メリバの姫は逃げ出したい!

緋色の雨

メリバの姫は逃げ出したい!

 目が覚めたら、天蓋付きのベッドの上だった。


「……ここは何処? 昨日はたしか……」


 久しぶりに仕事が早く終わって、今日はWEB小説を読みあさるぞ~と、いそいそ家に帰る道の途中、車道に飛び出した子供と、そこに向かうクルマを見つけて反射的に駈けだした。

 そこで私の記憶は途切れている。


 病院……だとすると、ずいぶんと部屋の内装がぶっ飛んでいる。まだ、合コンで酔っ払って、天蓋付きのベッドがあるお部屋にお持ち帰りされたと言われた方がしっくりとくる。

 そんな経験、一度もないけどね!


「シェリルお嬢様、お目覚めの時間ですよ」


 コンコンとノックがあり、メイドさんが部屋に入ってきた。年の頃は私と同じ、二十代なか……前半くらいだろうか? 若くて綺麗な金髪のメイドさんである。

 と言うか、シェリルって誰のこと?


 なんて思っていたら、彼女は私が眠るベットの横に立った。

 もしかして、シェリルって私のこと?


 そう思った瞬間、頭に小さな痛みが走った。

 直後、私は自分がシェリル・メリルだということを思いだした。


「――って、まさか!」


 私はベッドから飛び降り、部屋に備え付けの姿見の前に駆け寄った。そこに映っているのは十代半ばくらい、薄手のキャミソールを身に纏う愛らしいお姫様。

 プラチナブロンドに紫の瞳の持ち主は、シェリル・メリバ。

 メリバの姫という乙女ゲームのヒロインだった。

 つまり――


 乙女ゲームのヒロインに転生してしまった!?


 ……なんか、ここからオープニングムービーでも流れそうなノリで叫んでしまったけど、それくらい驚いた。凄いよ。異世界トリップ、本当にあったんだね。


 お父さんとお母さん……は、数年前に人助けして死んじゃったから、先立つ不孝は心配しなくても大丈夫。会社には迷惑を掛けるけど……人助けの結果だから許して欲しい。

 あぁでも、借りていた部屋ってどうなるんだろう? お、大家さん、本棚と押し入れの薄い本は、出来れば中身を見ずに処分してください!

 お願いします、なんでもしますから!


 両手を合わせてお願いして、私はようやく一息吐いた。

 とにかく、私はシェリル・メリバに転生してしまったようだ。


 メリバの姫と言えば、お気に入りの乙女ゲームである。

 道中はストレスフリーで、攻略対象はヒロインを溺愛してくれるイケメンばかり。攻略難易度もこの上なく低くて、どんな選択肢を選んでも攻略対象たちがフォローしてくれる。


 ゲームオーバーが存在しない王道の物語。唯一特徴的なのは、迎えるエンディングがすべてメリバ――メリーバッドエンドと言うことだろう。


 たとえば、婚約者の候補として上がっている王太子はシェリルのよき理解者であり、シェリルを蕩けさせるような甘い言葉を投げかけてくるイケメンの王子様。

 ただし、彼と結ばれると、彼の命を狙う暗殺者から彼を護って死ぬ。

 王太子はシェリルの死を悼み、その悲しみを胸に立派な王になる。



 続いて、義兄は私を溺愛していて、どんなワガママだって聞いてくれる理想のお兄様。甘やかされたい系女子に大人気の次期公爵様。

 ただし、彼と結ばれると、彼が取り締まっていた悪の組織に攫われて殺される。

 義兄はシェリルを殺した組織を壊滅させて名誉を得て、公爵領を繁栄させる。


 最後は、未熟なシェリルを優しく導いてくれる家庭教師の先生だ。彼自身にはなんの非もないのだけれど、彼と結ばれると、彼につきまとうヤンデレに殺される。

 自分が不幸を招く存在だと思っていた彼は、シェリルの死を切っ掛けに、不幸の原因すべてがヤンデレの存在にあったことを知り、ヤンデレを断罪して強く生きる。


 その他、オマケの攻略対象もいるが、すべてシェリルの死を切っ掛けに、攻略対象が躍進するストーリーである。


 お人好しの両親は人助けで亡くなって、私自身もお人好しだと言われていた。そんな私にとって、メリバの姫は凄く共感できる物語だった。

 実際には死にたくないけど、自分の献身が報われる話っていいよね。

 ――って、私、その乙女ゲームのヒロインに転生してるんですけど!? 人助けで死んじゃったのに、その転生先でまで人助けで死ぬのは嫌ぁ!


