みーちゃんは殺人鬼です。

麻井 舞

 みーちゃんは人殺しです。



 生まれてから25年間で、数え切れないほど殺してきました。

 恐ろしい〝殺人鬼〟です。



 だけど誰も気付きません。

 みーちゃんは地味な外見をしています。いつもニコニコしていて、凶悪性のカケラも感じないからです。


 殺害の動機は様々です。

 些細なものでは、通勤中に肩がぶつかった男が舌打ちしてきたから。深刻なものでは、同僚がみーちゃんの財布を盗んだから。



動機はいろいろあるけど、凶器は必ず決まっています。

 オノです。

 斧でボッコボコにして殺すのです。

 どんなに叫ぼうが命乞いをしようが、どこまでも追いかけて仕留めます。


 やがて五月蝿うるさいソレが喋らなくなると、みーちゃんは少し落ち着きます。爽快感はありません。生まれるのはいつも安堵感だけでした。



 もしかしたら遺伝でしょうか。



 みーちゃんのお母さんとお父さんも、殺人鬼でした。


 みーちゃんは両親と3人家族でした。

 お母さんとお父さんはとても優しく、みーちゃんが辛い目に合わないか、いつも心配していました。


 きっと、心配しすぎたのでしょう。


 みーちゃんの身にトラブルが起こるたびに、両親は殺人を犯しました。


 みーちゃんが覚えている1番古い殺人は幼稚園の時。

 同じクラスの女の子が、みーちゃんのお気に入りの靴下をどこかに捨ててしまいました。その理由は未だに分かりません。女の子は何故か朝から機嫌が悪く、いきなりみーちゃんの靴下を奪ったのです。


 女の子の母親は何度も頭を下げて謝りました。〝靴下を弁償させてください〟とも言いました。


 みーちゃんのお母さんはこう返しました。



〝まぁ子供のケンカですし、弁償なんてかまいませんよ。それにうちの子も悪いので〟



 あれ?

 と、みーちゃんはポカンとしました。



 わたしも悪いの?

 ケンカ? そんなのしてないよ?

 わたしは何にもしていないよ。

 なのにどうして? なんで?



 不思議に思ったけど、みーちゃんは黙っていました。

 お母さんは笑っているし、女の子の母親はホッとした顔をしていました。ピリピリしていた空気もふわりと柔らかくなっていました。自分がここで何か言ったら、それを壊してしまう。

 みーちゃんは、子供心にそう感じたのです。



 それからもいろんなことがありました。


 小学校に入学しても、みーちゃんは内気で頭の回転が遅く、イジメのターゲットになりやすい子供のままでした。何度か問題になり、いじめっ子の保護者たちが謝罪に来たことがあります。


 そのたびにお母さんは、お父さんにこう訊きました。


〝わざわざ家まで来て謝ってくれたんだから、水に流しても良いわよね?〟


 

 そのたびにお父さんは答えました。


〝あぁ、そうだな。しかし人間も捨てたもんじゃないな〟


 確かに救いようはあるのかもしれません。

 人間は決してあくばかりではありません。いじめっ子の保護者のうち、9割もの人たちがきちんと反省してくれたのですから。


 でも残りの1割については、よく解りません。

 お母さんとお父さんは、そこについては何も言いませんでしたから。

 まるでその存在が最初から無かったかのように。



 こんな風に、お母さんとお父さんはいつも優しかったのですが、ときどき怖いこともありました。


 お母さんは、お父さんの妹……、つまりみーちゃんの叔母が苦手でした。


 叔母は思ったことを全部口に出す人で、良く言えば裏表の無い人、悪く言えば率直な言葉で他人を傷つける人でした。


 叔母は、みーちゃんの家によく来ました。そしてお母さんと話していました。叔母に何を言われても、お母さんは反論しませんでした。上から目線、お説教、お節介、小言、失言。世間話に混じるそれらを受け流し、ただ微笑んでいました。


