第3話

 ハインツ殿下はハッとしたように顔を上げると、後ろに立ったレオナルドを振り返る。レオナルドが「しかるべく」と言うと、ハインツ殿下は頷き、扉に向かって「どうぞ」と告げた。アレ? わたしの意志は確認しない感じ? まあもういいけど。

「失礼します。おやハインツ君、レオナルド君。クルト君も」

 入ってきたのは、穏やかな物腰に優しげな声の、眼鏡をかけた男性だった。二十代後半から三十代前半といった年頃だろうか。教師なのだろう、なかなか隙のない身のこなしだ。そしてよく見たら、彼もかなりの美形だ。

「おはようございます、デニス先生」

「おはようございます。そろそろ朝の休み時間も終わる時間なのに、何やら白熱した議論をしていたようでしたから。一応と思い声を掛けました……おや、珍しい方がおられる」

「初めてお目にかかります」デニス先生の視線がこちらに向けられたので、椅子から立ち上がり、ゆっくりとスカートの裾をつまんで礼をとった。「一年生の、ユリア・ヴェッケンシュタインと申します」

「僕はデニス・レヴィ。生徒会の顧問をしています」

 存じていますと言えば、デニス先生は柔らかに微笑んだ。

 見れば、先程までぎゃんぎゃんと騒いでいたハインツ殿下とレオナルドが、幾分か落ち着きを取り戻している。すっかり大人しくなっている様子から、なかなか彼らはこの人に懐いているようだ――んん、『生徒会』の、顧問?

「それで、君たちは一体どんな話をしていたのですか?」

「いえ……そこのユリア・ヴェッケンシュタイン一年生が、我々の後輩であるシャルロット・マグダリアに嫌がらせをしているという話を聞いたので。事情を聴いていました」

「なんと、シャルロット君が?」

 デニス先生が目を丸くする。初耳だ、という表情だった。

 事情を聴かれていたというか、決めつけられて責められていたというか。もう少し正しい説明をしたらどうだと思っていると、デニス先生がこちらを振り向いた。

「それは、事実なのですか? ユリア君」

「まさか。ありえませんわ」

 もう長く説明する気も起きず、軽く首を振った。すると、デニス先生の眉が僅かに顰められる。


 ――この反応。

 やはり、彼が『隠しルート』の四人目の攻略対象なのではないか。


(有り得るよね、正直なところ……)

 なぜなら、『メサイア・イン・アビス』は生徒会での活動を通してストーリーが進む乙女ゲームであると推測されるからだ。現に三人の攻略対象は生徒会役員であるし、ヒロインも同じく生徒会役員。そして、少し年の離れた教師となれば、隠しルートにされることにも納得がいく。

 ならまたこのくだらん糾弾会議が再開されるのか……とうんざりしていると、意外にもデニス先生は「そうですか」と身を引いた。

「なら、もう教室に戻りなさい。君たちもですよ、ハインツ君、レオナルド君、クルト君」

「先生!? それはユリアを放置する、ということですか!?」

 焦ったように椅子から立ち上がるハインツに、デニス先生は「落ち着きなさい」と穏やかな声で言う。

「証拠がある訳ではないのなら、決めつけてかかるのは失礼ですよ」

「ですが!」

「もしも証拠が見つかったら、その時またゆっくり話をすればいい話だ。その時は僕も教師として同席しましょう」

 ね、と諭すように言うデニス先生に、ハインツ殿下は渋々ながらも「わかりました……」と頷く。ええ……? なんだか釈然としない。

 しかも、怖いのはデニス先生の『ゆっくりする話』だ。彼は「ね?」と言う時、目が笑っていなかった。一体どんなお話になると言うのだ。隠しルートキャラ(仮)、恐ろしい。

「……もうわたくしは帰ってよろしいのかしら?」

 とはいえいい加減ツッコミにも疲れたので、早く教室に戻りたい。

 その一心でそう聞くと、ハインツ殿下は顔を歪めながら「わかった」とこれまた低い声で言った。

 あ~、やっと解放される。わたしは大きく息を吐き出すと、さっさと生徒会室を後にする。

 真冬に行われた尋問訓練レベルに精神衛生に悪かったな。一瞬、本気で亡命を考えたくらいには最悪な時間だった。

「クルト、彼女がシャルロットに嫌がらせをしないよう、よく見張っておいてくれ」

「はい、殿下」

 背後ではクルトが恭しくハインツ殿下に頭を下げている。俯いていてよく見えないが、顔は疲労で死んでいるんだろうな……と思うと、同情を禁じ得ない。

 テストで中の上を取る、なんてことをしなくてよくて楽でいいね、などと不満に思っていたが、クルトも苦労してるんだな……。

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