「あの、シェリルお嬢様、急に鏡を見つめてどうなさったのですか?」

「ネリー、いますぐお父様のところへ行くわよ!」

「え、あの、お嬢様、ちゃんと身だしなみを整えてからにしてください! そのような恰好でお嬢様を外に出したら私が怒られます!」

「――むぐっ。貴女が怒られるのはダメね。急いで身だしなみを整えていくわっ!」


 ネリーに手伝ってもらって、私は身だしなみを整える。

 プラチナブロンドの髪はツインテールに纏め、お姫様のような――というか、お姫様だけど、レースをふんだんに使ったドレスを身に着けた。

 そうして乗り込んだのは、お父様の執務室だ。

 厳かな雰囲気のその部屋で、お父様は執務机に向かって書類仕事をしていた。


「お父様、折り入ってお願いがあります!」

「おぉ、シェリルではないか。昨日はよく眠れたか?」

「もちろんですわ。それで、その……お願いなのですが」

「うむ。なんでも言いなさい。シェリルの願いなら、どんな願いでも叶えてあげよう」

「ありがとうございます。では、私を王太子殿下の婚約者候補から外して欲しいのです」


 なにもしなかった場合、イージーモードのこの乙女ゲームでは、自然と王太子殿下とのルートに入る。そこをなんとしても回避するため、私を候補から外すようにお願いした。


 もちろん、貴族社会の常識で言えば、それはあり得ない願いだ。

 選択肢にも、そういう選択は存在しなかった。

 よって、この願いは叱られることも想定していたのだが――


「ふむ。それがおまえの願いなら、その通りにしよう」


 お父様はあっさりと応じてくれた。

 これには、私の方が驚いてしまう。


「……よろしいのですか?」

「うむ。みなまで言わずともよい。ラッセルに惹かれているのだろう? すぐにラッセルに婚約の打診をしよう。なに、あやつなら嫌とは言うまい」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 ラッセルとは義理のお兄様のことだ。

 お兄様も王太子殿下に負けず劣らずのイケメンで、私をどろっどろに甘やかしてくれるけれど、王太子殿下のルートよりも残忍な方法で悪人に殺されちゃう!


「お父様、誤解しないでください。私が婚約候補から外して欲しいとお願いしたのは、ラッセルお兄様と結婚したいからではございません」

「なに? そうなのか。では……そうか、セシルだな? ふふ、おまえがまさかそこまでの年上趣味だとは思わなかったぞ。よし、すぐに婚約を――」

「打診は待ってくださいませぇっ!」


 セシル先生も凄く良い人で、中性的な美青年だけど、彼につきまとうヤンデレがヤバイ。彼のルートに入ると、ヤンデレに捕まって言葉に出来ないような死に方をしちゃう。


「セシル先生でもありません。というか、誰とも婚約しないという道はないのですか……?」

「なにを言う。そなたの夢はお嫁さん、だったではないか」

「あああああっ、そうでしたね! でも、それを指摘されるのは恥ずかしいので止めてください、死んでしまいます、色々な意味で!」


 捲し立てると、お父様は少し困惑するような顔をした。


「シェリル……今日はどうしたんだい? もしかしてなにかあったのか? もしそうなら、コンラッドに見てもらった方がいい。あとでおまえの部屋に向かわせよう」

「いいいい、いえ、大丈夫です!」


 コンラッドは私の主治医で――やっぱりイケメンで、隠し攻略対象だ。ヒロインがおかしな選択肢ばかり選んでいると到達するルートである。

 そんな隠し攻略対象である彼は、医師としてとても立派な人で、疫病が流行ったときには、その身を投じて患者の世話をする。彼自身は生き延びるのだが、お手伝いをしたシェリルは疫病に罹り、それはもう無残な死を迎えてしまうのだ。そして、シェリルという貴い犠牲を払った彼は、疫病に対する治療薬を見つけて歴史に名を残す。


 というか、私の命を残すルートはないんですかね!?

 ないですよね、知ってます!


 ダメだ、ゲームのシナリオから逃げられる気がしない。

 一時撤退、他の手段を考えよう。


「あの、お父様、私、少し夢見が悪くて弱気になっていたようです。いまの話は聞かなかったことにしてくださいませ」


 私はそう言って、尻尾を巻いて逃げ出した。



 部屋に戻った私はどうするべきか、うんうんと唸っていた。

 それを見かねたのか、ネリーが心配するような顔で問い掛けてくる。


「シェリルお嬢様、朝食はいかがいたしますか?」

「そうね、今日は気分を変えて中庭でいただくわ」


 部屋に籠もっていると気分まで鬱屈としそうだ。せめて、綺麗な中庭で朝食を食べて気分転換をしよう。そう思った私は中庭で朝食を採る。


 ……さて、これからどうしよう?