 叔母が帰った後、お母さんは必ず寝室に向かい、クローゼットに閉じこもります。

 誰にも見えない場所で、お母さんは自分の髪の毛を引っぱったり、腕や足を掻きむしっているのだと、みーちゃんは小学3年生の夏に気がつきました。


 お父さんは働き者でした。

 仕事は営業で、朝は早く、帰りは遅く、休みは不定期でした。

 お父さんは外では常に笑っているけど、家の中では無口でした。毎日、お酒を浴びるように飲んでいました。


 段々と、みーちゃんはこう理解していきました。


 どんなにイヤな目にあっても、腹が立っても、たとえ相手が悪くても、悲しくても、憎らしくても。

 怒りは決して外に出してはいけない。

 外ではなく、自分の内側で爆発させれば良いのだと。


〝自分〟を殺せばいいのだと。


 そうすればトラブルは大きくならない。

 ケンカにもならない。

 逆恨みもされない。


 実際に、みーちゃんの家は平穏でした。


 お父さんとお母さんは、いじめっ子たちを全く責めませんでした。だからこそ、みーちゃんは〝親にチクったな〟などと恨まれませんでした。


 叔母は自分がめちゃくちゃ嫌われていることに気づかずにいられるし、お父さんは仕事場の偉い人に気に入られています。


どんなに言い返したくても、叫びたくても、殴ってやりたくても、殺してやりたくても。

 耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて。

 お母さんは自分の爪で、お父さんはお酒で。

 ずっと自分の心を殺していたんです。

 

 自分という人間を何百回も殺し続けたのです。全ては平和のために。


 これが正しいのだ。


 みーちゃんはお父さんとお母さんが大好きだったので、そう信じて疑いませんでした。



 だからみーちゃんにとって、中学で出会った彼女は衝撃的だったのです。


 中学2年生になった初日。

 隣の席の彼女が、みーちゃんに話しかけてくれました。偶然にも同じアニメを好きだったので、彼女とはすぐ仲良くなりました。


 彼女はみーちゃんとは違い、ハキハキと話す子でした。叔母みたいに積極的なところがありましたが、彼女はちゃんと言葉を選び、相手を気遣ってくれる人でした。


 一緒に過ごしているうちに秋になりました。

 ある日、夕焼けが差し込む放課後の廊下を、みーちゃんと彼女は歩いていました。

 すると、


〝うわ、オタクきもっ〟


 見知らぬ男子のグループが、すれ違いざまにからかってきました。

 みーちゃんのカバンに付いていたアニメキャラのキーホルダーに反応したのでしょう。みーちゃんは静かに俯きました。


〝は? お前らの方がきもいわ〟


 その声に、みーちゃんは耳を疑いました。声の主は、隣にいる彼女だったのです。


〝女子にしか偉そうにできないくせに〟


 さらに彼女は続けました。

 男子たちは〝え、怒ってるんですけど〟とか〝睨まれてる。こわっ!〟とか笑いながら、去っていきました。

 ふんっと鼻をならす彼女に、みーちゃんはたずねずにはいられませんでした。


––––どうして言い返したの?


 彼女は首を傾げました。


〝え? だってムカついたから〟


––––も、もしケンカになったら大変だよ。騒ぎが大きくなれば先生とか両親とか出てくるし。


〝その時はその時よ〟


––––こ、怖くないの?


〝何が?〟


––––だって仕返しされるかもしれないし……


〝上等よ。そうなったら徹底的に戦ってやるわ〟


––––戦う……?


〝うん。完全にあっちが悪いんだから、パパもママも私の味方になってくれる。騒ぎを大きくしたら、あいつらが恥をかくだけよ〟



 みーちゃんは閉口しました。

 彼女の発言は、考え方は、みーちゃんの世界には無いものでした。


 みーちゃんの世界では、あらゆることにおいて〝我慢する〟が常識でした。


 思春期に入った同級生たちは、すぐにカッとして、大人にやたらと反抗していました。最初は彼らが怖かったのですが、いつしか滑稽こっけいに思えてきました。

 自分の感情をろくにコントロール出来ず、強がってイキがっているなんて。

 恥ずかしくないのだろうか?


 彼らが滑稽であればあるほど、〝我慢〟という行為が美しく思えました。


 耐えて何も言わず、そっと瞳を閉じる。


 中学2年生のみーちゃんには、ひたすら我慢することは〝常識〟を超え、もはや〝美徳〟となっていたのです。


 なのに彼女は違いました。みーちゃんは、彼女も滑稽に見えました。

 そして同時に怖く感じました。

 友達だと思っていた彼女は、まるで異世界の住人でした。


 彼女とはその後も仲良く遊びましたが、別々の高校へ進学したのを機に、疎遠になりました。

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