第5話

 *




 ――憲兵総局地下、防諜零課所有の地下室。

 十二月の寒気の中訪れたそこには、真冬だというのに熾火のような熱気で満ちていた。


「来たね二人とも」

 前回と違い、閃光弾での歓迎はない。さあ中へ、と言うレイモンドさんの笑みは常と変わらないが、その表情は僅かに緊張を帯びているようだった。

 指定された日時、地下室の前で合流したわたしとクルトは、漂う緊張感に気を引き締めつつ、いつものデスクに着いているボスに目を向けようとして、息を呑んだ。

「おー、ユリアちゃんにクルトちゃんだァ」

「お嬢とクル坊、久々だな」

「学園生活でも仕事とは、あなた方も随分とお忙しいことだ」

「スパイ活動で青春を棒に振るなんて! 嘆かわしいですよねぇ」

(いつもはほとんど留守にしてる主力の先輩方が、ほとんどいる……!)

 ふだん地下室にいるのは、ここのラボで諜報活動に必要な道具の研究と開発をすること、そしてボスのサポートをすることが仕事であるレイモンドさんくらいだ。他の諸先輩方は何かしらの任務でほとんどこのアジトに戻ってくることはない。

 それなのに、だいたいの面々が揃っているということは――。

(まさに、緊急事態ってことだ……!)


「――揃ったな」


 そして。 

 そのたった一言で、その場が水を打ったように静かになった。

 しんと張り詰めた空気に、わたしはごくりと唾を飲み込む。デスクの椅子に真っ直ぐに腰掛けている叔父の表情は全く変わらず、血赤の双眸の冷たい光もいつもと同じだ。

 しかし、周りにいる先輩方の空気が重い。嵐の前の凪のように、恐ろしくなるほどの静謐さを秘めている。

「ウルリッヒが所有している各領地から、王都近くの主領地に私兵を集めているとの情報が入った。情報部の他部署と連携を取りつつの情報だ、十中八九確かなことだ」

「……!」

 ウルリッヒ公爵家。シルヴィア王国の三つの公爵家の中でも最も広大な領地と潤沢な資産を持つ、王弟派の筆頭だ。伝統と中央の権勢ではヴェッケンシュタインに劣るが、単純な保有勢力では建国以来の王家の家臣であるうちを遥かに上回る。

 王弟派の大貴族が、私兵を集めている。それが意味することは――。


「クーデターの準備、ですか」


 低い声でのクルトの呟きが、地下室に反響する。

 部屋中のスパイたちの視線が、クルトと、すぐ隣にいるわたしに集まる。誰も何も、言わない。……彼の言葉を、否定しない。

 叔父は軽く息を吐き出すと、「その可能性が高い」と言った。

「ヴェルキアナとの国境付近でも、どうやら向こうの陸軍がそわついているそうだ。つい先日、ヴェルキアナに潜り込んでいる者からそう連絡があった」

「じゃあボス。やはり王弟派貴族はヴェルキアナと繋がっていて、クーデターでウルリッヒの手勢が優勢なようなら踏み込んでくるってことですかね?」

 挙手すると同時にそう問うたのは、狙撃手の先輩だった。そして叔父はその質問に、「否定はできんな」と肩をすくめる。

「でもどうしてこのタイミングで……? 何か政治に揺らぎでもあったんですか?」

「んーや、そんなことはないかな」わたしの疑問に答えたのはレイモンドさんだった。「まあいつも通りの緊張状態って感じだよ。……ま、いつも通りの緊張状態ってなんだ、って感じだけれどね」

「じゃあ、これから起こる何かが火種になるってこと……?」

 きっかけも何もないのに、突然内戦じみたクーデターが勃発するとは考えにくい。サラエボの二発の弾丸のように、二つの勢力が本格的にぶつかり合うためには、なんらかのトリガーが必要だ。

 しかし、ここにいる誰も心当たりがない、ということは。

「この件の鍵はやはり、王立学園に潜んでいるというスパイネズミだろう――それが、ボスと僕の結論だ」

 レイモンドさんの視線が、わたしとクルトに向けられた。彼の狐目が、ゆっくりと細まっていく。

 静まり返った空間が余計に緊張を煽り、心臓の鼓動が速くなる。

「何せ王弟派筆頭のウルリッヒが敵視するのはハインツ王子だ。その王子が在籍する学園に、ネズミがいるとのタレコミだからさ……ま、何かがあると見て間違いないよね」

 その通りだ。

 わたしはグッ、と拳を握り締める。……その『タレコミ』が誰によるものなのかは気になるところだが、今度のクーデターを匂わせる動きに、王立学園の何かしらが関係している可能性が高いのは事実だ。

 しかし、わたしたちはまだ、そのネズミの尻尾すら見つけられていない。

 ……わたしは、並行して進めているつもりで、入学してからずっとネズミの捜索よりも、『断罪イベント回避』を無意識的に優先していたのかもしれない。ここは乙女ゲーム『メサイア・イン・アビス』の世界であって、シナリオさえ回避すればなんとかなる、と考えて。

 だが――ここはゲームの世界でも、ゲームじゃない。現実だ。シナリオが終わっても、わたしがもしも処刑されても、世界はずっと続いていくのだ。

 ――保身なんて悠長に考えてる場合では、ないのかもしれない。


「クルト」

「……はい、ボス」

 突然名前を呼ばれたことで肩を強ばらせたクルトが、緊張を声に滲ませて応答する。「なんでしょうか」

「お前は、何か『視て』いないか」

「それは……申し訳ございません、報告書にも記した通り、それらしき未来は一度も。ハインツ王子殿下や親しいご学友たちにも、怪しまれない程度に触れて、未来を視てはいるのですが……俺の異能は見たい未来を見ることはできないので」

「それはもちろんわかっている。お前が『報告する必要のない未来』と判断したのなら、その判断は恐らく正しいのだろう。私はお前の判断力を評価している。……だが、知っての通りこちらもあまり時間がない。少しでも多く情報が欲しい」

「理解しています」

「結構。些細なことでも構わん。気になることを言ってみろ」

 叔父に促され、クルトが顎に手を当てる。そして、記憶を探るように目を閉じた。

 そして、ややあってから「あ」と声を漏らした。

「何か思い出したか」

「ええ……。ただ、視た未来のことではないんですが」

「未来のことではない?」

「はい。むしろ逆、と言いますか――一度、未来が『視えなかった』ことがあったんですよ」

 叔父が眉を寄せる。しかしすぐに「続けろ」と顎をしゃくった。

 未来が視えない、とは、どういうことだろう。クルトは人に触れたら、ランダムにその人の未来を覗き見てしまうのではなかったのか。


「記憶に残らないほど未来の映像が一瞬だったのかもしれませんが……。シャルロット・マグダリアという男爵令嬢が転びそうになった時、咄嗟に支えたことがありました。しかし、その時、俺は彼女に訪れる未来を視ることができませんでした」

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