 朝食を採りながら、私は今後について考えを巡らせた。


 攻略対象の誰かと結ばれたら、私は絶対に死んでしまう。

 それについては自信がある。


 だって私は、前世で見知らぬ子供を庇って死んでいるのだ。

 イケメンで優しい彼氏が出来て、しかもその人が命の危険に晒されたら、物語の強制力なんて関係なしに、身代わりになること請け合いだ。


 私が死を逃れるには、攻略対象と結ばれないようにするしか方法はない。


 大丈夫、お父様は私の意思を重んじてくれている。

 政略結婚はあり得ない。

 さっきは勢いでお願いして、逃げ帰る結果になってしまったけど、落ち着いて誰とも結婚したくないと言えば、お父様はその意思を尊重してくださるはずだ。


 つまり、私が誰にも惚れなければ大丈夫、ということ。そう考えていると、ネリーが主治医の来訪を告げた。まさかの隠し攻略対象の出現に慌てふためく。


 黒い髪をオールバックにした、メガネを掛けたイケメン男子。白衣を纏った彼は、「おはようございます、シェリル姫」と笑みを浮かべた。

 ああぁぁああぁっ、朝日を背に浮かべる笑顔が眩しいよ!?


「コ、コンラッド、どうしてここに?」

「ご当主様から、シェリル姫の様子がおかしいから、少し見てやってくれとうかがいまして。顔が少し赤いようですが……熱は……ないようですね」


 彼の大きな手のひらが私のおでこに触れた。

 続いて、「失礼します」と私の首筋に指を添えて脈を測る。


「……ふむ、脈拍は少し早いようですね。なにかありましたか?」


 それはコンラッドが私の首に触れているからですね! なんて言えるはずがない。というか、近い、顔が近いよコンラッド! お姫様にそんな近付いていいと思ってるの!?

 主治医だからいいんでしたね、そうでした!


 というか、シェリル・メリルは生粋のお姫様だ。

 周囲はイケメンばかりの環境で生まれ育っているし、攻略対象達に溺愛されるのが日常的なので、それらに対して緊張するようなことはない。


 でもいまの私は、OLとして日本で生活した意識の方が強いのだ。しかもその私は全寮制の女子校育ち。就職後も周りは女の子ばかりだったので、男性に対する免疫がないにも等しい。

 こんなイケメンに優しくされたらコロッと惚れてしまう。


「シェリル姫、大丈夫ですか?」

「え、あ、はい、大丈夫です!」


 これ以上脈を測られたら、心臓がとんでもない速さで動いていることに気付かれてしまうと、慌てて彼から身を離す。彼は小さく瞬いて、そうですかと爽やかに笑った。


「シェリル姫、本当に大丈夫なのですね?」

「はい、もちろん大丈夫ですわ。お騒がせして申し訳ありません」

「いいえ、私は貴女の主治医ですから。気にする必要はありません。もし、なにか悩み事などがあるのなら、遠慮なく仰ってくださいね。貴女の人生を支えるのが私の役目ですから」


 あぁあぁあ、なんだか、プロポーズみたいなセリフですね! ごめんなさい、そんな意図がないのは分かってます。でも、こじらせ女子にそんなセリフはダメなんです!

 このままじゃ、尊死した末に身代わりになって死ぬので止めてください!


「ほ、本当に大丈夫ですから!」


 私はなんとか平静を装って、コンラッド先生と別れた。

 ……はぁ、はぁ、危なかった。もう少しで、二重の意味で死んでしまうところだった。

 というか、彼は隠し攻略対象だ。

 つまり、メイン攻略対象の三人は、彼よりも破壊力があると言うこと。

 ダメだ、死ぬ。色んな意味で死んじゃう。


 尊死するだけならともかく、本当に死んじゃうのはシャレにならない。

 こうなったら……逃げよう。

 メリバの名を捨てて、ハッピーエンドを目指すのだ。


 大丈夫、私には前世の記憶がある。知識チートとかなんとか、がんばれば平民として生きていけるはずよ! と、計画を立てた私はお屋敷を抜け出した。


 ――で、ダメでした。

 私はいま、絶賛大ピンチ中です。

 夕暮れの人気のない路地で、たちの悪そうなおじさん達に囲まれています。

 どうしてこうなった?


