22.フォクゼーレ懐柔
第1話 ビルライフの求婚
774年・年初時点の勢力図:https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16817139559171712714
イルーゼン東部・シルキフカル。
ミーツェン・スブロナはこの日の午後、女王ユスファーネ・イアヘイトに呼び出されて女王の間へと出向いていた。女王の間と言っても、他の者の住居と造りは同じで特別な部屋というわけではない。ただ、女王が使っているから女王の間である。
「ミーツェン、フォクゼーレからこのような手紙が届きました」
ユスファーネの差し出した手紙を受け取った。差出人はビルライフ・デカイト。中身はというと。
「……ほう、求婚ですか」
驚きはしたが、全く不思議な話ではない。
アレウト族は二年前の戦役でイルーゼン北部を支配下におさめていた。アレウト族の統治方針が全域に及んでいるわけではなく、名目的な支配と言えなくもないが、今回の支配にはナイヴァルとフォクゼーレも同意しているため、少なくとも表立って反発する部族はいない。
ユスファーネ・イアヘイトは今や北部イルーゼン全体の統治者である。当然、その配偶者もイルーゼン北部に影響を及ぼしうることを意味していた。ユスファーネと結婚することで得る利益は大きい。
しかし、これまではフォクゼーレ全体の中に「イルーゼンの蛮族ごときが」と完全に格下とみなす傾向があった。「いくら何でも、あんな蛮族の女と」という空気は未だフォクゼーレには根強いはずである。それを考えると、ビルライフの求婚は随分と思い切ったこと、とも言えた。
「これまでの情報から判断する限り、ビルライフにヨン・パオを出るつもりはないと思います」
ミーツェンは過去の経緯とは別に状況を整理する。
「ヨン・パオでは激しい粛清が起きており、政治家志望の者が軍に殺されるという事件が後を絶ちません。ボグダノ・ニアリッチのようにビルライフが天主を弑して最上位に登るつもりではないかと推測している者もおります」
「とすると、この求婚は受けない方が得ということですね」
ビルライフがヨン・パオから出るつもりがない以上、ユスファーネが行くしかないことになる。しかし、行ったとしても百害あって一利なしである。ビルライフが至高の地位についたとしても、ユスファーネが個人的に得をするわけではない。逆に失敗した時に巻き添えを食らう可能性だけが残されている。
ユスファーネはそう解釈しているようであったが、ミーツェンには違う思惑もある。
「書面上だけ結婚したことにして、お互い本拠地を動かないという方法もございます」
ビルライフが必要としているのは、イルーゼンの支配者との結びつきである。何もユスファーネがそばにいなければいけないということはない。
また、ユスファーネにしても、ビルライフと形だけでも結婚していれば、フォクゼーレの権威を借りることができる。もちろん、ビルライフが失敗して死んでしまえば敵対意識を募ることになりかねないが、どうせフォクゼーレが直接シルキフカルまで攻めてくることはない。
ということで、書面上の婚姻という作戦は有効である。
「とはいえ、結論としては体よく断った方が良いかと思います」
有利な状況も確認しつつ、ミーツェンは断る方がいいと考えていた。
ユスファーネは14歳の時に当時の許嫁を亡くしており、「美女ではあるが不幸を呼ぶ女」という評判がある。実利の少ないビルライフと書面上の結婚をし、もしビルライフが粛清でもされようものならその評判が確立してしまい、婿の成り手がなくなってしまう危険性があった。
「では、そうしましょう。体よい理由については任せます」
ユスファーネも乗り気ではなかったようで、ニコリと笑って手紙を破り始める。
「承知いたしました」
確かに慎重に答える必要がある。
ミーツェンは理由を考えながら、女王の間を後にした。
自分の家に戻ったミーツェンに訪問者があった。
「総司令」
やや高めの声に外を見たミーツェンが笑顔を浮かべる。
「おお、アンドラーシか」
