21.第三次リヒラテラとホスフェの選挙

第1話 待ち人来たる

 1年が平穏に過ぎた。


 大陸歴773年夏以降、フェルディス帝国はホスフェへの軍を挙げることを公言し、その準備を淡々と進めていた。ほとんど全ての人間が、同年中にホスフェに侵攻するだろうと予測している。


 理由は二つ。


 まずは翌年一月からホスフェで元老院議員選挙が開催されるため、同年中に形勢を決めておかなければならないということ。仮に翌年に持ち越しになれば、戦争中の特例として選挙自体が一年延期されることになる。そうすることなく自国に有利な体制で固めておきたいという事情がある。


 そして、もう一つは、同年の二月をもって、マハティーラ・ファールフが追放処分から明けることがあった。前回のリヒラテラの惨状は全てこの男の軽率な行動によることであるから、フェルディス帝国大将軍ブローブ・リザーニとしてはどうしても彼の復帰前に指揮官として参加したいという事情があった。


 幸い、前年は豊作であったこともあり、前回問題視された食糧難の問題はない。また、前回の経緯を受けて、フェルディス帝国では皇帝一味以外の全員が一枚岩となって準備にかかっている。前回は三万というフェルディス帝国にしては過少な軍であったが、今回は六万から七万を超える部隊の準備が整えられている。


 もっとも、その最前線ジャングー砦にいる大将軍ブローブ・リザーニとリムアーノ・ニッキーウェイ侯爵の表情はまだ晴れやかではない。


 理由はただ一つ、ルヴィナ・ヴィルシュハーゼの不在である。



 暦を見ながら、ブローブが指でテーブルを突いている。その正面で小さくなっているのは、ヴィルシュハーゼ伯爵代理スーテルである。


「まだ連絡はないのか?」


「はい。残念ながら」


「少し前に言っていたではないか。あと10ヶ月で戻ってくると。もう一年経っているぞ」


 スーテルに文句を言っても仕方がないということはブローブにも分かっている。


 それでもついつい文句が出てしまう。


「まさか船が沈んだとかいうことはないだろうな?」


 ルヴィナが隣の大陸まで足を延ばしていることは広く知られている。船の安全性はまずまず信じられてはいるが、それでも事故がないわけではない。万一、ルヴィナが帰国中に船が遭難していたとなれば一大事である。


「そのようなことがあれば、恐らくサンウマかエルミーズには情報が来ているはずです。今のところ全く聞いていません」


「そうか」


 ブローブは溜息をついた。


「一体いつになれば戻ってくるのやら……」




 ルヴィナ・ヴィルシュハーゼは4年前、リヒラテラで大活躍をしたことは記憶に新しい。


 とはいえ、ルヴィナは個人としては多少強い女性の域を出ない。滅法強いとか、誰も使えない魔法を使うといった形で、一人で分かりやすく戦局を変えることは決してない。


 そんな彼女に歴戦のフェルディス軍がそこまで頼るというのも情けない。


 ブローブはそう思っているが、編成をしていても、作戦を考える際にも、ルヴィナ・ヴィルシュハーゼの存在を組み込んでしまっている。こればかりはスーテルでもどうしようもならない。


 また、不在であった前回の戦いが惨憺たるものであったことから、有力貴族を含めた軍幹部の中にも「ルヴィナがいなければ苦しい」という雰囲気が蔓延している。訥々とした物言いで、輝くような金髪以外に特に見栄えもしない存在が待望されていたのである。


「デッドラインはどこにしましょうか?」


 それでも。引き続き帰還を待望されているが、戻ってくる確約がない以上、どこかで見切りをつけなければならない。


 ホスフェの選挙は辛うじて許せても、マハティーラが復帰して皇帝のごり押しで指揮官になるという事態だけは何としても避けなければならなかった。


 リムアーノを始め、他の者達にも最終的な期限を示さなければならない。いつなるかも分からないままダラダラと延期されると士気がだらけてくる。


「うむ……」


 ブローブとしても決断をせざるをえない。


「年内に戦闘をするとなると、12月頭にはリヒラテラに到達しなければならない。11月半ばには出撃する必要がある」


「ただ、仮に直前に戻ってきたとしても数年の不在がありますので、自分の部隊とはいえまとめきれないでしょう。一か月半、いや、二か月くらいの期間は必要になるかと」


 リムアーノの言葉は一々もっともであり、ブローブも頷くしかない。


「そうだな。とすると、あと20日程度待ち、戻る戻らないにかかわらず11月半ばにジャングーを出るしかないだろう」


 軍の方針が決定し、各諸侯に伝えられた。諸侯達も一度決まったからには四の五の言うことはない。伝統も格式もあるフェルディス軍である。その存在が二十歳になるかならないかという女性一人の存在に左右されることは、あってはならない。



 9月半ばが過ぎ、10月に入った。


 結局、ルヴィナは戻ってこない。


 それでも、ブローブもリムアーノも、これ以上期限を延ばすことはしない。


「ヴィルシュハーゼ隊だけでは不十分ですので、ペルシュワカも攻撃部隊に編制するとしましょう。持ちこたえる役割は私が引き続き行いますよ」


 リムアーノが諦めたように言う。一番面倒な役割は自分が引き受けなければならないことは理解している。


「すまぬ。今回は、我が部隊も少し前に出て、戦局を安定させることとしよう」


 かくして準備が整えられ、10月半ば、いよいよ出陣の日を決めようという頃。


「申し上げます! 城外にヴィルシュハーゼ伯爵の姿があります」


 伝令が部屋に駆け込んでくる。


「……スーテルが来たのか?」


「い、いえ、ルヴィナ・ヴィルシュハーゼ伯爵です」


「何だと!?」


「また、測ったかのようにギリギリのタイミングですね……」


 リムアーノが呆れた顔をしてしまった。ともあれ、ブローブはすぐに呼ぶように指示を出す。


 10分ほどでルヴィナが入ってきた。まぎれもなくルヴィナ・ヴィルシュハーゼである。


「大将軍。お久しぶりです」


 ルヴィナは悪びれる風もない。訥々とした物言いも相変わらずである。


「……スーテルには春には戻るというようなことを言っていたらしいではないか。随分遅くなったのう……」


「本来ならもう二か月は早く戻れた。フェルディス軍が大々的に準備をした。ホスフェが警戒して国境を超えられなかった。エルミーズのメリスフェールに協力してもらったが時間がかかった。私のせいではない」


「……うむむぅ……」


 責任転嫁されて、ブローブの顔が赤くなる。確かにフェルディス軍の行動により、ホスフェが国境線を厳しく検査していたのは間違いないだろう。しかし、数年もブラブラしていて「お前達のせいだ」と言われるのはさすがに心外である。


 それでも、ルヴィナというのがこういう人物であると、ブローブは理解している。彼女の態度に一々腹を立てていれば、三日ともたない。


「……言いたいことは理解したが、さすがに一か月程度では難しいだろう。今回は帯同だけして、ヴィルシュハーゼ隊はスーテルに任せる方が良いだろう」


 ブローブがリムアーノとともに軍の方針を伝える。


「一か月もいらない」


 ルヴィナが答えた。


「エルミーズでブネーの状況……確認した。私の作った部隊……、15日あれば十分」


 そう言って、懐から銀の指揮棒を取り出し、二、三度軽く振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る