 私は今日一日の行動を振り返った。

 まず、町娘風の服を調達してお屋敷を抜け出したところまでは問題なかったはずだ。

 問題はその後。メリバ家のシェリルならともかく、身寄りのないただのシェリルでは、知識チートを披露する場なんて与えてもらえなかったのだ。


 商業ギルドでは門前払い。

 直接お店を尋ねてみても相手にしてもらえない。


 という訳で、朝から彷徨ってお腹を空かせていた私は、食堂のおばちゃんに拾われた。そのおばちゃんも厨房には入れてくれなかったけど、ウェイトレスは任せてくれた。

 高校時代には接客業のバイトもしたことのある私は、ウェイトレスのお仕事を、初めてにしてはかなり上手くこなせた方だと思う。


 そうして、賄いで昼食と夕食をごちそうになった私はお駄賃までもらった。

 でも、お駄賃では宿に泊まれなかったのである。

 まぁお駄賃だから当然だね。この世界、最低賃金なんて言葉は存在しないのだ。というか、身寄りのない娘が、一人で生きていけるほど優しい世界ではなかった。


 攻略対象と結ばれる分にはイージーモードなのに、普通に生活しようと思ったら、凄く現実的な世界だった。世界観がまともでびっくりだよ。


 そういう訳で、行くあてもなく彷徨っていた私は、食堂から後を付けてきたというおじさん達に囲まれていた。このままだと、何処かに売り飛ばされそうな雰囲気である。


「えっと、出来れば見逃して欲しいな、なんて」


 戯けてみせるけど、彼らは応じてくれない。それどころか、痛い目に遭いたくなければ、言うとおりにしなと、ナイフを抜いた。

 やばい、このままだとメリバよりも酷い結末を迎えちゃう。誰か、助けて――と、私が心の中で叫んだ瞬間、王子様が駆けつけてくれた。


 比喩でもなんでもなく、私の婚約者候補、トラヴィス王太子殿下である。彼は夕日に煌めく剣を振るい、あっさりとおじさん達を撃退してしまった。

 金色の髪をなびかせ、剣を振るう姿が物凄く格好いいです!


 ――って、見惚れてる場合じゃない。

 おじさん達に攫われなかったのはよかったけど、どんな行動を取っても攻略対象と恋に堕ちるルートまっしぐらだ。イージーモードのシナリオの強制力凄すぎだよ。


「無事か、シェリル!」


 トラヴィス王太子殿下が、その青い瞳に必死さを滲ませ、私に熱い視線を注いだ。


「は、はい、私は大丈夫です。助けてくださってありがとうございます」

「そうか、遅くなってすまない」

「いえ、思いっ切り早かったですけど……」


 むしろ、ピンチになったと思ったらすぐに現れた。さすが、どんな選択肢を選んでも、攻略対象達が華麗にフォローしてくれる乙女ゲームである。

 一人で生活しようとしたら、凄く現実的なくせに!


「ところで、その……トラヴィス王太子殿下はどうしてここに?」

「もちろん、シェリル姫、キミのことが心配だったからだよ」


 あ、ちょっと、さり気なく髪を梳いたり、頬を撫でたりしないでください! 私の心臓が持ちません! どうしてそんなにさり気なく抱き寄せるんですかぁ!

 ……はぁはぁ、心臓に悪すぎです。

 というか、心配だったから助けに来たって、ここにいる理由になっていませんよね。


「私がどうしてここにいることをご存じで?」

「もちろん、キミのことを隠密部隊に護らせているからだよ。だから、キミが朝早くに町娘の装いでお屋敷を抜け出したことも、食堂で働いていたことも知っているよ」


 なんと言うことでしょう。

 すべて彼の手のひらの上でした。

 というか、公爵令嬢がいきなり屋敷から逃げ出すという緊急事態にも動じず、私の行動を見守って、私がピンチになった瞬間に駆けつけるとか、何処かの乙女ゲームの主人公ですか?

 主人公でしたね、そういえば!


 ダメです、彼らからは逃げ切れません。というか、この分ならお父様も私に護衛を付けていそうな気がします。平民として生きる道は難しそうです。

 こうなったら、惚れない。

 彼らに惚れないしか生きる道はありません。


「あぁそうだ、ウェイトレス姿で働くキミの姿も愛らしかったよ」

「~~~っ」


 不意打ち禁止です! 私を萌え死にさせる気ですか!

 止めてください、本当の意味で死んでしまいます。


「ト、トラヴィス王太子殿下、その……離れてください、近すぎます」

「ふふ、照れているのかい? でもダメだよ、俺を心配させた罰だ。今日は、キミの屋敷に送り届けるまで放さないよ」


 ――と、彼にお姫様抱っこをされてしまいました。顔が近い、王子様の顔が近いです! というか、ほんとに止めてください、一メートル以内に近付かないでください!

 って、違います、照れ隠しじゃありませんから~っ!

 

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