ボグダノ・ニアリッチの長男のアンドラーシ・ニアリッチであった。父と同様無類の酒好きで十代前半から各地の酒場を放浪している。
「そういえば、最近セルフェイからの連絡がないが、どうしているのかな?」
「あいつはアクルクアに行くとか言っていました。ミベルサの酒は大体分かったとか偉そうなことを言っていました。あいつは飲んでいる時に記憶力が上がるので、細かいんですよ」
「ハハハ、兄弟でも飲み方に違いはあるんだな」
「それはそれとしまして、ヨン・パオでは、天主の三男ビルライフがユスファーネ様と結婚しようという話があるようです」
「おお、今、まさにその件については女王陛下から回答を任せられたところだ。断るという方向性で理由を考えていたところだが……」
「……断るのですか?」
アンドラーシの言葉に、ミーツェンが眉を顰める。
「何だ、おまえは賛成なのか?」
「はい」
「これはちょっと意外だな。ビルライフと結婚をしたとしても書面上のことだろう。確かにイルーゼン全体に及ぶ権威を得ることができるが、それ以外のメリットはない。女王陛下には他に兄弟もいないし、これはという相手が見つかった時にビルライフと結婚している事実が足かせになることを危惧している」
「それは分かります。ただ、今回の件はジュスト・ヴァンランが頑張っているだけに」
「ジュストが……?」
予想外の名前にミーツェンは驚きを隠さない。
ジュスト・ヴァンランは現在、フォクゼーレの軍部ではビルライフとアエリム・コーションに次ぐナンバースリーの地位にある。
従って、軍内部で発言力があることは承知しているが、こうした婚姻外交といった政略を思いつく人間ではないという印象を有していた。
「これはフォクゼーレ内部での粛清と絡むのですが」
「……粛清と?」
「はい。フォクゼーレでは軍に反対している要人がどんどん殺害されています。ジュストは殺害までには否定的で匿う方向性で動いているのですが、といって、匿える人数にも限界があります」
アンドラーシが暗い表情で話す。どうやら予想以上に酷いことになっているらしい。
「そこで、イルーゼンに追放という名目で追い出したいと考えているのですが、さりとて追放した面々が反フォクゼーレに動かれるとジュストの立場が悪くなります」
「なるほど。我々アレウト族にしっかり管理してほしいということか」
ビルライフがユスファーネの夫となった場合には、アレウトもこれまでよりはフォクゼーレの顔を立てる必要がある。追放された要人が逆恨みして反フォクゼーレの挙兵準備をするなど言語道断であった。
「ジュストの立場は分からんでもないし、彼に対しては恩義もある。ただ、フォクゼーレで敵を作りまくっているビルライフと組むことはどうだろうか?」
「あくまで私のヨン・パオでの体感ですが、民衆はビルライフを支持しています。今までが酷すぎましたから、そいつらに対する懲罰で留飲を下げている状況ですね」
「……ビルライフには天主に成り代わる野心もあるという話はどうだ?」
「これもまた、私見ですが、その可能性は高いと思います」
「ふうむ。フォクゼーレから追放された者を受け入れることで、シルキフカルにとってプラスになるかもしれないわけか」
シルキフカルに限らず、イルーゼン最大の問題は有為な人材が不足しているということである。フォクゼーレで粛清されそうな者の中には、どうしようもない者も多いだろうが、シルキフカルのためになる有為な者がいる可能性もあった。そうした人材を迎え入れられる可能性があることは魅力的ではある。
「……分かった。報告を基にもう一度女王陛下と相談してみる。悪いが、もう一度ヨン・パオに戻って、ジュストの意向も聞いてほしい。彼が本気で今の考えを抱いているのであれば、前向きに考えなければならない」
「分かりました。それではすぐに向かいます」
アンドラーシは言葉通り、頭を下げるとすぐに馬を借りて北へと向かっていった。
ミーツェンはそれを見送ると、自身も家を出て、女王の間へと向かって行った。
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