を求めていたのだろうか・・・。


 雪は、止んでいるらしい。枕元の腕時計を見ると、間もなく8時であった。 「沙織さん、おはようございます」                      浩二は、居間に向かって声を掛けるが人のいる気配がしないのだ。

「ありがとうございました。そろそろ出ますので・・・」

まだ、沙織は眠っているのかと襖を開けて声を掛けるが、すでに夜具は畳まれたらしく、敷かれてはいない。

「お世話になりました~」

小さな平屋である。浩二の声が届いているはずである。

障子ガラスから、庭を見渡すが沙織の姿を見つけることは出来なかった。

不思議なことに、きのう灯っていた電球が点かないのである。雪の重みで停電が生じた可能性もあるのだろうと、浩二は考えていた。


 三条織物の浅井専務とは、9時の約束である。ここから1時間は掛かるであろう。

浩二は、沙織に礼も伝えずに出発してしまうことの後ろめたさは感じたが、背に腹は代えられない。置手紙をすることで許してもらうことにした。

浩二は、手帳を一枚破ると走り書きを残した。



【 後藤沙織様


  沙織さん、昨晩はありがとうございました。

  優しい心遣いに感謝しかありません。

  直接お礼も伝えずに出発することをお許しください。東京で会う機会がありまし 

  たら、改めてお礼を伝えたいと思います。


  * 連絡先として、名刺を置いて行きます。 笹本浩二   】

                

  


 浩二は、自分の寝ていた夜具を畳むときに気が付いたのであるが、それは、妙に黴臭くしばらく使われていないのではと思わせるものであった。掛け布団を剥ぐと、敷布団の中程に多量の水を含んだような大きな染みが出来ていた。

一年、いやそれ以上の期間使用されていなのではと、思われた。


浩二の心は、夢と現実の狭間にあった。急に不安が心の中に広がっていく。

布団の中で女を抱いたことは夢であったとしても、沙織と会話をし温かい風呂に入ったことまでが夢であったとは、到底思えないのである。しかし、沙織が姿を消した理由が説明できない。


「早くここを出る方が、良さそうだな・・・」人間の勘というものであろうか、浩二は思わず呟いていた。

玄関から庭先に出ると雪は上がっていたが、3月には珍しく冬の匂いがしていた。 張り詰めた空気が浩二の鼻腔に突き刺さった。佳世と付き合い始めた頃のリゾート地での楽しい記憶が蘇って来る。昨晩経験したことも、時間と共に懐かしい想い出として心に刻まれていくのだろうか? 

浩二は、外の空気に清々しさを感じると、心に浮かんだ疑問を払拭するかのように、レンジローバーのエンジンをかけた。 難なく50m程続く脇道から本道に戻ることが出来たが、目の前に現れたのが例の二差路である。

軒下に大根が下がった民家の前に、年配の女性が立っている。この民家の住人であろうか・・・。念のために、浩二は、道を尋ねることにした。


「おはようございます。この右側の道をまっすぐ行けば加茂市を通って三条市街に抜けられますか?」

「そられって・・・。おめえさん、後藤さん家から出て来なさったかね?」

「はい、そうですが」

「誰も、おらんやったろ」

「いいえ、ちょうど娘さんの沙織さんが東京から帰って来ていまして・・・」

老婆は、驚いた様子を見せたが、関わり合いを恐れたのか、それ以上は口を瞑んだままであった。

「まあ、気を付けて帰らっしょね」

「あ、ありがとうございます」

 老婆は、浩二の後ろ影を恐れるように、そそくさと家の中に入って行った・・・。





to be continued the second part



 

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